彼は悪魔

 サークルの私より一つ下で、後輩のBくんからスマホにメッセージが来た。

 「サークルに新入生が入部しました。新歓コンパがあるので来ませか?」

 4回生になって、私はほとんどサークルには顔を出していなかった。

 ケンの下宿に行って以来、サークルでは私はケンの彼女だと誰もが思っていた。

 そもそもケンがサークルで、私と交際しているだの、キスしただのと吹聴して回ったらしい。

 それをケン本人から聞いた時には、私は前後も考えず、激怒した。

 「なんでそんな恥ずかしいこと、他人に話すの!?」

 「大丈夫大丈夫!Bは口が固いから!」

 Bくんが問題じゃなく、あんたの口が軽いんでしょう!?

 ケラケラ笑い転げるケンに、何とも言えない軽蔑を感じたのを今もはっきりと覚えていた。

 「新入生が入ったなんて、そんなこと言ってなかったけどな」

 2週間前に部屋に来た時にはケンはそんな話はしなかった。

 あの男は今でもサークルには顔を出しているから知らないはずはない。

 あまり気乗りしなかったが、Bくんは真面目で熱心にサークル活動をやってくれている。

 詩や小説を書き、年2回の同人誌の発行も、彼が入部してから軌道に乗った。

 「Bくんより上は卒業して、1人で大変だろうな」

 あまりやる気のない部員全員から原稿を集め、校正し、印刷、製本と今はBくんが1人で切り盛りしていた。

 頼りないが私だって先輩だ。

 Bくんの力になれることもあるかもしれない。

 それに文芸部のような地味なサークルに入部した、真面目な新入生にも会ってみたい。

 私は参加の返信をBくんにした。

 新歓コンパ当日の夕方。

 私は久しぶりに部室にやってきた。

 学生会館の2階にある部室前の広い休憩スペースには、テーブルと椅子が7セット置かれている。

 その一つにBくんとケンが座っていた。

 「変な奴が来たじょ!バカが来たじょ!バカ女が来たじょ!」

 ケンは上目遣いに私を睨むと、からかい出した。

 「あれぇ~?お前コンパにだけは来たの~?恥ずかしいヤツ!!今日、コンパがあるって、どこで嗅ぎつけたんだよ?」

 「俺が誘ったんですよ。文句なら俺に言ってください、山崎さん」

 ケンの向かいのテーブルに着いたBくんが、ケンをたしなめた。

 「ああ?お前?何だよ、晴美に気があるの?」

 ケンはBくんもからかおうと軽口をたたいたが、彼に眼鏡越しに睨まれて、そのまま視線を泳がせた。

 「あ、姫が来た!おおい!こっちこっち!ミッチー!!」

 ケンは階段を上ってきた女性に、立ち上がって大げさに両手を振った。

 「お兄ちゃ~ん!!ミチル来たよ~!!」

 「あれが新入生の川原ミチルですよ」

 Bくんは小声で私に囁いた。

 息を弾ませ、テーブル席まで走って来たのは、丸顔のコロンとした体型の可愛らしい女性だった。

 「主賓が来たから店に行くか?」

 「まだみんな揃ってませんよ。それに予約は7時です」

 ケンが大はしゃぎで提案したが、Bくんはにべもなく却下した。

 「まだ30分もあるじゃねぇか?気の利かないヤツ!」

 ケンはBくんに文句を言うが、彼はそっぽを向いた。

 Bくんに相手にされないケンは今度はミチルの機嫌を取り始めた。

 「とりあえずお兄さんの隣に座る?あ、それから、コイツは晴美おばさん。お兄さんの彼女」

 「カノジョ~?」

 へらへら笑うケンの言葉に、ミチルは不満げに眉をしかめた。

 「おい、みゆき!じゃなかった、晴美!」

 ケンは昔の恋人の名前と間違えたふりをして、まるで古女房を呼ぶように私を呼びつけた。

 「みゆきって、何?」

 「あっはっは!怒こったぁ~?」

 ケンは首をねじって私の顔をのぞき込むお得意のポーズをすると、ミチルと遊べと言い出した。

 「女の子同士でバトミントンでもして時間潰せよ。部室にあっただろう?取ってこい」

 誰が行くものか!

 私を他の女のご機嫌とりに使わつもり!?

 「俺が取ってきますよ。晴美さんは座っててください」

 Bくんは険悪な雰囲気を察知して、椅子から立ち上がり、部室に入った。

 そしてすぐにバトミントンセットを持ってくると、ミチルに渡しながら釘を刺す。

 「言わなくてもこのくらいわかると思うけど、晴美さんは俺たちより先輩なんだから、きちんと敬語で話すんだよ」

 「ううん?」

 とぼけているのか、本当にわからないのか。

 ミチルは不思議そうな顔をすると、バトミントンを手に、自分だけさっさと階段を下りて行った。

 私は仕方なく彼女の後を追った。

 学生会館の裏で待っていたミチルとバトミントンを始めたが、彼女も私も無言だった。

 「川原さんはなんで、うちのサークルに入ったの?」

 沈黙に耐えられず私はミチルに話しかけてみた。

 「別に」

 ミチルはケンと話す時とは別人のように、ぶっきら棒に答える。

 「そう……。じゃあ、何かニックネームみたいなのある?」

 名字で呼ぶのもなんだからと尋ねてみると、ミチルは無表情でこう答えた。

 「宇宙生命体バツ×です」

 「ふうん……変わってるね」

 なんと返していいか、わからない。

 この娘、何だか変わってるなと思うばかりだ。

 「でもお兄ちゃんは、姫とかミッチーって呼んでくれます」

 ミチルはお兄ちゃんとケンを呼ぶ時は、打って変わって満面に笑みを浮かべた。

 「あたし、地元に彼がいてこっちに来る日は、彼氏が駅まで見送りに来てくれたんですよ!会社休んで」

 「へぇ、よかったね」

 それにしては、ケンとはかなり親密に見えるのはどういうことだろう?

