「げ、」


ない、自分に言い聞かせるような否定の言葉を遮り、俺を我に返らせたのは。


「会長出現…」


思わず本音が滑った、とでもいうように目に見えて嫌そうに顔を歪めた平凡生徒の声と表情だった。

こいつ、特待生の隣にいた…


いつの間にか目の前まで距離を詰めていた目当ての人物。緊張を誤魔化すために固唾を飲んだ。


俺が道を塞いでいるからだろう。俺の役職を知りながら露骨に眉根を寄せる平凡顔の生徒と…


(っ、)


目線を僅かに下にずらせば目に入る特待生の顔。近くで見れば見るほど、その恐ろしいくらい整った顔が美形という範疇に留まらないのがわかった。

……ってかなんだこいつ。さっきから何度も、俺と平凡顔生徒の顔を行ったり来たり見てるけど。



「……おまえが特待生だな?」


震える声を誤魔化すように、一層視線に鋭さを利かせる。
突然の質問に、平凡生徒がちらっと隣に視線を遣った。


(……読みは当たりか)



推測も、憶測も、恐らくはビンゴだろう。だがまだ確証はない。こいつがあの場にいて、あの言葉を放ったやつと同一人物という確証が。



「……はあ。おまえも罪な男だね。編入そうそう目をつけられるとは」


やれやれとため息を吐く平凡顔生徒と、そんなことは露知らず相変わらずなにやら思案中の無表情マイペース生徒。
そのアンバランスさに思わず脱力しかけた時。

「……どっちも萌えるけど、ここはあえての平凡攻めで」

「聞けよ。っつか何度も言ってるけど、お前の趣味に俺を巻き込むな」

「巻き込まれ平凡も好きだよ」

「……はあ。もういいや。せめてお前は会長の質問に答えてやれ…」


疲れ切ったように項垂れる平凡生徒の声に、ようやく特待生がこちらを見た。

「………なに」

だが先程までとは一転、俺に視線を向けた途端特待生の目から光が消える。纏う空気がさらに冷たくなった気がした。


あからさまな変化に臆する。さらに踏み込むべきかの躊躇や逡巡を固唾と共に呑み込んで、もう一度口を開いた。

「噂の特待生だな」

今度は、確信を含ませて。


言い切ると同時に訪れた静寂が、さらに俺の動悸を激しくさせた。
居心地悪過ぎて、一瞬が永遠のように感じる。

うう…何でもいいから返事してくれ…!と初対面の無表情生徒に願った瞬間だった。


「ぴんぽん。大正解。はじめましてだね、アンチ会長」



重なった。


歓迎会の際耳に飛び込んできた、言葉が。何かを期待してバカみたいに思案した、推測や憶測が。バラバラだったピースが吸い寄せられるように、一つの枠へと音を立て隙間なく当てはまった。そして完成した一枚の絵は、探していた何よりも欲していたもので。


特待生の何かに惹かれ、何かに期待し追い求めていたあやふやで霞んでいた影が。今、この瞬間、確かにその影は立体へと姿を変え、俺の前に現れた。


先程までとは比べものにならないほど高鳴る鼓動。引いたはずの汗が再び浮かび、身体を震わせた。



(っ、は……だっせー…)

何も言葉が出てこないなんて。
こんなこと初めてだ。自分から行動起こすくらい他人を気に掛け、挙げ句顔を見ただけで満足して言葉に詰まるなんて。
ああまじでこんな姿、人様の前に晒すわけにはいかない。






「………ぁ、ああ、やっぱりか……」


ようやく喉元から振り絞れたかと思えば、クソ当たり前な返事だった。やっぱりかって何。バカなのか俺は、バカなんだな俺…っ!

これでも在籍してからの日々、学年主席という地位を支持し続けているのだが……なんてどうでもいい自慢みてえな話しは今はどうでもよくてっ、!




そうじゃなくて、こんな話しをしたいんじゃなくて…



やっと探していた人物とこうやって顔を合わせてんのに。
先ほどから無視できないほど大きく高鳴っている鼓動は期待からきているとわかっているのに。



(なに…なにから話せば…)


再び場に走る居心地の悪い静寂に、さらに焦燥感が煽られる。俺から進んで物事を働かせたというの、堪えられなくてぎゅっと目を瞑る。
真っ暗な視界の中、聞こえてくるのはやけに煩い俺の鼓動の音だけで。

不意にその空気を破ったのは…――








「まさかばれるとは。面倒くさいことにならないように、目立たないようにしてたのになー」


あーあ。と、心底残念そうな特待生のその口振りに、思わず瞼を持ち上げた。

そして、驚いた


残念半分、もう半分は面倒くさいとでもいうような声色だったにも関わらず、特待生の表情は会った時から何も…微動だに変わらない無表情だった。
与える印象は相変わらず美人、綺麗といった類だが…


