全身から血の気が引く音をジーナは聞いた。
「可哀想にしてはいけませんよ。幸せにしてあげないと」
詐欺師、重婚罪、色魔、女垂らし、ヒモ、とノイスに投げつけられた数々の暴言がジーナの中で甦り、爆発する。
「お前にだけは言われたくない!」
言外の意味を悟ったのかノイスはことさら悲し気な表情となり全身でショックを現すも、どこか嘘くさい。まさか演技ができないタイプなのか? それとも分かりやすさ重視のおどけか?
「心外だなぁ……俺はみんなを幸せにしています! 例の重婚罪ですが俺は二人の女を幸せにできましたよ」
「お前が何を言っているのかさっぱり分からん!」
「説明しますから分かってください隊長! 俺は重婚をしましたがそれは同時に二人の運命の女と出会っただけのお話。あの二人でないといけないし、一人が欠けてもいけない……と。こう言うと俺一人の欲望の話かと思われるでしょうがそうではありません。両者合意のもとでのことですから。これはもちろん自慢でもありませんからご安心ください」
「どうでもいいから早いところ結論を話してくれ」
「焦らないでください。えーっと、そう、俺は別に同性愛者の女二人と結婚したわけでは無くてですね、全くの他人同士の女と同時に付き合っていましたら偶然ばったりと出くわしてしまって」
「私はお前の物語にはあまり興味が無いから、もっと早送りしてくれ」
「しょうがありませんね。とにかく俺たち三人は時には喧嘩をし口論をしましたが、その結果仲良くなり同時に結婚することにしました。女二人も互いを親友だと認め合う関係になりその中心には俺がいる。そういうことで俺達は同じ指輪を三つ揃えて共に左薬指に嵌め、女二人の両親の元へ行ったわけです。そして……」
「訴えられた。これはもう火を見るよりも明らか過ぎるな」
ジーナは冷静に言うとノイスは顔を曇らせ俯いた。何故だ? 何故そんな明らかなことを予想できずにいまも嘆く?
「その通りです。どうも両方の女が行き当たりばったりに勢いで言えば通ると思い込んでいたようで、お会いした両方の両親は、それはもう頑固もののゴリゴリ保守系でした。向うの動揺を抑えながらの御挨拶の後にあの二人の両親は結託して俺を訴えまして……急いで駆け落ちしましたがあえなく捕獲され誘拐罪まで加わってジ・エンドです」
「駆け落ち……そうか重婚に誘拐と中々苦しい合わせ技となってしまったのだな。それで、どうなった?」
うんざりしながら聞いていたジーナは急に話に乗り気になりだした。
「死んだのか、って死んでいたらここにいないか」
「当初はここにいない予定でした。二組の両親が大急ぎで死刑にしようとしていましたところ、あの二人の必死の助命嘆願によって無期懲役まで減刑されましたが、もうお先真っ暗なところにバルツ様の軍がやって来ましてね。そこからご存じあの第無番隊・通称罪人部隊に加わることになったのです」
その先はジーナもよく知っていた。共に新入りであるとその時の隊長に敵の前に立たされ、そして突撃したことを。
「あのいつも書いていた手紙というのはもしかして?」
「主にあの二人宛でした……他のもありますが、そこはどうでもいいです、はい。互いの近況や状況の報告を主にしましてね。つい先日も送りましたよ、これが最後になるかもしれません」
「えっ……最後ってことは、もうお別れということで?」
ジーナが驚いて聞くとノイスはしてやったりと笑顔で返した。
「これから毎日暮らすのに手紙は不必要でしょう。こっちに来るんですよ、例のあの二人が。戦争が終わったら迎えに行くと毎回書いて送っていたのですが、もう待っていられないからそっちに行くという、電撃的な最後通牒を貰ってしまいましてね、二人が共に図ってそうしたのでしょう、これぞ年貢の納め時というのでしょうかねやれやれ」
この男は嬉しいのか寂しいのかよく分からないことを言うがしかし、とジーナは心の中に思いそれから口にした。
「それにしても……いやこんなことを聞くのはあれだからよそう」
ジーナは逃げようとするもノイスはその袖を掴んだ。
