「君に花を贈る」番外編……各所の花壇にて

「藤乃くん、私ね、好きな人ができたの」

  そのときの俺は、たぶん間抜けな顔をしていたと思う。
  あの頃、俺は家業に本格的に関わるようになって二年目。母の日の繁忙期が終わって、一週間ほど経ったころだった。
 金曜の夕方、高校の制服姿でやってきた葵にそう言われて、俺はひどく動揺した。

「なんだ、葵。いきなり」
「あのねえ、話せば長いんだけど……」

 話を聞いてみれば、それほど長い話でもなかったけど……正直、けっこうショックだった。
 葵がひどい目にあったことも、それを俺に相談しなかったことも、知らない誰かを好きになったことも。
 ……最後のは、ちょっと自意識過剰かもしれない。葵はいつまでも、小さくてかわいかった赤ちゃんのままじゃない。
 今では、この辺りでも有名な進学校に通っていて、その制服もすっかり似合う立派な高校生だ。やがて大学生になって、社会人になって、俺の知らないところで幸せになっていくんだろう。

「藤乃くん?」
「……あ、ごめん。そっか……」

 葵に言えることなんて、何もなかった。
 安易に慰めるのも、役に立てなかったことを詫びるのも、ましてや自分の情けなさを謝るのも、どれも違う気がした。

「なんだかさ、俺の知らないうちに、すっかり大きくなったな」
「藤乃くん、なんだか親戚のおじさんみたい」

 笑う葵がやけにまぶしく見えて、俺は目を細めた。

「あとね、ここでバイトするから」
「バイト? ……お前の高校って進学校だろ。バイトなんてしていいのか?」
「理人がやるって言うからさ。特例だけど、学校にもママさんにも許可をもらったよ」
「は?」

 聞けば、理人と葵は学年トップ2で、社会見学って名目で、成績を学年5位以内に保つことを条件にバイトが許されて、うちの母親も口添えしたらしい。

「理人に引っ張られて、お前まで行動力ついたな……。まあ、いいことだけど」
「ふふ、そうでしょ。大学を出るまでは、ここで働かせてもらうつもりだから。よろしくね、藤乃くん」
「はいはい、頼りにしてる」

 伸ばしかけた手を、そっと引っ込めた。

 ……弟子のほうが先に、師匠離れしてしまって。俺はまだ動揺が収まらないけど、きっと潮時なんだろう。葵が何を考えてるのかなんて、俺にはまったく解読できない。