中腹にある休憩所は人でごったかえしていた。儀式もいよいよ大詰めであり最高潮を迎える準備を整えている。
今日初めてここに登るソグの高僧もいればこの長い階段を何十往復した僧もおり、誰も彼もが自らの職務を全うし他のことなど目に入らない状況であった。
ジーナは来ないだろう、と誰かは思っているだろうし、そもそもジーナのことなど頭の中に少しも思っていないものが大半であろう。
彼は幻と化し、龍の儀式の光の前に胡散霧消している。
地下迷宮に入ったというが、あそこからどうやってここまで昇るのか?
だいたいここに出口があるのならもうとっくのとうに見つかっているはずだ。
ここに繋がっているという前提がおかしいのでは?
そんなものが作られてあるというのはあくまで仮説であり、考えてみるとおかしな話だ。
龍がここから、祭壇所から逃げるとでもいうのか? いったいどこに?
龍以外なら逃げるということもあり得るが、そんなもののために何故謎の裏階段を作るのか?
そもそもどうしてここから龍以外のものが逃げる? だいたい逃げるのならこの表の階段を降りていけばいいだけの話だ。
警戒しているが儀式の最中は階段から門にかけて多数の兵が配置されている。いくら強くたってそれを突破することはありえない。
全ては杞憂、緊張感の提供に過ぎない。儀式は無事に完了するのだ。
等々、余裕を持ったものたちの軽口を背中で受けながらシオンは階段を昇っていく。
階段の手前に侍る兵も自然と脇に退いた。いまこの時刻は誰もこの階段を昇ることは許されない。
龍の休憩時間であるからだが、龍の騎士は進むことができる。それともう一人、帯刀を許されたハイネだけだが……
それが降りて来るのをシオンは見上げながら気づき、このペースなら階段の真ん中付近にて行き会うだろうと検討をつけた。
だがそうはならずハイネの下りは如何にも、遅い。
そこに躊躇を、または隠し事さえあるとシオンには思わせた。怪しい。
シオンは階段の真ん中を通過し上へ上へと昇っていく。
迷いはなく、それどころか勢いづけて一段飛ばしにもなって向かっていく。
その、疑惑に向かって。徐々にハイネに近づきその表情がはっきりと見えて来る。
ハイネのその可憐で清らかな微笑み。
見慣れたものであり、挨拶の前の挨拶であり、ハイネといったらまずこれを思い浮かべるほど昔から変わらぬそれ。
微笑み返すもののシオンは意識を戻し、その脚を見る。止まったその脚。ほら、立ち止まっているとシオンは確信する。
私だけが知っているあなたの秘密、それ。ハイネは何かやましいことを抱いている時は、動きが鈍く止りがちなのをシオンは知っていた。
二人は階段の中段より少し上で同じ段に立つ。にわかに全身が強張り息を整えながらハイネを見る、見下ろした。
綺麗な赤い瞳を左右に微かに泳がせながら見上げ見つめてくる。だから私は分かる、あなたはなにを隠しているということを。
「姉様、私に何か隠しごとでもございませんか?」
同じ手を、先手を撃たれシオンは息が止まる。私はどんな合図を送っていたのだろう?
「今まで黙っていましたけれど、姉様は隠し事をしている時はちょっと速足になるのですよ?」
私は歩くのが早くなり、ハイネは遅くなり、その結果の距離がここだというのかとシオンは階段の下を見、そして階段の上を見上げる。
「ご存知ではなかったでしょう? これとっておきの姉様の秘密でして、他の誰も知らないかと思います」
他の誰もというのならあのヘイムも、とシオンはその名をすぐに思い出せることの痛みと幸福に内心で笑い、またヘイムの自分ですら知らないであろう癖のいくつかを思い出す。
「ほら、いまもなにか秘密のことでほくそ笑んでいますよね?」
「その通りですよハイネ。ちなみにあなたは私の逆で、歩くのが遅くなっていると私はみますね」
指摘するとハイネは動揺し自分の足を見る。そんなことじゃわからないのに、熱心に見ていた。
「歩くのを止めたがるのもそうですよ」
「えっそうなのですか? やだっ、すごく分かりやすいじゃないですか。いまだってそうでしたし」
「案外あなたは分かりやすい人ですよ」
「違いますよ。付き合いが長いからあなたには分かってしまうのです。姉様だけですよそれを知って、私だけです、それを知るのは。私達はそれだけ長い年月を共にしてきたのですから」
何故こんな会話をしているのだろう?
