昔から俺は、気弱で鈍臭くて、情けない奴だった。
俺の家庭環境は良いとは言えなくて、開業医で金は稼ぐがプライドが高く傲慢な父親のワンマン家庭だった。医院を継ぐようにと熱心に教育され、それに応え続ける優秀な兄を父は気に入っていて、よく比べられた。母は「あなただって素晴らしい子よ」と俺には言ってくれたけれど、父から怒鳴られても殴られても、俺を庇ってはくれなかった。
成長してからもこの性格は変わらなかった。兄に続けと無理矢理受験させられた名門中学にはなんとか滑り込めたがいじめられ、結局公立の学校に転校した。父には失望され、兄には嘲笑された。惨めだった。俺はどんどん卑屈になっていった。
父はすっかり俺を諦め、進路について口出しすることもなくなったので、高校は穏やかそうな校風の学校を選んだ。そこで出会ったのが、神楽だった。俺みたいなやつに声をかけてくれた。毎日普通に挨拶してくれて、話しかけてくれて、俺の話も聞いてくれた。彼女は明るく溌剌で容姿も可愛いが媚びる感じのない、友達は多いけど依存しない、俺とは違って一人でいることを怯えたりしない、強い女性だった。会話を重ねるうちに彼女は自分の夢を語ってくれるようになった。インテリアデザイナーになって、尊敬するお父さんと一緒に仕事がしたい、いつか自分たちの家を、お父さんと一緒に建てたい。そんな、素敵な夢。父親を尊敬できることが素直に羨ましかったし、その夢に向かって努力し続けている姿が眩しかった。彼女の夢を応援したいと、素直に思えた。気がつけば、彼女のことが好きになっていた。
その日、告白しようと決めていた。彼女が観覧車に乗りたいと言い出したとき、これがチャンスだ、と思った。
無邪気にはしゃぐ彼女が可愛い。見て見て、と外を指差す仕草、表情、声。すべてが愛らしい。
じっと見つめていると、彼女が心配そうにこちらを見た。高いところが苦手なのかと心配してくれたが、そうではない。確かにずっと緊張していたが、それは告白のタイミングをうかがっていたからだ。
しかし、その努力も儚く、彼女に惹きつけられる。彼女の心配そうな表情、二人きりの空間、彼女の顔が近いこと。……我慢できなかった。
衝動的に、キスをしてしまった。彼女が固まっているのを見て、なんてことをしたんだと思ったが、謝るだけで精一杯で、他になにも話せなかった。
その帰り道、なにを話すべきか、どう話すべきか考えながら歩いていると、中学時代俺をいじめてきた島田たちに遭遇した。奴らは俺を取り囲み、冷やかし、馬鹿にしてきた。
こんなやつが彼氏とか、彼女かわいそ。
可愛いのにもったいねぇ。
お前じゃ釣り合わない。
彼女もお前が隣にいて恥ずかしいって思ってるよきっと。
あの子はお前がいじめられて逃げたって知ったんの?
