最短距離

「岡田さん、ごめん」

 何に対する「ごめん」なのか、自分でもよく分からなかった。僕が彼女を不快にさせたといえばそうだ。けれど、彼女もまた、自分自身の正義の中で勝手に傷ついていたのには変わりない。

「私も、ごめん」

 彼女の頬にはもう水滴はなくて、代わりに紅く染まっていた。
 彼女の想いを聞いてしまったいま、その頬に差す紅はやわらかに輝き出す。

「好きだって言ってくれて、嬉しかった。でも、僕たちそんなに話したことなかったよね。どうして僕のことをそんなふうに思ってくれたの」

 反則だろうか。彼女の気持ちに今すぐ応えられるわけでもないのに、こんなことを訊くのは。
 けれど彼女は、僕の質問を不快だとは思っていない様子で、ぽつりぽつりと話しだした。

「板倉は覚えてないかもしれないけれど……。小学生の頃、あなたに助けられたことがあったの」

「……うそ」

 小学生のとき? 彼女と僕は違う小学校だ。彼女とは中学で初めて出会った……はず。
 しかし彼女はそうではないと首を振る。どうやら本当に僕が覚えていないだけらしい。

「三丁目の交差点で、私、横断歩道のど真ん中で転んだことがあったの」

 三丁目。
 交差点。

「あ」

 思い出した。三丁目と言えば、僕が通っていた小学校の、隣の小学校のテリトリーだ。
 その交差点で、確かに女の子が転ぶのを見た。それで、その後は——。

「車で運転してる人や道ゆく人たちに見られて、とても恥ずかしくて。立ち上がれずにいたら、あなたが私の腕を引っ張ってくれた」

『大丈夫。ほら、深呼吸しよ』

 僕はそう口にしたのだ。その言葉を、彼女は今でも覚えてくれていた。僕自身、小学校の時から陸上クラブに入っていたから、走り出す前にルーティンでしていたことだ。

「あのとき、あなたがそう言ってくれたから、私は立ち上がることができたの。遅くなったけど、本当にありがとう」

 茜差す道の真ん中で淡く微笑んだ彼女の顔が、この上もなく美しい。
 どうして今まで気づかなかったのだろう。僕の本当の恋は、こんなところに眠っていたのだ。

「岡田さん……僕の方こそありがとう。おかげで目が覚めた」

 よし! と拳を握り、立ち上がる。へたりこんでいた彼女に、もう一度手を差し出して。

「一緒に帰ろう」

 彼女が手を伸ばす。繋がれた手が温かく、心まで沁みてゆく。

 僕はもう、最短距離なんて目指さない。

 きみ(・・)との距離が少しずつ、埋まっていけばいい。




【終わり】