渡真利渉君。彼は、私の初恋の人だ。当時は、その気持ちが恋なのかわからなかった。いや……実は今でもよくわかっていない。けれど、男の人であそこまで一緒にいて心地よかった人を、私は渡真利君以外に知らない。一緒に帰ったり、一緒に勉強したり、ちょっとファストフード店でご飯を食べたり。友達となんら変わらないような関係だったけれど、あの頃の私にとっては特別な時間、特別な人だった。

 当時の彼はなんていうか素朴な少年といった感じで、こんなにキラキラした人ではなかった。真面目で大人しくて、なんだかいつも緊張しておどおどしていて、彼もまだ高校一年生だったし私の身長が平均よりも少し高めだからか彼との身長差もこんなにはなくて、髪も目にかかるほど長くて、ふわふわと愛らしくて、黒縁の眼鏡が一層可愛いを引き立てているような、そんな感じ。弱々しくて小さなわんこみたいで、守ってあげたくなるような人だった。しかし、こうやって当時のことを思い返してみると随分ーー。

「変わったねぇ……」
「そうか?」
「変わったよ。だってあの頃はもっとさ……」
「芋っぽくて鈍臭かった、だろ?」
「そ、そんなこと言ってない……!」

 言ってはいないが、間違ったことは言っていない。そういう印象は確かにあったけれど、それにしてもひどい言いようで、否定するしかできない。

「はは、いいんだよ別に。実際そうだったし」
「うー……」

 なんていうべきか悩んで、結局唸り声を漏らしただけで口を噤んだ。この話題から話をそらしたくて、私はもらった名刺に視線を落とした。

「え!」

 書かれている会社名を見てギョッとする。私の勤めるデザイン事務所とも付き合いのある、大手の設計事務所だった。しかもーー。

「一級建築士……!?」
「うん」
「すごい……」
「それほどでもないよ」

 一級建築士になるには大学から専門学校で指定していされた科目を修了したうえで一級建築士の試験に合格しなければならない。その試験もすごく難関で、合格率は例年十パーセント前後だ。そんな難しい試験を突破してもすぐに一線で活躍できるわけではなく、国交省の定める業務に従事し実務経験を積まなければならない。彼は長い年月を努力し続け、こんなに立派な人になったのだ。それは本当にすごいことだし、誇るべきことだ。

「いや、ほんとにすごいよ! 頑張ったんだね」

 彼は視線を逸らして頭を掻き、小さく「ありがと」と呟く。褒められるのが恥ずかしかったのか、彼はすぐに話題を変えた。

「神楽さ……いや、さち……神楽は? 今なにしてんの?」

 「神楽さん」と呼ぶか「福」と呼ぶか迷って、結局「神楽」に落ち着く渡真利君が、あの頃と重なる。可愛い。けれど態度に出したら失礼なので、なにも気に留めていないフリをして続ける。

「ベリーズデザインっていう事務所でインテリアデザイナーしてるの」
「……へえ。夢、叶ったんだな」
「……うん」

 付き合っていた頃、勉強しながら夢を語ったことがある。家づくりに携わる父を尊敬していること、インテリアデザイナーになりたいこと、いつか、父と一緒に仕事がしたいこと。昔からの夢だったから、それに向けて勉強する習慣ができていた。いろんな選択肢を選べるように高校は名門進学校を選び、やがては建築、デザイン、造形が学べる大学を受験するつもりだった。それは叶わなかったけれど、夢を語る私に、彼は自分のことのように楽しそうに「素敵な夢だね」と言ってくれたことをよく覚えている。

「一緒に仕事する日も近いかもな」

 彼が冗談ぽく言う。

「かもね!」

 私も戯けたように言って見せた。

「……さて。せっかくこうして会えたことだし、お互いの近況報告はここまでにして、そろそろ本題に入ろう」
「本題?」
「俺たち一応母親同士の紹介で会ったわけだし、一応それっぽいことしておくか?」
「……え?」

 これはいわゆる、デートというものだろうか。一体どういうつもりなんだろう。高校の頃はよく二人で出かけたけれど、そのときのそれとは訳が違う気がする。もし……もしも渡真利君が恋愛を前提としているのだとしたら……私には無理だ。そんな経験もないし、なによりようやくデザイナーとして半歩踏み出したこのタイミング。今は、仕事に集中したい。

「あ、変な意味にとらえんなよ。十二年ぶりの再会を祝してさ、メシでもって意味。それにさ、また会うことになったって伝えた方が、神楽のお母さんも安心するだろ? 神楽に男の気配が一切ないこと、心配してるみたいだったし」
「ああ……まあ、そういうことなら」
「ん。じゃあ決まり」

 こうして私たちは連絡先を交換し、後日再び会うことになった。私たちの縁は、再び繋がれた……らしい。