「今月の最下位は——江島孝介!」

咎めるような部長の声に、ビクッ!と全身が跳ねた。
途端にざわつき出す社員たち。
その顔は同情や嘲笑、呆れ——いろんな感情が入り混じっていた。
そして、そんな視線を一身に浴びているのが……

「…………すいません」

江島孝介(えじまこうすけ)
———つまり、俺だ。


ここは教材制作販売会社。
教材を企画から製造、販売まで自社で行う。
そしてここは営業部。
作った教材を売る“最前線”だ。

月末の朝礼が終わり、爽やかな青空とは裏腹に沈んだ気持ちでデスクに戻る。
そんな俺を待ち受けていたのは——

「江島さん、今月も最下位か」

「部長も意地悪だよなぁ。成績なんて壁に貼ってるんだから見りゃわかるのに。あんなのただの公開処刑だよ」

「でも江島さん、なんでこの会社入ったんだろ。営業向いてなさそうなのに」

「…………」

「っえ、江島さん!?いつからそこに……?」

……ずっといたよ。
ていうか君らよりも先に座ってたよ。
影薄くてすみません。

嘲笑と呆れを混ぜながら、声をはばかることなく話していたうちのひとりがようやく俺の存在に気づく。
引き攣った顔で「うわ……」「やべ……聞かれてた……?」と目配せを交わしつつ、「さ、さーて仕事仕事〜」なんて誤魔化しながら机に向かう。

———そんな白昼堂々、年下社員に舐められる俺、江島孝介について。
つまらない話だが、少しだけ聞いてほしい。


平凡を絵に描いたような子だった。
これは、母の口癖だ。

出産予定日に2500gで誕生——普通。
保育園から高校まで勉強も武道も、友人関係も人並み——これも普通。
大学でも大学デビューなんて無謀なことは考えず、パリピすぎる新歓にそっと背を向け大学とバイトを往復する日々——うん、ここまでは普通。

転機はそう、就職活動。

江島孝介として21年間生きてきた俺は、自分に向いている職種と向いていない職種くらいなんとなくわかっていた。

目立たずとも、誰かの役に立つ仕事。
縁の下の力持ちみたいな職種に就きたい。
そう、自分のことは理解しているつもりだった。
——なのに。
どこでどう間違ったのか、俺は営業職という会社の花形に自ら飛び込んでしまったのだった。

まるで日陰者がスポットライトに焼かれにいったかのように——。


「……はあ」

今日も今日とて、ため息ひとつ。
先ほど俺の陰口を言っていた後輩のひとりが、気まずさに耐えきれず「っ外回り行ってきます!」と逃げるように飛び出していった。

その背中を見送りながら、キーボードを叩く。

(このキーボードをただ無心に叩くだけの時間……好きだ……)

指先の感触、規則的な音。
小さな達成感と、自分だけの空間。

こういう地道で単調な作業のほうが、やっぱり自分には向いている。
そう痛感するたびに思ってしまう。

どうして俺は営業なんかに………。

ピタリとキーボードを叩く指が止まる。
再び雲泥が心を覆うとしたとき、ドサリと何かを置く音が耳に飛び込んできた。


「あれ、なんかありました?」

(———で、出た!)

先ほど聞こえてきたのは、隣のデスクの男が帰社して鞄を置いた音だったらしい。
「あっち〜」と言いながら首元を緩め、無造作にスーツを着崩すその様はいちいちサマになっていて腹立たしい。

貼り付けた笑みに、端正な顔立ち。
ナチュラルにセンター分けされた黒髪に、体格に合ったベージュのスーツと高そうな革靴。

いかにも女性にチヤホヤされてそうなこの色男の名は、藤沢一也(ふじさわかずや)
俺の三つ下の後輩だ。

「………べつに」

「べつになワケないでしょ。絶対なんかあった顔してますけど?」

きらきらとした俳優のような顔立ちが、笑みを浮かべて覗き込んでくる。

(っ、距離が近い……!)
イケメンはなぜこうも距離感がバグってるのか!?

……いや、そもそもイケメンの知り合いなんてこいつしかいないから、全イケメンがそうだという根拠はないけど。

「だから、なんもないって……っ」

「え〜?本当に〜〜?」

——コイツ、絶対わかっててやってる……!!

