彼は悪魔

 新歓コンパは1次会は居酒屋、2次会はカラオケ店でお開きになった。

 カラオケ店ではミチルが何曲も続けて熱唱した。

 「1度マイク持つと離さないタイプかよ?」

 他の新入生たちも歌いたがったが、

 「姫が最優先だよ!野郎の歌なんて聞きたくねえの!」

 と、ケンが凄んで黙らされた。

 ミチルは男に媚びるような甘ったるい声で、

 「玉ネギ~!玉ネギ~!」

 と、歌っていたが昔の曲なのか誰も曲名は知らなかった。

 「ミッチー最高!ディーバ!ディーバ!歌姫降臨!!」

 ケンは席から立ち上がって熱烈に歓声を上げている。

 「あの先輩、なんか暑苦しい」

 私の左隣の名前は知らない新入生の男子が、ぼそっと呟く。

 「やっぱり、そう思う?」

 「当然ですよ!あのミチルってヤツも最初は俺ら新入生みんなにすり寄ってきて!それで相手にされないと……。あ、ちょい見ててくださいよ」

 私が尋ねたその男子は、歌い終わって席に戻るミチルを顎でしゃくる。

 ミチルはケンの隣に座るかと思ったら、なぜかBくんの席に向かった。

 Bくんは私たちから少し離れた喫煙席でタバコを吸っている。

 ミチルはなにくわぬ顔でBくんの隣にチョコンと座ると、人差し指で彼の頬をつつこうとした。

 「ぷみぷみ?」

 「やめろよ!一服してる時くらい邪魔するな!」

 Bくんは鬱陶しそうに眉をしかめると、片手を振ってミチルを追い払った。

 そのままミチルは怒るでもなく、すごすごとケンの隣の席に帰って行く。

 「サークルでもいつもあのパターンなんすよ!B先輩に粉かけて拒否されると、山崎先輩に慰めてもらうってのが」

 新入生があざ笑うように指をさすと、ケンが早速ミチルの頭に手を乗せてポンポンと撫でている。

 「あいつタバコ吸わないとやる気が出ない、やれん人なんだよ。だろう、B?やる気なし男!!」

 ケンはミチルの機嫌をとるために、Bくんをからかっていたが、肝心の彼は知らん顔でタバコを吹かしていた。

 「なるほど、サークルの男子全員に声をかけて、食いついたのはケンだけだったのね」

 これでやっと合点がいった。

 なぜミチルがお世辞にも美男子とは言えないケンに、猛然とアプローチするのか分からなかったからだ。

 ミチルは特別にケンに惹かれたというよりも、ケンにしか相手にされなかったということだ。

 カラオケ店での2次会が終わり、私たちはその場で解散した。

 時間は午前零時を回る頃だった。

 そのことを知ったミチルが、突然店の外で奇声を上げた。

 「健康的な生活で、涙がちょちょ切れるわ~!」

 途端にそばにいたBくんの表情が曇る。

 幹事として店の手配と予約はすべてBくんが1人でやってくれた。

 それは今後、新入生たちに気持ちよくサークル活動に参加してもらうためだ。

 お膳立てをすべて他人任せにしておいて、何?その言い方?

