宿舎を抜け、波の音に誘われるように、私は海を目指して歩く。道の脇、畑作業に勤しむご老人と、それを懸命に手伝う幼い子どもを見て、
『桜、よく見ていなさい。』
今は亡き、父方のお祖父様の声を思い出す。畑を荒らす害獣を駆除するため、刀を磨いていた祖父は、よくその膝の上に私を乗せてくれていた。
磨き終えた刀をきちんと持ち直した祖父が、ぐっと手に力を込めると、持ち手の方から切先にかけて、わずかな風の流れが生まれた。ふわりとゆれる前髪が邪魔になったのを、よく覚えている。
『お祖父様はいつもどうやって風を生み出しているの?』
『心の臓から順々に気を送らせるのだ。 切先までが自分の身体と思うと、上手くいく。 しかし、そこまで気を送るためには研鑽が必要だ。 走ったり、とかな。』
うげぇ、と嫌な顔をする私の頭を、祖父の大きな手が撫でる。
『女の人が気導を扱えないのは、走ったりするのが苦手だからなの?』
『どうだろうなぁ。 確かに女にも気は宿っているはずなのだがな。』
『え? 桜にもあるの!?』
『誰にでもあるさ。 ただ、気導は代々男が受け継ぐものであり、女はその領分を侵してはならないといわれていてな。』
『どうして? 女の人はあれもダメこれもダメって、そんなのずるいわ。』
『ただこれに関しては、皆駄目だとしか言えんのだ。 なにせ罰せられてしまうからの。 お前が男だったら、どんなに良かったか…。』
祖父はよく、私が男であればと嘆いた。その頃の宗介は、跡取りでありながら気導の練習を疎かにして、遊んでばかりいたからかもしれない。
男であるという理由だけで気導を扱え、家も継げる弟。女であるが故に、家のために嫁ぐことだけを期待される私。……悔しくて、悔しくてたまらなかった。
それがあの事件を引き起こした。
女にも気があるのなら、練習次第では気導もできるはずだと思った私は、祖父が田に出ている留守の間に部屋に忍び込み、立て掛けてある家宝の刀を握った。
祖父が言っていた通りに、心の臓から腕へ、腕から刀へ、順々に、心の臓でドクドクと膨らんでいく熱を送り込む。しかし祖父の時のように刀は反応しなかった。
『な、なにっ…!?』
ずるんと、体内の熱が刀に吸い取られる感覚がした。身体の関節という関節に力が入らなくなり、がくりと倒れ込む。しかしなぜか、刀は手を離れなかった。ズルズルと熱は刀に引き込まれていく。同時に身体はどんどん重く、冷えていっているようだった。
刀が、カタカタと一人でに震え始める。そして刀を中心に、風が渦を生み始めた。その風は、まるで刃のようにピリピリと形をつくり、身体中に小さな切り傷をつけていった。
『お、お祖父様っ、助けて…!』
その後のことは、私もよく覚えていない。気がつけば血まみれの祖父に抱きかかえられており、この件に関しては箝口令が出された。
『なぜあの子に気導について話した!? 女は跡を継げないんだぞ!?』
父の怒号が脳内で繰り返し再生される。
『跡継ぎとしての素質があり、本人もそれを望んでいるならば、女だからといって教えない訳にもいくまい。』
『だからって、これが公にでもなれば、我が家の立場はなくなるんだぞ!?』
『その我が家の立場を決めてきた御上も、今や新政府や異国人の食い物だ。 これから先の世の中、何がどう転ぶかわからんだろう。』
『だからって、女に気導をさせるなという教えは、何百何千という昔から定められてきたことで、その理由も今回嫌と言うほど理解できただろう!? もうこれ以上子どもたちに…いや、この家のことに関わらないでくれ!!』
普段から仲の良い親子ではなかったが、あの事件をきっかけに親子仲は決裂し、まもなく祖父は息を引き取った。