「いや言ってくれ隊長。俺はせっかくここまで話したんだからあなたも正直に言ってくれ」
「……よく二人は待ってくれたな。私には信じられない」
言うとノイスはお辞儀するように頷きそれは深々と頭を下げ、まるで感謝をしているようであった。
だからかジーナはどこからか言葉が引きずり出た。
「二人同時だなんて……有り得ないことなのに」
「本物はそういうことなんです。だから言ったでしょ? 運命の相手だって」
「だったらお前の言うようにそれは正しいことなのかもしれないな」
「隊長が納得してくれるとは意外でしたが、そう言っていただいて嬉しい限りです。俺はいままで散々悪魔だとか色魔だとか言われましたが」
「正直私もそのまんまそう思っていた」
「隊長は眼がそう言っていましたね。向うにもこのことで長年苦労を掛けさせましたが、もうそんなことは誰にも言わせません」
二人と結婚していたら結局そう言われるのでは? とジーナは思うも眼で悟られるのが嫌で視線を背けた。
「出世をして社会的地位を得てその傍らに立ってもらう。ほら結果的に俺は二人の女を幸せにしますよ。もちろんずっと苦労を掛けさせたり悲しい思いをさせたり、涙を流させました。だけども最後の最後はハッピーエンドに行くのです。代償の結果が、これです。俺はできましたよ二人と共に生きる方法を」
視線を外し空を見上げるジーナの耳に何故かノイスの声が高いところから聞こえて来る。
背はこちらが低いのにどうしてそこから? 疑問に思うもジーナは空を見ている。
そのうちに雨が降り出してもおかしくはない灰色の空を、そのつまらなさを見ている。
「それで隊長……」
やはり声は上から降ってくるように聞こえる。天から、違う存在が問いかけてくるように。
「……あなたはどうなのです?」
ジーナは問われると即座に口中の奥から何かが溢れてきたように感じた。その、血の味。
口に掌を当てうつむき咳込み確かめるも、そこには血の色はついていなかった。
だが血の濃厚な臭いがそこにあった。血の味と、臭いはあった、見えないだけで。
だからジーナは掌を唇に近づけ、吸い込む。血の実体がなくてもなにも無くてもそこに臭いがあるかぎり、なにかがあるのだろうから。
これは私のものだとジーナは思う。無いと思ってはならず、捨ててはならないもの。この私という存在の実体のためには、と。
「血の味がする」
ジーナがそう言うとノイスは短く相槌を打った。
「私はお前とは違う。二人どころか一人だって到底無理だ。私はそういう男ではない」
「そう思い込むということが、それが罪の一部ではありませんか?」
「そんなことはない。私はお前とは違うよ」
「あなたがどう否定しても。でもあなたはそんなタイプであり、俺と同じですよ。そういうタイプにはまるで見えませんのにね。だから、この話をしたのです。あなただけに、です。他の誰にもこんな話はしない、したくもない」
この男は本気でこれを言っていることがジーナには分かった。
自分以外にこの話はしないのだろうが、そうしたことには何も意味は無く、それはそのまま。
「悪いが何も得るものは無い。私はお前とは、違う」
否定を繰り返す、がノイスからは反論は無かった。
「そのうちに俺の言葉はどこかで甦りますよ。それで俺はいいのです。しかし血の味がしましたか。それが何かは俺には分かりませんが、その暗い血に汚れているあなたの傍にいてくれたのはあの人だけですよ」
ジーナは同時に二人の女の顔が心に浮かぶも掻き消すようにあえて今一度咳込んでみた。
だが今度は血の臭いもせず、自分の息の臭いのみが掌にあった。
うなじに冷たいなにかが当たりジーナは雨が降り出したことを知った。
「可哀想にしてはいけませんよ。幸せにしてあげないと」
詐欺師、重婚罪、色魔、女垂らし、ヒモ、とノイスに投げつけられた数々の暴言がジーナの中で甦り、爆発する。
「お前にだけは言われたくない!」
言外の意味を悟ったのかノイスはことさら悲し気な表情となり全身でショックを現すも、どこか嘘くさい。まさか演技ができないタイプなのか? それとも分かりやすさ重視のおどけか?