 私が腑に落ちないでいるとミチルはニコニコしながら、こう言い放った。

 「でも今は、お兄ちゃんにしようか、地元の彼氏にしようか、心が揺れてるんですぅ~!」

 私とミチルの会話はこの後、途切れた。

 この娘、私に嫌みを言っているの?

 何だか、嫌な人だ。

 その後も私とミチルはBくんが呼びに来るまで、黙々とシャトルを打ち続けた。

 集まったサークルのメンバーと合流して、Bくんが予約した居酒屋に行く。

 長テーブルのある座敷に上がると幹事のBくんが乾杯の音頭をとった。

 それぞれがウーロン茶やジュース、ビールや酎ハイで乾杯し、和やかな雰囲気になる。

 私はケンから離れて、Bくんの隣に座った。

 ケンとミチルはみんなとは少し離れて、テーブルを挟んで向かい合わせに座って談笑している。

 「サークルの調子はどう?」

 「まあまあですね。夏休みの合宿も決まったし、今年は新入生が5人も入って、廃部だけは免れそうですよ」

 私が話しかけると、Bくんはほっとしたようにそう答えた。

 「部員が5人を切ると同好会に格下げだものね」

 「そうなると大学からのサークル運営費が無くなるので、年2回の同人誌の発行が厳しくなりますからね。ちょっとどうかと思う部員でも、追い出すわけにはいかないんですよ。すみません」

 Bくんはチラリとミチルに目をやると、私に頭を下げた。

 「そんなこと気にしないでよ。私はもうサークルを引退したみたいなものだし。それより、他の新入生は――――」

 私は他の4人の新入生と話がしたくて、Bくんに紹介してくれるように話そうとした時だった。

 「や~ん!お兄ちゃんたらぁ~!ミチルのスカートの中に足入れないでよ~!」

 「なに言ってんだよ、ミッチー?お兄さんそこまで足長くないだろう?」

 ミチルが座布団に座ったまま、スカートの裾を両手でパタパタはたいていた。

 「でも、気持ちよかった?」

 「バカ!」

 ニヤつくケンの顔に、ミチルは自分が使ったおしぼりを投げつけた。

 けれど真剣に怒っているわけではなく、ミチルもケンもじゃれ合っているのは明らかだった。

 「あの2人、サークルではいつもあんなふうなの?」

 「すみません、川原に注意して来ましょうか?」

 Bくんは腰を浮かしかけたが、私は片手で彼を制した。

 「いいの、ちょっと様子が見たいから」

 「……はい」

 Bくんは私の意図を察したのか、眼鏡のフレームを押さえながら座り直した。

 もし、ケンとミチルが男女の関係になっているなら――――。

 「俺のそばは危険だから、他の席に移れば?」

 「ミチルはお兄ちゃんの膝の上がいい!」

 「お兄さんの膝に乗ると子どもができるよ」

 「ううん?」

 ミチルはケンの冗談に小首をかしげる。

 そして何を思ったのか、そのまま頭を長テーブルの下に突っ込んだ。

 テーブルと畳の隙間は20センチ程度だ。

 だが驚いたことに、ミチルは腹ばいになるとスルスルとテーブルの下をくぐり抜け、あっという間に向かい側に座るケンの股の間に顔を出したのだ。

 「お兄さん、ボーゼン!」

 ケンは目を見開き驚いた。

 「ミチル、高校の時、新体操してたから体は柔らかいの!」

 ミチルはそのまま、スルスルとテーブルから這い出すとケンに正面から抱きついた。

 「蛇女みたい……」

 肉感的な体をクネクネと動かすミチルの姿に、私はなんとも言えない嫌悪感を抱く。

 「川原、いい加減にしろ!山崎さん、あんたも悪ふざけが過ぎると店からクレームがきますよ!」

 たまりかねたBくんが声を荒げると、

 「お兄さんは被害者なんだけど」

 と、ケンは嬉しそうに笑っている。

 「もう!そんなミッチーには、畳に壁ドーン!!」

 調子に乗ったケンはクルリと半回転して、ミチルを床に組敷く。

 そして両手で彼女の両腕を、畳に押さえつけた。

 ミチルは身じろぎもせずに、下から何かを期待するような顔で、じっとケンを見上げている。

 やっぱり、この2人は間違いない――――。

 「ちょっとあんたら、大学生のくせに、たいがいにしてくれない!?店から出ていってもらうよ!!」

 居酒屋の女性オーナーが座敷に怒鳴り込んでくるまで、ミチルとケンは人目もはばからずじゃれ合っていた。