亡国の聖女は氷帝に溺愛される

「……良いのですか? 皇帝陛下であるヴィルジールさまが、国を出られるなんて」

「別に初めてのことではない」

 ヴィルジールは流麗な所作でグラスを置くと、口の端に笑みを滲ませた。

 皇帝に即位してから十年。その殆どの月日を城の中で過ごしているが、民の暮らしを自分の目で見るために、お忍びで出掛けることもあれば、騎士団を率いて視察に行ったり、他国からの招待を受けて公式行事に参加することもあったそうだ。

「二週間ほど城を空けることになる。さすがにエヴァンだけでは持たないから、セシルも呼んである」

「エヴァン様が泣く姿が目に浮かびます」

「その為の宰相だろう」

 ルーチェはくすくすと笑った。

「辞表を出されても知りませんからね」

「生憎サインをする気はない」

 ヴィルジールがナプキンを置いて立ち上がる。ルーチェも倣おうとしたが、座っているよう手で合図を出された。

 いつもは食後にコーヒーを飲んでから別れるが、今日はルーチェが果物を食べている途中で、ヴィルジールが切り上げてしまったのだ。

「気にせず食事を続けていろ。今日は早くから予定がある」

「そう……なのですね。行ってらっしゃいませ」

 ルーチェはコートを羽織るヴィルジールを見上げた。

 ヴィルジールはささやかな微笑を浮かべると、素っ気なく「行ってくる」と言い、部屋を出ていった。その去り際に、ルーチェの頭に手を置いて。

(……ここ最近、よく笑われるようになった気がするわ)

 それはとても良いことだ。彼が笑うと、ルーチェは嬉しくなる。

 ルーチェは湯気が立つ紅茶に口をつけた。とても熱くて、舌を火傷しそうになった。