「心外だなぁ……俺はみんなを幸せにしています! 例の重婚罪ですが俺は二人の女を幸せにできましたよ」
「お前が何を言っているのかさっぱり分からん!」
「説明しますから分かってください隊長! 俺は重婚をしましたがそれは同時に二人の運命の女と出会っただけのお話。あの二人でないといけないし、一人が欠けてもいけない……と。こう言うと俺一人の欲望の話かと思われるでしょうがそうではありません。両者合意のもとでのことですから。これはもちろん自慢でもありませんからご安心ください」
「どうでもいいから早いところ結論を話してくれ」
「焦らないでください。えーっと、そう、俺は別に同性愛者の女二人と結婚したわけでは無くてですね、全くの他人同士の女と同時に付き合っていましたら偶然ばったりと出くわしてしまって」
「私はお前の物語にはあまり興味が無いから、もっと早送りしてくれ」
「しょうがありませんね。とにかく俺たち三人は時には喧嘩をし口論をしましたが、その結果仲良くなり同時に結婚することにしました。女二人も互いを親友だと認め合う関係になりその中心には俺がいる。そういうことで俺達は同じ指輪を三つ揃えて共に左薬指に嵌め、女二人の両親の元へ行ったわけです。そして……」
「訴えられた。これはもう火を見るよりも明らか過ぎるな」
ジーナは冷静に言うとノイスは顔を曇らせ俯いた。何故だ? 何故そんな明らかなことを予想できずにいまも嘆く?
「その通りです。どうも両方の女が行き当たりばったりに勢いで言えば通ると思い込んでいたようで、お会いした両方の両親は、それはもう頑固もののゴリゴリ保守系でした。向うの動揺を抑えながらの御挨拶の後にあの二人の両親は結託して俺を訴えまして……急いで駆け落ちしましたがあえなく捕獲され誘拐罪まで加わってジ・エンドです」
「駆け落ち……そうか重婚に誘拐と中々苦しい合わせ技となってしまったのだな。それで、どうなった?」
うんざりしながら聞いていたジーナは急に話に乗り気になりだした。
「死んだのか、って死んでいたらここにいないか」
「当初はここにいない予定でした。二組の両親が大急ぎで死刑にしようとしていましたところ、あの二人の必死の助命嘆願によって無期懲役まで減刑されましたが、もうお先真っ暗なところにバルツ様の軍がやって来ましてね。そこからご存じあの第無番隊・通称罪人部隊に加わることになったのです」
その先はジーナもよく知っていた。共に新入りであるとその時の隊長に敵の前に立たされ、そして突撃したことを。
「あのいつも書いていた手紙というのはもしかして?」
「主にあの二人宛でした……他のもありますが、そこはどうでもいいです、はい。互いの近況や状況の報告を主にしましてね。つい先日も送りましたよ、これが最後になるかもしれません」
「えっ……最後ってことは、もうお別れということで?」
ジーナが驚いて聞くとノイスはしてやったりと笑顔で返した。
「これから毎日暮らすのに手紙は不必要でしょう。こっちに来るんですよ、例のあの二人が。戦争が終わったら迎えに行くと毎回書いて送っていたのですが、もう待っていられないからそっちに行くという、電撃的な最後通牒を貰ってしまいましてね、二人が共に図ってそうしたのでしょう、これぞ年貢の納め時というのでしょうかねやれやれ」
この男は嬉しいのか寂しいのかよく分からないことを言うがしかし、とジーナは心の中に思いそれから口にした。
「それにしても……いやこんなことを聞くのはあれだからよそう」
ジーナは逃げようとするもノイスはその袖を掴んだ。
「いや言ってくれ隊長。俺はせっかくここまで話したんだからあなたも正直に言ってくれ」
