たまたまスーパーの帰りに出くわした日、オレがあの真山だと知った椿さんの反応はとても可愛かった。本当に、良い意味でギャップのある人だ。きっとこちらが本来の姿なのだろう。

 仕事で接するだけでは知り得なかった、彼女のくるくると変わる表情や意外な弱点。マンションまでの十分間、話せば話すほどに彼女に惹かれていく自分がいた。
 
 そしてふと気づく。家族とごく僅かな親しい友人以外には敬語がデフォルトだったオレが、椿さんと話している時にはそれがたまに抜けているということに。

 一線を引くためのバリアーの役割をしている敬語。それが無意識に外れるということはつまり、そういうこと。というかそもそもこの姿の自分を明かそうと思った時点で、すでにそういうことだったのだと思う。

 今まで何度か彼女と呼べる人がいたこともあったが、家に呼んだこともなければこの姿を見せたこともない。敬語すら崩したことがなかった。だから告白されて付き合っても長続きせず、最終的に「何を考えているかわからない」と言われてフラれるのが常だった。

 それなのに、椿さんを前にして外れかかっているバリアー。彼女ともっと話してみたいと思っている自分。下手くそな絵を添えたメモ。息抜きを口実にした屋上への誘い。

 今まで人に執着などしてこなかったのに、どうしてか椿さんにはもっと近づきたい、オフの気の抜けた姿をもっと見せてほしいと思ってしまう。
 
 ── それから土曜日の定番となったスーパーからの屋上。
 
 彼女の声も話し方も雰囲気も、その全てがまるで爽籟(そうらい)のようで、二人で過ごす時間はとても穏やかで心地がよかった。