お前がいかに情けないやつか、彼女にバラしてやろうか。
屈辱だった。でも、反論はできなかった。ぜんぶ、本当のことだった。こんな俺じゃ彼女に釣り合わないこと、わかっていたはずだった。傲慢だった。彼女もまた俺を好きになってくれるんじゃないかと、なぜか思ってしまっていた。
途端に惨めになって、恥ずかしくて、俺は逃げ出した。神楽になにも伝えず、ひとりで逃げた。こんな情けない俺を、俺の過去を、神楽には知られたくなかった。彼女は困惑しただろう。でも島田たちの言う通り、彼女の隣にいるべきではないと思ったし、俺なんかが彼女の時間を奪ってしまっていることが申し訳なくて、彼女に合わせる顔がなかった。
その翌日、彼女はいつも通りに話しかけてくれたが、俺は応えられなかった。彼女が話しかけてくる回数は徐々に減り、やがてクラス替えで彼女とは別のクラスになって、接点はなくなった。自分勝手ではあるが、寂しかった。けれど一方で、ほっとしている自分がいたことも確かだった。
彼女のことを想うなら、彼女を忘れよう。
そう、本気で思っていた。
俺の家庭環境は良いとは言えなくて、開業医で金は稼ぐがプライドが高く傲慢な父親のワンマン家庭だった。医院を継ぐようにと熱心に教育され、それに応え続ける優秀な兄を父は気に入っていて、よく比べられた。母は「あなただって素晴らしい子よ」と俺には言ってくれたけれど、父から怒鳴られても殴られても、俺を庇ってはくれなかった。
成長してからもこの性格は変わらなかった。兄に続けと無理矢理受験させられた名門中学にはなんとか滑り込めたがいじめられ、結局公立の学校に転校した。父には失望され、兄には嘲笑された。惨めだった。俺はどんどん卑屈になっていった。
父はすっかり俺を諦め、進路について口出しすることもなくなったので、高校は穏やかそうな校風の学校を選んだ。そこで出会ったのが、神楽だった。俺みたいなやつに声をかけてくれた。毎日普通に挨拶してくれて、話しかけてくれて、俺の話も聞いてくれた。彼女は明るく溌剌で容姿も可愛いが媚びる感じのない、友達は多いけど依存しない、俺とは違って一人でいることを怯えたりしない、強い女性だった。会話を重ねるうちに彼女は自分の夢を語ってくれるようになった。インテリアデザイナーになって、尊敬するお父さんと一緒に仕事がしたい、いつか自分たちの家を、お父さんと一緒に建てたい。そんな、素敵な夢。父親を尊敬できることが素直に羨ましかったし、その夢に向かって努力し続けている姿が眩しかった。彼女の夢を応援したいと、素直に思えた。気がつけば、彼女のことが好きになっていた。
その日、告白しようと決めていた。彼女が観覧車に乗りたいと言い出したとき、これがチャンスだ、と思った。
無邪気にはしゃぐ彼女が可愛い。見て見て、と外を指差す仕草、表情、声。すべてが愛らしい。
じっと見つめていると、彼女が心配そうにこちらを見た。高いところが苦手なのかと心配してくれたが、そうではない。確かにずっと緊張していたが、それは告白のタイミングをうかがっていたからだ。
しかし、その努力も儚く、彼女に惹きつけられる。彼女の心配そうな表情、二人きりの空間、彼女の顔が近いこと。……我慢できなかった。
衝動的に、キスをしてしまった。彼女が固まっているのを見て、なんてことをしたんだと思ったが、謝るだけで精一杯で、他になにも話せなかった。
その帰り道、なにを話すべきか、どう話すべきか考えながら歩いていると、中学時代俺をいじめてきた島田たちに遭遇した。奴らは俺を取り囲み、冷やかし、馬鹿にしてきた。
こんなやつが彼氏とか、彼女かわいそ。
可愛いのにもったいねぇ。
お前じゃ釣り合わない。
彼女もお前が隣にいて恥ずかしいって思ってるよきっと。
あの子はお前がいじめられて逃げたって知ったんの?
お前がいかに情けないやつか、彼女にバラしてやろうか。
屈辱だった。でも、反論はできなかった。ぜんぶ、本当のことだった。こんな俺じゃ彼女に釣り合わないこと、わかっていたはずだった。傲慢だった。彼女もまた俺を好きになってくれるんじゃないかと、なぜか思ってしまっていた。
途端に惨めになって、恥ずかしくて、俺は逃げ出した。神楽になにも伝えず、ひとりで逃げた。こんな情けない俺を、俺の過去を、神楽には知られたくなかった。彼女は困惑しただろう。でも島田たちの言う通り、彼女の隣にいるべきではないと思ったし、俺なんかが彼女の時間を奪ってしまっていることが申し訳なくて、彼女に合わせる顔がなかった。
その翌日、彼女はいつも通りに話しかけてくれたが、俺は応えられなかった。彼女が話しかけてくる回数は徐々に減り、やがてクラス替えで彼女とは別のクラスになって、接点はなくなった。自分勝手ではあるが、寂しかった。けれど一方で、ほっとしている自分がいたことも確かだった。
彼女のことを想うなら、彼女を忘れよう。
そう、本気で思っていた。

