それから、気まずい雰囲気のまま私たちは病院を出た。そんな中でも彼は私を家まで送ると言ってくれた。断ろうと思ったけれど、また倒れたら大変だ、と彼が言うので、今度は素直に言うことを聞くことにした。

 アパートの前で今一度今日のお詫びとお礼を伝え、私たちは別れた。私のことを第一に考えていてくれたであろう彼に酷い言い方をしてしまった自覚はあるが、間違ったことは言っていない。すべて本心だった。それでも、せっかく偶然の再会を果たした彼と、もう仕事以外で話す機会はないのだろうと思うと、少し寂しい。

 そんなことを思いながらアパートの階段を登って三階に到着すると、奥の角部屋、私の部屋の電気がついていることに気がつく。

 朝、確かに消して家を出たはずなのに、どうして……。

 鍵を差し込み回してみると、空回った。鍵も開いているようだ。まさか、と思い、私は勢いよくドアを開け、短い廊下をぐんぐん進んでリビングのスライドドアを思い切り開ける。

「……びっくりした〜!」
「お母さん……!」

 そこには、キッチンで料理をする母の姿があった。

「え、なんでいるの?」
「倒れたって聞いて、慌てて来たのよ」
「え、聞いたって、誰に?」
「そんなの、渉君に決まってるでしょう?」
「お母さん渡真利君の連絡先知ってるの?」
「もちろん」
「え、なんで?」
「なんでって……ああ、そうだったわね。福には、私と渉君のお母さんが再会して、それであなたたちを引き合わせたって伝えてたけど、あれ、違うのよ。本当は……渉君が直接私を訪ねてきたの」
「……え?」
「福さん、今どこでなにをしていますか。幸せに暮らしていますか。夢は叶いましたか。福さんに会いたいです、ってね。渉君のこれまでの十二年間のことを教えてくれたわ。福のことを、すごく想ってくれているのね」
「でも……渡真利君は……」
「彼、本当にいい人ね」
「え?」
「今日もね、福が倒れたこと、彼が教えてくれたんだけどね……電話口で、すごく謝られたわ。福さんを危険な目に遭わせてしまったって。そんなこと、彼のせいじゃないのにね」
「……うん」
「心配だから病院に行くって伝えたらね、『僕が責任を持って、必ず無事に送り届けるので、お母さんは家でなにか美味しいものを作って待っていてもらえませんか』、『福さんたぶん、晩御飯食べてないので』って言うのよ。福のこと、ちゃんと見ていてくれてるんだって、お母さん、なんだか嬉しかった。……ねえ福?」
「……なに?」
「自分のことを気にかけてくれる人がいるって、愛してくれる人がいるって、すごく幸せなことなのよ。ほら、お父さんも言ってたでしょ。ほら、『幸せにいきていきたいならーー』

『愛を受け止めることだ』

 そうだ。お父さん、いつも言っていたっけ。

 今までずっと、自分の人生を生きることに必死だった。誰かからの好意も、自分に必要ないと判断すれば切り捨てて生きてきた。相手の気持ちなんて考えもせずに。今回だってそう。渡真利君は、私のために変わろうとしてくれた。

 渡真利君も、自分の人生を生きたほうがいいよ。

 この言葉は、努力してきた彼のこれまでの十二年間を、彼の愛を、私は、否定するものだったのかもしれない。彼に仕事をセーブしたらと勧められたとき、確かにショックだった。でも、私も彼に、同じことをしたんだとしたらーー。

「ごめんお母さん、私、ちょっと行ってくる」

 私は玄関を飛び出す。どこに向かうつもりなんだろう。自分でもわからない。彼に会いたい一心だったけれど、彼の家なんて知らない。最寄駅すらわからない。闇雲に走り回ったって、会えるわけない。だから私は、賭けてみることにした。あの場所に。