 「そんなに睡眠時間が大事なら、1次会で帰ればよかったのに」

 「イヤ!!」

 苛立つ私の言葉に、ミチルも応戦した。

 まだ無神経なことを言うなら、ケンカになっても構わないと思ったが、ミチルはそれ以上は何も言わなかった。

 メンバーはそれぞれ徒歩で帰り、帰る方向が同じ部員が1人減り2人減りして、最後は私とBくん、そしてケンとミチルが残った。

 「晴美さんは俺が送りますから、山崎さんは川原をお願いします」

 Bくんは私に気を使ってくれて、ケンたちから引き離そうとしてくれた。

 しかし、ミチルと2人きりになるチャンスをなぜかケンは棒に振った。

 「ああ?いいよ、2人は俺が送ってくからお前は帰れ」

 「だけど……」

 「両手に花がいいんだよ!邪魔すんなよ!」

 心配そうに私を見つめるBくんに私は言った。

 「大丈夫だから。Bくんは先に帰って。今日はいろいろありがとう」

 私は自分でも頼りない笑顔だと思いながらも、Bくんに手を振った。

 Bくんは何度も私を振り返りながら、黙って夜道を帰って行く。

 ミチルのアパートに向かいながら、私とケンとミチルの3人は、しばらく押し黙って歩き続ける。

 するとケンが何かを思いついたのか、突然話しかけてきた。

 「ミッチーを送ったあと、お前んちで一休みするからそのつもりでいろ」

 「結構よ、送らなくて。こんな夜中に来ないで」

 私は拒否したがそこであきらめるケンではない。

 「この人の部屋さあ、塵一つ落ちてないんだぜ」

 ケンはいかにもイヤそうな顔をして、私のことをミチルに話す。

 「私の部屋の隅なんて、埃と髪の毛がいっぱいですよ~!」

 ミチルとケンは顔を見合わると、ケタケタと大笑いした。

 まるで掃除の行き届いた部屋は、悪いと言わんばかりだ。

 この2人は汚いもので、生来気が合うことだろう。

 「お前、ミッチーのお母さんになれよ。お前の方がかなり年上だし」

 ケンは『かなり』という部分にわざとアクセントを置く。

 そしてなにくわぬ顔で歩きながら、ミチルの頭をいい子いい子と撫でている。

 私にミチルの部屋を掃除しろ、とでも言っているのだろう。

 そんなこと、嫌に決まっている。

 なのにミチルはケンの話を真に受けたのか、黙って私の顔を見上げた。

 上目遣いで、まばたき一つしない。

 口を真一文字に結び、能面のように無表情で照れや笑顔もない。

 「気持ち悪い顔」

 私は心の中で呟く。

 しかも彼女のこの表情――――。

 ケンが私をバカにしている時と、まったく同じだ!!

 「ああ、娘ね?」

 これ以上、彼女に凝視されたくない!

 私はミチルの気味悪さから逃れたくて、仕方なくそう言った。

 するとミチルは突然、耳をつんざくような奇声を上げた。

 「ビクトリー!!」

 夜の路上で立ち止まると、Vサインを夜空に高々と掲げる。

 私を屈服させたのが、たまらなくうれしいらしい。

 「この女もケンと同じで、少しおかしい……」

 私は彼らの後を歩きながら、なんとも言えない嫌悪感に身震いしていた。

 やっとミチルを部屋に送り届けると、私はアパートの外で一息つく。

 そこに部屋まで行ったケンがアパートから戻って来ると真顔で言った。

 「あんた、足搔いているように見える」

 「え?」

 また何か言いがかりをつける気か、と私はうんざりした。

 「お前の方が先輩なんだから我慢しろ!可哀想だし!今日なんかあの娘、1人で淋しそうにしてただろう!?」

 「淋しそう!?ずっと、イヤな思いをさせられていたのは私の方じゃない!」

 「そうだね」

 珍しくそれ以上たたみかけてこないと思っていたら案の定、ケンはミチルに気を使っているだけだった。

 その証拠に、ミチルは絶妙のタイミングて道路沿いの窓を開け、2階の部屋から顔を突き出した。

 「どうしたんですか~?すっごい大きな声?」

 「ああ、なんでもないから寝ててよ、ミッチー!」

 ケンは慌てて両手を振ると、

 「行くぞ」

 と、私の腕を強引にひっぱる。

 そして2、3歩歩くと思い出したようにミチルに叫んだ。

 「お兄さんがいつ来てもいいように、体洗って待ってろ!」


 「ううん~?」

 ミチルは不思議そうに小首をかしげると、ケンの姿が見えなくなるまで窓から見つめていた。