にやにやと意地悪く笑いながら、さらに距離を詰めてくる藤沢。
そろそろ先輩として一喝してやるかと口を開きかけた、その瞬間——

「藤沢!」

部長の声がフロアに響いた。

「はーい。……って、なんで先輩が緊張してるんすか?」

「っじょ、条件反射で……」

「?はあ……」

そうすか。
まるで「何言ってんだこいつ」みたいな顔をして、藤沢は気だるげに部長のもとへと向かっていった。

「やっぱ素敵よねぇ、藤沢さん……」

キーボードを叩く手を止める。
それは、ふいに耳に入ってきた後輩の名前のせいだった。

「今月も営業成績トップだって。見てよ、あの部長の顔。あんな笑顔引き出せるの藤沢さんだけだよね」

「しかもあんなに仕事できるのにぜんぜん気取ってなくて!この前なんて給湯室で躓きそうになった私を助けてくれたの〜〜!」

「きゃあ素敵!」

「「「ほんと藤沢さんって、王子様みたい〜〜!!!」」」

ここは会社だぞとツッコミたくなるほどの黄色い声に、思わず藤沢の方へ目をやった。

(ほんとだ……部長、めっちゃ笑顔……)

にこにこと満面の笑みを浮かべるその姿は、さっき俺に向けてきたものとは天地の差がある。
わかっていたはずなのに、目の当たりにすると心が痛い……。
藤沢とのえぐいほどの好感度の差を突きつけられ、俺はそっと死にたくなった。



***


「あれ、先輩ひとりっすか」

営業から戻った藤沢が、きょろきょろと社内を見渡しながら声をかけてきた。
外はもう真っ暗。定時を過ぎたオフィスはすっかり静まり返っていた。

「うん、今日プレミアムフライデーだから」

「なるほど。なのに先輩はまだ残ってるんすね」

「俺は、ほら……まだ仕事残ってるからさ」

そう言いながらデスクトップを指さすと、藤沢が眉をひそめた。

「仕事ってこれ、エクセルじゃないすか。事務に回せばよくないです?」

理解不能、とでも言いたげな表情だ。
それに苦笑いを返す。

「うん、それはわかってるんだけどさ……事務も忙しいだろうし。それに俺、こういう地道な作業好きなんだ」

「でも、効率悪くないすか?その時間あれば営業かけた方が……」

藤沢は言いかけて、はっと口をつぐんだ。

「……すいません。失言でした」

きちんと頭を下げるその姿に、少し驚く。

(藤沢って、もっとこう……なんていうか、俺とは違う世界の人間って感じで——)

ただのイケすかない後輩だと思っていたけど。
こういう素直な一面もあるんだ。
……少し意外かも。

くすっ。

思わず漏れた笑い声に、藤沢が不思議そうにこちらを見た。

「え、なんすか?」

「藤沢」

「はい」

「飯、行こっか」

そう言えば、切れ長の目がかすかに見開かれる。
驚くのも無理はない。
藤沢を……というより、俺が後輩を飯に誘うのはこれが初めてなのだから。

「ありがとうございます」

結ばれていた口元がふと緩む。
相変わらず端正な顔がこちらを見た。

にこりと浮かべられた笑顔に、なるほど…これはたしかに王子のようだと昼間の新卒たちの言葉にちょっとだけ納得しかけた——その瞬間。

「でも、お断りします」

「うん、それじゃあ行こ——え?」

(お断……え?聞き間違い……?)

「ご、ごめん。もう一回」

「お断りします」

聞き間違いじゃなかったぁぁああ!!!
まさかの拒絶!!!

絶望にわななく俺を横目に、藤沢は鞄を手に取り、踵を返す。
そして振り向きざまにこう言い放った。

「すいません。俺、仕事とプライベートはきっちり分けたいんで」

それじゃ、お先失礼します。
律儀に頭を下げて、藤沢はそのまま帰っていった。

ポカンと取り残された俺は、無言でデスクに向き直る。
そして、激しくキーボードを叩いた。

前言撤回。

藤沢一也———やっぱりイケすかない!!!