「………み…やせ……?」


高鳴る鼓動、打ち続ける脈、全身に集まる、熱。


いつまでたっても身構えていた痛みは襲いかかってこない。
博哉の暴走を制止したのはまさか——


焦る気持ちを押さえ込んで目蓋を持ち上げる。そして飛び込んできた光景に、目を見開いた。


騒然とする場。顔を蒼白に染める親衛隊。先程とは一変、驚きに眼を見張る生徒会。

輪の中心で上半身から上へとかけてびしょ濡れにしながら、顔を俯かせている博哉。
前髪の先から雫が滴り落ちて、床に染みをつくっていた。

そしてこの現状を造り出したであろう生徒——三谷瀬だけは一人涼し気な風を靡かせていた。


その手には空のグラス。


「……きみ、だーれ?」


不意に博哉が声を発した。
初めて聞くような、地を這う声だった。

博哉に絶対的な服従を誓っている親衛隊たちですら顔を青褪めさせた。


「ただの新入生です」

「ただの新入生が、いきなり生徒会に水ぶっかけるかな?」

「言い掛かりっすよ」


俯かせていた顔を上げ、鋭い眼差しで三谷瀬を睨みつける博哉。
だが正面から怒りを受けても尚、三谷瀬の余裕が崩れることはなかった。


誰もが口を閉ざすことを余儀なくされていた空気が続いている中、不意に三谷瀬がこちらを見た。


どき…胸ら辺が疼く。


「ねぇ、会長」


三谷瀬の口から俺を呼ぶ声が出てきて、途端に煩いくらい心臓が脈立つ。

この場にいる生徒が一斉にこちらを見る。


「な……なん、だ」


はずい…噛みまくりだ。どれだけ俺はうろたえてんだろうか



「言ったよね」



何を……そう問うことを忘れるくらい、その台詞が昨日の凌汰と被ってみえて喉元が震えた。



「会長の心と表情に、興味が湧いてきたって」



その言葉が何を意味するのか、
理解したと同時に頭ん中で何かが弾く。


全身が小刻みに震えた。
なんで…なんで…



「まだ遅くないんじゃない」





バン!!!!

廊下に続く扉を開く。
盛大な音が静寂な食堂に響いた。



「………借りイチな」



“凌汰に会いたい。会って、今まで言えなかった感謝を全部、伝えたい”

俺ですら気づけなかった俺の本音に、三谷瀬は気付いていた。





さて、と。

決意したようにどこか真っ直ぐな瞳をしながら、ある場所へと向かった会長。
その後ろ姿を視界に捉えながら、そんな会長の行き着くはずであろう先に期待して。


「なぁなぁなぁ!おまえすっげえ綺麗だな!名前はなんて言うんだ?」



くいくいと無遠慮に制服の裾を引っ張られる。
そこにいたのは案の定というか、アフター後の天パくんだった。


……へぇ。間近で見るのは初めてだけど、やっぱどこの王道も変わらないものなんだ。
見れば見るほど期待を裏切らないその存在になんだか笑えてくる。


「な、なに笑ってんだよ!人に名前聞かれたら答えんのが常識だぞ!」


天パくんの喚き声に生徒たちの硬直が解けていく。生徒会だって例外なく。



「「博ちゃんに水ぶっかけるなんてやるねぇ!」」

「……しょうたいいえ…!」


言うわけないだろ。
この時点でフラグ立ちまくってんのに、これ以上の自滅行為するわけがない。


「あの人誰!?」

「すっごい綺麗な人だね」

「博哉様にこんな仕打ち……ぜったい許さない!」

「僕、あの人の親衛隊に入ろうかな!」


硬直の解けた生徒たちは各々の反応を見せ、たちまち喧騒が場を包んだ。



「あなたは」



会長のいない今、この場に何の興味も湧かず。
身を翻そうとしたら声をかけられた。
振り返ると、この学園で熱狂的な支持を得てるのにも関わらず


(誰よりも会長を憎んでいる、副会長)


……いいね、その顔。
思い通りに事が進まないのはそんなに腹が立つ?