まるで幼い娘同士のように互いの秘密をさらけ出しながら教えながら、二人だけの絆を作りあげ縛り付けるかのようなこの行い。秘密の内容よりも行動により重きを置くこの行い……
「それで姉様。あなたはいま新たな秘密がありますよね」
「あります、ね」
「私にもあります」
「それは分かっています」
「知りたいですね」
「知りたいですよ」
だが、それはお互いに秘密のままであるという合意がどうしてか二人の間に既に交わされているとシオンは感じ取っていた。
それは語らなければならないことではないのか?
交換し合わなければならないものなのではないのか?
それを以って解決し合うというものではないのか?
だが反論もなく言葉すらなく感覚的な同意のもと、契約はなされてしまい、だから触れることができた。
シオンは微笑む、ハイネと同じように。
「ではそれが何であるのか、お互いに当てましょうか?」
「良いですねそれ。私は何を隠しているのでしょうか?」
「私はどのような秘密をもっているのか?」
声は依然として変わらないな、とシオンはハイネの声を聞きながら思う。士官学校に入った時に出会ったのはもう何年前か。
はじめて言葉を交わした際の声は耳の奥に残っている。その緊張している声は今と変わらない。
目を合わせ次の言葉を言うのを待つこのひと時、ハイネの顔は幼さを戻し、初めて出会った頃のと同じかなとシオンには見える。
私達は本質的には何も変わってはいない。ずっとあの時からの延長線上にあり、そのまま行くのだろうとしか思えない。
そう思った時に二人は息を吸い互いの手を取りその場で、跳んだ。
「姉様は顔色が悪いのにどこか楽し気ですが、ジーナとどのような話をしたのですか?」
「ハイネは服が埃で汚れているのに嬉しそうでしたが、龍の広場で入口でもみつけたの?」
一緒に浮いていた二つの足はお互い地に着いた。一瞬だというのに長い浮遊感に興奮し二人はまだ笑っているが、やはり互いに質問に対して答えようとしない。
答えるつもりなどないから、笑って誤魔化しそれから手を離した。それでいいのだとそれで、と二人は手を離した。
「龍身様は、起きておられますか?」
シオンは声を元に戻しながら聞くとシオンも合わせて声を戻し答える。
「はい。まだお眠りの時間ではありません。いまは広場にて散歩をしておられるかと」
丁度いい時であるな、とシオンは思いながら胸の奥を意識する。そこにあるのは、痕である。
いまは出血が収まり傷口は治りだしている生々しい傷痕。このまま何もせずにそっとしておいたらすぐに治るであろう。
龍の御力により、龍の癒しにより、龍の世を迎えるために。心の指先で痕をなぞると痛みが滲みだし少し、また塞ぎ出しているなとシオンは思うと同時に心の指を突っ込み掻き鳴らすと、痛みと共に血が溢れるのを感じながら、言った。
「ヘイムは、いるのかしら?」
湧き出て口中に血の味がする、だが構うことはない、もう構わない。
その言葉がこの身体を蝕むというのなら好きなだけ傷つけるがいい。そうだ私は……の騎士であるのだから。
尋ねられたのがそんなに意外なのかハイネは目を見開き固まっていた。そうか、とシオンは悲しくなる。
その名を忘れているのが当たり前のように、自分からその名を呼ぶことはなかったというのかと。あなたはそれを知っている。
「ハイネだからこそ聞きますが、龍身様の中にヘイムはまだ残っているでしょうか?」
「どうして私にそのようなことをお聞きになられるのですか?」
今日初めてここに登るソグの高僧もいればこの長い階段を何十往復した僧もおり、誰も彼もが自らの職務を全うし他のことなど目に入らない状況であった。
ジーナは来ないだろう、と誰かは思っているだろうし、そもそもジーナのことなど頭の中に少しも思っていないものが大半であろう。
彼は幻と化し、龍の儀式の光の前に胡散霧消している。
地下迷宮に入ったというが、あそこからどうやってここまで昇るのか?
