「さっきの電話、ナナだよ」


「......」


そんなこと知ってる。ナナという単語が三谷瀬の口からでただけで、また胸に靄がかった。そんな俺に気づいてか、はたまた偶然か、頭に滑らせる手がさらに優しくなった気がする。


「どうしてまた泣きそうな顔してんの。……写真を消してって頼んだだけだよ」


「...しゃ、しん?」


泣きそうな顔、しているのだろうか...自分ではよくわからないが、それが本当なら相当酷い面なんだと思う。
 というか写真...?なんの、そう視線に込めて、服から手を離しおずおずと顔をあげる。



(ーーーーあ、目あった、)




視線がぶつかる、そんなことだけでこうも心臓が跳ねるとは昔の俺なら思いもしなかった。それに三谷瀬の表情、すごく和らいでいる。いつもの冷たい空気が全然感じられない。
それがこうも嬉しいなんて...あれ俺どうしたんだ

っていうか写真、写真...一体いつのなんの、
全思考をフル活動させ記憶を呼び起こそうとするも、一向に思い出せる気配がしない。わからない、眉根を下げ懇願するように三谷瀬の顔を覗きこむものの、「ふぅん。わからないんだ?」そう言われてしまえば、自力で探し当てるしか他ない。


(写真...写真、なんの、わかんねえ...っ)


考えても考えても、三谷瀬の期待する答えには辿りつけない。
募る焦燥感、早く言わなくては今度こそ呆れてしまうかもしれない。それは嫌だ。
だけど...、焦れば焦るほど正解が遠のいていくような気がして、ばかみたいに立ち尽くすことしかできなかった。




「......いじめすぎたかな」



上からの呟くような声はうまく聞き取れなかったから、再確認の意味を込めて、小首を傾げた。




「って、うお...!え、は、な、...!!?」



頭への愛撫は不意に中断され、片手でぐっと両腕を引かれ、逆の方でそのまま後頭部を押さえつけるように手を回された。
ぐっと距離が近づく、視界一面に三谷瀬の見惚れるくらい整った顔が映り、思わず息を呑んだ。







(っち、か)後頭部に回されていた手が滑るように耳の後ろへと触れる。ひやりとした感触に、ぞくりと肌が粟立った。


離れていく背中が、遠ざかる距離が恐くて恐くて、さっきまではあんなに怯えていたのに。今は三谷瀬に触れられている場所が、熱を帯びたように甘く疼いている。
今、確かに三谷瀬は俺の目の前にいる。手の届く距離に、いるんだ。そう実感した途端、ひどく安心して、嬉しくて。キュウ...と淡く胸が締め付けられた。



「んんっ、ん、」



何もかもを見透かされてしまいそうな深くて真っ直ぐな色を宿した三谷瀬の双眸に一瞬でも捉えられてしまえば、視線を反らすことなどもうできなくて。


 唇を重ねられ、僅かにできた隙間から舌が差し込まれる。
(あ、セカンド)なんとなくそう思って、ふる、と体の芯が小さく震えた。




「はっ...ふぅ、ンン」


「わからないなんて許さないよ?」


「っはぁ、な...にが、...んぁ!」




口内を遠慮なしになぞる舌先が熱いせいで息が持ってかれる。
口から漏れる声が自分のだとは思いたくなくてきゅっと目蓋を閉じた。鼓膜を震わせるのは互いから漏れる水音だけで、全身の温度が急上昇する。






(.....やっぱ慣れてやがる)



こういう行為に。


一回目のときも思ったが、改めてそんな印象を受けた。








「ってか写真ってまさか...」



しばらく口内を蹂躙された後、ゆっくりと三谷瀬が離れた。同時に掴まれていた腕も離される。
...なんか寂しいな、とか思ってしまっている自分まじでキモい乙女か。








「あの時の...?」



初めて面と向かって対面したとき。俺との接点を切り離すために故意的に撮られた、俺が三谷瀬にキ、キスされているあの写真。





「ぴんぽーん。」

「な、なんで…?」


ぱちぱちと目を瞬かせる。


「だ、だってお前、俺に近づくなって...だから写真まで撮ったんじゃ...」


「気が変わった」



くるりと三谷瀬が踵を返した。今度こそ向けられた背中にたじろぐ。遠ざかる背中に、直感する。ああ、きっとこいつはもう振り返らない。追いかけようと右足の踵に重心をかけるも、遮るようになぜか内心で戸惑われた。



「っ三谷瀬!なぜここにきた!」



その代わり、なんておこがましいことは言わないが。
精一杯の声を、遠ざかる背中に投げかけた。


「内緒」


……せめて振り向いて言えよ。
っつか内緒って、やっぱわけわかんねぇ。





「.......はあぁぁああぁ」三谷瀬の姿が見えなくなった途端、全身の気が抜けたように盛大に息を吐きながら蹲る。あああ...!と空にでも向かって叫んでしまいたい衝動を必死に押し込め、がしがしと頭を掻き回す。





ーーーわけ、わかんねえ……っ



写真を消した。つまりそれは、近づくなという言いつけを破棄したのと同じ意味なわけで。だから、それは、つまり


(普通に接しても...いい?)


今度は、自惚れでもなんでもなくて。


さらにうずくまり両腕で抱え込んだ脚に、顔を埋めた。
だめだ、俺いま、絶対に変な顔している。口元がだらしないくらい、緩みきっている自覚がある。



本当に三谷瀬の考えていることはわからない。


あからさまに俺のことが嫌いなんだと伝わるくらい、感情の篭っていない表情と冷たい冷たい瞳や空気しか向けてくれないと思っていた。のに。
俺の背中を押してくれて、隣に座って話しを聞いてくれて、そして遠まわしながら、近づいてもいいと言った。






もう、ここまできて自覚しないわけにはいかなかった。




冷たく突き放されて、心臓が誰かに握り潰されたかのように痛むのも。

あいつがあの平凡生徒と親しく声を交わすのを目にしただけで、胸がもやもやすんのも。

ふとあいつが見せた、優しくて柔和な笑顔に嬉しくて堪らなくなって、胸が跳ねたのも。


キスされて嬉しくて、けど慣れていることに気づくとギュウ、と胸が苦しくなるのも。






ぜんぶぜんぶ、俺は三谷瀬が好きだからだ。


この学園では当然となっている、恋愛、の好きという意味で、俺が三谷瀬に抱くこの感情はきっと恋なんだ。






(......りょうたがいなくなったのに、)



それに、この想いが実を結ぶ確立なんて、限りなく無に等しいだろう。





それでも、今までで一際大きく高鳴るこの鼓動は、誤魔化せない。