「あなたは会長を、守ったつもりですか?」




———『二度と俺に近づくな』



確かにそう言った。


俺が欲しいのはあくまでも傍観者としての楽しみで、自分が主要人物になる気はさらさらない。



(……って、思ってたのになぁ)



咲谷結来——アンチ生徒会長。



「さ、どうでしょう?」



そう冷たく返せば、表情を歪める副会長。

 

(思った以上の逸材なのは、認めざるを得ないか)


まぁどのルートだろうが、俺が萌えられるなら構わないや。



―* ―* ―* ―* ―



「オハナミ?」

「うん…ってまさかお花見知らないの?」


2年へと進級するまで後3週間を切った今日この頃。
ふと窓の向こうへと視線を遣れば、学園内で最も立派な桜の木に蕾が芽吹きつつあった。


そしてもう一度目の前に奴に視線を戻す。


信じられない…と口元を手で押さえながら、心底人を馬鹿にしたような表情をするこいつは俺の苛々製造機か何かだろうか。


「……おいこら凌汰。仕事の邪魔するなら帰れ。」


書類をパラパラと捲りながら溜め息混じりにそう言えば、「え、邪魔?誰が?」となぜか逆に驚かれた。


「あれ、そういえば他の役員は?」


今になってようやく気づいたのか生徒会室を見渡す凌汰は、きっと頭のネジを数本どっかに落としてきたのだろう。

バカだ…バカ過ぎる。
頭は良いはずなのにどっか抜けてるもんだから危なっかしくてほっとねえ。


「譲は総合委員会、博哉は風紀と打ち合わせ。双子は職員室に書類のコピー取りにいって、信朗は職員との予算会議」


例に洩れることなく皆生徒会としての役目を働いている。もちろん俺だって。

……凌汰が突然生徒会室にさえ来なければ…むむ。


「ならしばらくはふたりっきりなんだ」

「……なんでそんな嬉しそうなんだよ」

「好きな子とふたりっきりだよ?嬉しいに決まってんじゃん」

「…………」

「あはは、顔真っ赤。かーわい」


……野郎が可愛いなんて言われても嬉しくもなんともない

ただ凌汰の笑顔がとびきり甘すぎるから…っ、これは不可抗力だ、アホ!


「っ、そ、そんなことより、そのオハナミとやらが一体なんなんだ!」


頬杖を付きながら慌てて顔を逸らせば、「あ、話逸らした」なんて笑われた。

…やっぱり苛々製造機だ。


「テレビで見たんだ。桜が咲いたらそれを皆で鑑賞して、笑って楽しむんだって」


「楽しいか?それ」


要約すれば桜を見るだけだろ、それ…
楽しめる要素が俺には不明なんだが


怪訝そうに凌汰を見れば、ふわり。花が綻ぶように微笑まれた。

……この表情に昔から俺は弱い。



「楽しいよ、きっと」



譲副会長が美味しい紅茶を淹れて。

博哉会計がお得意の料理に腕を振るってお弁当を用意して。

そうだ、双子書記くんたちには一発芸を披露してもらおうか。

それで信朗補佐には、伝統的な桜工芸を教えてもらえたらいいよね。



「………俺は?」



意気揚々と馳せている割には、俺の名前が挙がってくる気配がねえんだけど……。
オハナミとやらにはあまり興味はないが、仲間外れは流石に酷くないか。


じと、とした眼差しで凌汰を睨めばまた俺の好きな笑顔。なんかズルい。




「結ちゃんは笑ってくれればいいよ」



何言って……



「誰よりも幸せそうに、嬉しそうに笑ってくれたらそれだけでいい」



「…………」


「……また顔真っ赤。ほんとに愛おしいよ」


「~~~っ、こ……のアホ凌汰!!」


そう、これ以上ないくらい優しく目を細めるもんだから。
ついついお花見が楽しみになってしまったのも

(………本当にバカだしアホだ、凌汰は)

たぶん仕方がないだろう。


———そんな、春の日の出来事。