だいたいここに出口があるのならもうとっくのとうに見つかっているはずだ。
ここに繋がっているという前提がおかしいのでは?
そんなものが作られてあるというのはあくまで仮説であり、考えてみるとおかしな話だ。
龍がここから、祭壇所から逃げるとでもいうのか? いったいどこに?
龍以外なら逃げるということもあり得るが、そんなもののために何故謎の裏階段を作るのか?
そもそもどうしてここから龍以外のものが逃げる? だいたい逃げるのならこの表の階段を降りていけばいいだけの話だ。
警戒しているが儀式の最中は階段から門にかけて多数の兵が配置されている。いくら強くたってそれを突破することはありえない。
全ては杞憂、緊張感の提供に過ぎない。儀式は無事に完了するのだ。
等々、余裕を持ったものたちの軽口を背中で受けながらシオンは階段を昇っていく。
階段の手前に侍る兵も自然と脇に退いた。いまこの時刻は誰もこの階段を昇ることは許されない。
龍の休憩時間であるからだが、龍の騎士は進むことができる。それともう一人、帯刀を許されたハイネだけだが……
それが降りて来るのをシオンは見上げながら気づき、このペースなら階段の真ん中付近にて行き会うだろうと検討をつけた。
だがそうはならずハイネの下りは如何にも、遅い。
そこに躊躇を、または隠し事さえあるとシオンには思わせた。怪しい。
シオンは階段の真ん中を通過し上へ上へと昇っていく。
迷いはなく、それどころか勢いづけて一段飛ばしにもなって向かっていく。
その、疑惑に向かって。徐々にハイネに近づきその表情がはっきりと見えて来る。
ハイネのその可憐で清らかな微笑み。
見慣れたものであり、挨拶の前の挨拶であり、ハイネといったらまずこれを思い浮かべるほど昔から変わらぬそれ。
微笑み返すもののシオンは意識を戻し、その脚を見る。止まったその脚。ほら、立ち止まっているとシオンは確信する。
私だけが知っているあなたの秘密、それ。ハイネは何かやましいことを抱いている時は、動きが鈍く止りがちなのをシオンは知っていた。
二人は階段の中段より少し上で同じ段に立つ。にわかに全身が強張り息を整えながらハイネを見る、見下ろした。
綺麗な赤い瞳を左右に微かに泳がせながら見上げ見つめてくる。だから私は分かる、あなたはなにを隠しているということを。
「姉様、私に何か隠しごとでもございませんか?」
同じ手を、先手を撃たれシオンは息が止まる。私はどんな合図を送っていたのだろう?
「今まで黙っていましたけれど、姉様は隠し事をしている時はちょっと速足になるのですよ?」
私は歩くのが早くなり、ハイネは遅くなり、その結果の距離がここだというのかとシオンは階段の下を見、そして階段の上を見上げる。
「ご存知ではなかったでしょう? これとっておきの姉様の秘密でして、他の誰も知らないかと思います」
他の誰もというのならあのヘイムも、とシオンはその名をすぐに思い出せることの痛みと幸福に内心で笑い、またヘイムの自分ですら知らないであろう癖のいくつかを思い出す。
「ほら、いまもなにか秘密のことでほくそ笑んでいますよね?」
「その通りですよハイネ。ちなみにあなたは私の逆で、歩くのが遅くなっていると私はみますね」
指摘するとハイネは動揺し自分の足を見る。そんなことじゃわからないのに、熱心に見ていた。
「歩くのを止めたがるのもそうですよ」
「えっそうなのですか? やだっ、すごく分かりやすいじゃないですか。いまだってそうでしたし」
「案外あなたは分かりやすい人ですよ」
「違いますよ。付き合いが長いからあなたには分かってしまうのです。姉様だけですよそれを知って、私だけです、それを知るのは。私達はそれだけ長い年月を共にしてきたのですから」
何故こんな会話をしているのだろう?
