ジーナは言った。
「その時でないこのような時と場所で半端な状態で龍化してしまいましたら流産とも言えるでしょう。それこそ未熟児のようなものが生まれ良くない結果が産み落とされたという可能性があるかもしれません。しかるべき場所でしかるべき手続きや段階を経てから龍となられるのがやはり最適かと。この状況下で焦る必要がどこにあります?これで良かったのですよヘイム様。あっそれとハイネ。ハンカチをありがとう」
ジーナは膝の上の布を渡すとハイネは何も考えずに、考えることができずに手を出し受け取った。
「あのまぁ一応声を掛けたんだけど、放心状態だったのか返事が無かったから拝借した。そんな顔をしないでくれ。茶の滴を少し拭いたぐらいだからそこまで汚れてはいないはずだ」
その滴は、どこの誰に触れたものでしょうか? と口に出すのを防ぐために歯を噛みしめ空を見上げた。
「おいジーナ。何だそなたは産婆か? 柄にもなくまともで普通なことを言いおって。なんだか腹立たしいから論破してやろうか? そなたの癖に生意気だぞ」
「ヘイム様が頭に来るのも分かりますけど、百点満点ですね。一生に一度は彼だって正論を言いますよ。それが今日この時ということでしょう。よって私は同意します」
シオンの意見にヘイムは口元に笑みを浮かべながら頷いた。
「そういうのなら同意してやるが、立ったままでどうしたルーゲン。座るがよい」
半端な立ち姿であったルーゲンは指示を受け座るが、その眼は焦点があってはいなかった。
「そなたが焦る心配事はあれだろ? 以前に聞いたことがあるが、もしも妾が途中で死ぬことや行方不明になることがあったとしたら、龍身はどうなるのか、これに対してだろう」
「それもございますね」
「……仮の話だが、仮にな龍がいなくなったらこの世界はどうなると思う?」
ヘイムの問いにルーゲンは瞼を閉じ微笑みながら言った。
「それはそのまま、この世の終わりです」
「新しい世の始まりという可能性が開けるのではないのか?」
「全く以てそんなことが起こるはずがありません。そもそもの前提が有り得ないのです。それはあたかも明日天が失われたら世界はどうなるのか? というに等しく、まさしく杞憂であり、また無意味な問いでしかありません。空は落ちてはこないのです」
ルーゲンの声には笑いが含みだし内容が内容であるのにその口はより饒舌となりつつあった。
「死んだらどうなる、との問いに対してはとりあえず世界が闇に閉ざされる、それは単純化すると瞼を閉じるのと同じことでありましょう。死ぬからには二度と瞼は開かれない、要はこれです。けれども本人の意識においてはそれは正しいでしょう。自分が死んでしまっても世界は死なずに変わりなく進んでいきますが、それは小さな存在に過ぎぬ人間においてはその通りでしょう。そう意識しても良いでしょう、自分が死んだらこの世界は終わる、と。だけども……」
言葉を切りルーゲンは瞼を開いた。
「龍は死なずまた失われません」
「代わりがいるからか?」
ヘイムは聞きルーゲンが答える。
「代理人ではなく、継承者です。龍身様、あなた以外に龍となられる御方はどこにもいないのですよ」
身を乗り出すようにして語るルーゲンの眼は龍身に向けられると、その左口元が歪みながら開いた。
「流石は龍を導くものであり龍の婿の候補者であるな」
龍身の言葉はその議題についての終了を宣言したかのように会議はそのままハイネの報告に移行した。
その席上にはいつもはいないはずのルーゲンが残りも何もせずに黙って会議の会話を最後まで聞き、シオンの退場に伴って帰っていく。
階段中腹の踊場でハイネは階上を見返りながらルーゲンに告げた。
「ルーゲン師。私は思うのです。ジーナが龍身様の龍化の邪魔になっているのではないかと」
「何らかの影響を及ぼしている。君はそう感じるのか」
まるでルーゲンはそういう質問をされることを予想していたかのようにすぐに返事をするとハイネもまた、直ちに答えた。
「強く、感じます。あの龍身様の御冗談も私は冗談だとは思えませんでした。私には例の虹色の光がはっきりと見えました。あのまま進んでいれば……ジーナがあの時何もしなければ、動かなければ……」
想わなければ……
「ハイネ君、それは違う」
物思いに耽りそうになったハイネをルーゲンが止めた。ハイネが振り返るとそこにはルーゲンが立っており影が身体を覆った。
その濃い闇が光を遮り、黒を内部に染み込ませているように……
「君の説をとるということは彼の力が龍の力に等しいということとなる。そんなことはあるはずがない。彼は龍ではないのだ。よって彼が妨害をしたように見えて実は何もしていない」