「……よく二人は待ってくれたな。私には信じられない」
言うとノイスはお辞儀するように頷きそれは深々と頭を下げ、まるで感謝をしているようであった。
だからかジーナはどこからか言葉が引きずり出た。
「二人同時だなんて……有り得ないことなのに」
「本物はそういうことなんです。だから言ったでしょ? 運命の相手だって」
「だったらお前の言うようにそれは正しいことなのかもしれないな」
「隊長が納得してくれるとは意外でしたが、そう言っていただいて嬉しい限りです。俺はいままで散々悪魔だとか色魔だとか言われましたが」
「正直私もそのまんまそう思っていた」
「隊長は眼がそう言っていましたね。向うにもこのことで長年苦労を掛けさせましたが、もうそんなことは誰にも言わせません」
二人と結婚していたら結局そう言われるのでは? とジーナは思うも眼で悟られるのが嫌で視線を背けた。
「出世をして社会的地位を得てその傍らに立ってもらう。ほら結果的に俺は二人の女を幸せにしますよ。もちろんずっと苦労を掛けさせたり悲しい思いをさせたり、涙を流させました。だけども最後の最後はハッピーエンドに行くのです。代償の結果が、これです。俺はできましたよ二人と共に生きる方法を」
視線を外し空を見上げるジーナの耳に何故かノイスの声が高いところから聞こえて来る。
背はこちらが低いのにどうしてそこから? 疑問に思うもジーナは空を見ている。
そのうちに雨が降り出してもおかしくはない灰色の空を、そのつまらなさを見ている。
「それで隊長……」
やはり声は上から降ってくるように聞こえる。天から、違う存在が問いかけてくるように。
「……あなたはどうなのです?」
ジーナは問われると即座に口中の奥から何かが溢れてきたように感じた。その、血の味。
口に掌を当てうつむき咳込み確かめるも、そこには血の色はついていなかった。
だが血の濃厚な臭いがそこにあった。血の味と、臭いはあった、見えないだけで。
だからジーナは掌を唇に近づけ、吸い込む。血の実体がなくてもなにも無くてもそこに臭いがあるかぎり、なにかがあるのだろうから。
これは私のものだとジーナは思う。無いと思ってはならず、捨ててはならないもの。この私という存在の実体のためには、と。
「血の味がする」
ジーナがそう言うとノイスは短く相槌を打った。
「私はお前とは違う。二人どころか一人だって到底無理だ。私はそういう男ではない」
「そう思い込むということが、それが罪の一部ではありませんか?」
「そんなことはない。私はお前とは違うよ」
「あなたがどう否定しても。でもあなたはそんなタイプであり、俺と同じですよ。そういうタイプにはまるで見えませんのにね。だから、この話をしたのです。あなただけに、です。他の誰にもこんな話はしない、したくもない」
この男は本気でこれを言っていることがジーナには分かった。
自分以外にこの話はしないのだろうが、そうしたことには何も意味は無く、それはそのまま。
「悪いが何も得るものは無い。私はお前とは、違う」
否定を繰り返す、がノイスからは反論は無かった。
「そのうちに俺の言葉はどこかで甦りますよ。それで俺はいいのです。しかし血の味がしましたか。それが何かは俺には分かりませんが、その暗い血に汚れているあなたの傍にいてくれたのはあの人だけですよ」
ジーナは同時に二人の女の顔が心に浮かぶも掻き消すようにあえて今一度咳込んでみた。
だが今度は血の臭いもせず、自分の息の臭いのみが掌にあった。
うなじに冷たいなにかが当たりジーナは雨が降り出したことを知った。