まるで幼い娘同士のように互いの秘密をさらけ出しながら教えながら、二人だけの絆を作りあげ縛り付けるかのようなこの行い。秘密の内容よりも行動により重きを置くこの行い……
「それで姉様。あなたはいま新たな秘密がありますよね」
「あります、ね」
「私にもあります」
「それは分かっています」
「知りたいですね」
「知りたいですよ」
だが、それはお互いに秘密のままであるという合意がどうしてか二人の間に既に交わされているとシオンは感じ取っていた。
それは語らなければならないことではないのか?
交換し合わなければならないものなのではないのか?
それを以って解決し合うというものではないのか?
だが反論もなく言葉すらなく感覚的な同意のもと、契約はなされてしまい、だから触れることができた。
シオンは微笑む、ハイネと同じように。
「ではそれが何であるのか、お互いに当てましょうか?」
「良いですねそれ。私は何を隠しているのでしょうか?」
「私はどのような秘密をもっているのか?」
声は依然として変わらないな、とシオンはハイネの声を聞きながら思う。士官学校に入った時に出会ったのはもう何年前か。
はじめて言葉を交わした際の声は耳の奥に残っている。その緊張している声は今と変わらない。
目を合わせ次の言葉を言うのを待つこのひと時、ハイネの顔は幼さを戻し、初めて出会った頃のと同じかなとシオンには見える。
私達は本質的には何も変わってはいない。ずっとあの時からの延長線上にあり、そのまま行くのだろうとしか思えない。
そう思った時に二人は息を吸い互いの手を取りその場で、跳んだ。
「姉様は顔色が悪いのにどこか楽し気ですが、ジーナとどのような話をしたのですか?」
「ハイネは服が埃で汚れているのに嬉しそうでしたが、龍の広場で入口でもみつけたの?」
一緒に浮いていた二つの足はお互い地に着いた。一瞬だというのに長い浮遊感に興奮し二人はまだ笑っているが、やはり互いに質問に対して答えようとしない。
答えるつもりなどないから、笑って誤魔化しそれから手を離した。それでいいのだとそれで、と二人は手を離した。
「龍身様は、起きておられますか?」
シオンは声を元に戻しながら聞くとシオンも合わせて声を戻し答える。
「はい。まだお眠りの時間ではありません。いまは広場にて散歩をしておられるかと」
丁度いい時であるな、とシオンは思いながら胸の奥を意識する。そこにあるのは、痕である。
いまは出血が収まり傷口は治りだしている生々しい傷痕。このまま何もせずにそっとしておいたらすぐに治るであろう。
龍の御力により、龍の癒しにより、龍の世を迎えるために。心の指先で痕をなぞると痛みが滲みだし少し、また塞ぎ出しているなとシオンは思うと同時に心の指を突っ込み掻き鳴らすと、痛みと共に血が溢れるのを感じながら、言った。
「ヘイムは、いるのかしら?」
湧き出て口中に血の味がする、だが構うことはない、もう構わない。
その言葉がこの身体を蝕むというのなら好きなだけ傷つけるがいい。そうだ私は……の騎士であるのだから。
尋ねられたのがそんなに意外なのかハイネは目を見開き固まっていた。そうか、とシオンは悲しくなる。
その名を忘れているのが当たり前のように、自分からその名を呼ぶことはなかったというのかと。あなたはそれを知っている。
「ハイネだからこそ聞きますが、龍身様の中にヘイムはまだ残っているでしょうか?」
「どうして私にそのようなことをお聞きになられるのですか?」