「あんだけ目立ちゃ、嫌でも耳に入んだろ」

「目立つようなことは何もしてないよ」

「……嫌味かこんにゃろー。つくづくお前は興味ないことには無関心だな…」

「まぁ、でも」

「あれ。微妙に話が噛み合わねぇ」




慣れ親しんだような平凡生徒との会話は不意に切られ、スッと切り替わるように特待生の視線がこちらを捉えた。


唯一、こちらを射止めてくる色素の薄い双眸。
目は口ほどに物を言う。まさにその通りだと納得せざるを得ない、何にもぶれることなく真っ直ぐすぎるそれ。



例えば自分の晒したくないことや目を反らし続けてもらいたい部分、そういったもん全部ひっくるめて何もかもを見透かされてしまいそうなその目に、なぜか恐怖を覚え、目を反らした。



「逆にさ、興味のあることには関心しかないってことだよね?」





おもむろに視線を前へと戻す――も、やはりというか特待生の表情には相変わらず感情が籠もっていない美しい顔立ちをした人形のようで。
只涼しげという印象でしか取れなかった。


何が言いたい…
その言葉に潜んでいる真意を探ろうとするより先に、特待生が軽やかな動作で踵を上げた。


ばかおまえ…!ちったぁ相手を考えろ!呆れと咎めの半ばのような声色で制止を掛ける平凡生徒の声を無視して、かなり高くなるであろう俺との目線を背伸びをすることで合わせた特待生は―――僅かに、口角を上げてみせた。


余所見をしていれば見過ごしてしまいそうな、小さな、小さな変化だったが



(………わ、らった…?)


それが、初めて特待生が俺の前で感情を表情に表した瞬間、だった。




「本当に…」



特待生のそんな些細な表情の変化に驚いてじっと凝視する。それと同時に、何故か胸ん奥が熱を熟んだように甘く疼いた。




「本当に見た目は総攻め会長なのになぁ」

「………は?」



先程と比べてぐっと距離も、目線も縮まった中で、それこそ変わらずに純真に澄んでいる目が、真っ直ぐにこちらを映した。

隣で、あちゃーとでも言うように頭を抱え込んでいる平凡生徒が尻目に見えた。



「人は見かけによらず、か。……割り切ったつもりでも、人間手に入らないものほど欲しくなっちゃうよね」

「っさっきから何の話しをしている…おまえは一体なんなんだ!?」



俺が話したいのは、
期待していたのは、
こんなんじゃねえ…!

血相まで変えて必死になってんのはこっちだけで…、
確かに話したいと思っているのも変な期待で言動を選んだのも俺の勝手な私情なわけだから、責める権利なんて生憎一ミリすら持ち合わせていないが、こうなった原因は少なからずお前にだってあるはずなのに…、っ、


解析不能なその言葉に掻き回されるのは、なんて言うか…そう、癪に障るわけで…っ





まるでガキみてえに、八つ当たりがましくもキッと特待生を睨みつける。


が、



「なんで会長はさ。転校生には惚れない、役員からは嫌われてる、一般生徒を蔑ろにしない。ここまでアンチ展開にふけてんの?」


――違う。俺が喉から手が出るほど求め、焦がれていたものは。
俺の理想像はあんたじゃない。





「なんなんだ?……はぁ?笑わせないでよ。むしろそれは俺の台詞でしょ。あんたはさ、ただ大人しく台本通りに動いてくれればよかったんだ」



ひやり、心臓を直で撫で回されたような不快感と嫌悪感が湧き上がる。次いで襲ったのは脳天を突き抜けるような喫驚と背中に走る震え。
傾斜の急な坂を転がる一つの林檎のように、まるで休息を知らないかのような勢いで繰り広げられる展開に、完全に思考の処理が間に合わないでいた。




なに、なに、なにを、

目の前にいる、天才的芸術家が造りだした一級品のような顔をしながら冷めた印象しか与えなかった特待生は、無表情の面を剥がして愉しそうに口元に弧を描いていた。



失望を、そのまんま声色へと反映したような口振りだった。覆う空気は相変わらず冷たい。
そんな中で、先程の無表情面とは打って変わったこの場を心底楽しんでいるとでもいうような特待生のその表情だけがこの場とはひどく不似合いで。それが余計に見てみぬふりしていた恐怖心を煽られる。



「本当に残念だよ」


―――溜め息。
混乱と動揺でうまく言葉を紡ぐことが出来ずに、情けなくもただ震えているだけだった俺を、まるで嘲笑うように小さく一瞥し、すぐに視線を反らした。

そして目の前に広がっていた秀麗な顔が不意に離れていく。



(っ、な、んだよ……それ、っ)



それはまるで、ひどく興醒めしたような。もうお前なんかに興味はない、失望した、つまらない、そう物語るような…そんな表情で…っ


「………け、…な…」


ナナ、行くよ。平凡生徒に声をかけ踵を返す、特待生の背中を視界に捉えながら――俺の中で何かが弾けた。