「本当にそう思われますか?」
ハイネは逆らうと自分を覆っている影が薄くなったのを感じ、その闇の中に入る。
「ルーゲン師、逃げないでください。あなたは龍の婿となる男ですよ。状況を正しく認識しなければなりません」
闇は晴れその先を見るとハイネはルーゲンの怯えた顔を見た。あなたはそういう表情もするのですね。
でも、それでいいのです、いまはその顔が相応しい。正しく、それにふさわしい状況なのですから。
「君の言う正しくとは、なんです? ジーナ君がいったいなにであるのか?」
「ジーナは……彼は龍身様に強い影響力を与えています。あなた以上に、です」
ルーゲンの雌雄眼が異様なほどに大きく開かれ漏れる吐息すら震えておりハイネはそこに怒りに屈辱を感じ取るも、癒そうとも慰めそうとも思わなかった。いまはそれがいい。
そうでなければならない、あなたは彼に対して優しいがある意味で侮り油断していたせいでそのような顔をせざるを得なくなったのですから。
「さっきのことがその象徴的なものでした。ルーゲン師が望んでいた龍化が始まるものの、それを望んでいないジーナによって中止となった……あなたは、敗れたのです」
もはや瞬きすらせずに異形なる両の眼を見開いたままのルーゲンがハイネではなく虚空を凝視しながら、呟く。
「……彼はいったいになんだというのか?なにが、したいのか」
「それを考えることは無意味です。分かっても分からなくても意味がありません。どのみちあなたは龍の婿になる他の選択肢はないのですから」
「その時でないこのような時と場所で半端な状態で龍化してしまいましたら流産とも言えるでしょう。それこそ未熟児のようなものが生まれ良くない結果が産み落とされたという可能性があるかもしれません。しかるべき場所でしかるべき手続きや段階を経てから龍となられるのがやはり最適かと。この状況下で焦る必要がどこにあります?これで良かったのですよヘイム様。あっそれとハイネ。ハンカチをありがとう」
ジーナは膝の上の布を渡すとハイネは何も考えずに、考えることができずに手を出し受け取った。
「あのまぁ一応声を掛けたんだけど、放心状態だったのか返事が無かったから拝借した。そんな顔をしないでくれ。茶の滴を少し拭いたぐらいだからそこまで汚れてはいないはずだ」
その滴は、どこの誰に触れたものでしょうか? と口に出すのを防ぐために歯を噛みしめ空を見上げた。
「おいジーナ。何だそなたは産婆か? 柄にもなくまともで普通なことを言いおって。なんだか腹立たしいから論破してやろうか? そなたの癖に生意気だぞ」
「ヘイム様が頭に来るのも分かりますけど、百点満点ですね。一生に一度は彼だって正論を言いますよ。それが今日この時ということでしょう。よって私は同意します」
シオンの意見にヘイムは口元に笑みを浮かべながら頷いた。
「そういうのなら同意してやるが、立ったままでどうしたルーゲン。座るがよい」
半端な立ち姿であったルーゲンは指示を受け座るが、その眼は焦点があってはいなかった。
「そなたが焦る心配事はあれだろ? 以前に聞いたことがあるが、もしも妾が途中で死ぬことや行方不明になることがあったとしたら、龍身はどうなるのか、これに対してだろう」
「それもございますね」
「……仮の話だが、仮にな龍がいなくなったらこの世界はどうなると思う?」
ヘイムの問いにルーゲンは瞼を閉じ微笑みながら言った。
「それはそのまま、この世の終わりです」
「新しい世の始まりという可能性が開けるのではないのか?」
「全く以てそんなことが起こるはずがありません。そもそもの前提が有り得ないのです。それはあたかも明日天が失われたら世界はどうなるのか? というに等しく、まさしく杞憂であり、また無意味な問いでしかありません。空は落ちてはこないのです」
ルーゲンの声には笑いが含みだし内容が内容であるのにその口はより饒舌となりつつあった。
「死んだらどうなる、との問いに対してはとりあえず世界が闇に閉ざされる、それは単純化すると瞼を閉じるのと同じことでありましょう。死ぬからには二度と瞼は開かれない、要はこれです。けれども本人の意識においてはそれは正しいでしょう。自分が死んでしまっても世界は死なずに変わりなく進んでいきますが、それは小さな存在に過ぎぬ人間においてはその通りでしょう。そう意識しても良いでしょう、自分が死んだらこの世界は終わる、と。だけども……」
言葉を切りルーゲンは瞼を開いた。
「龍は死なずまた失われません」
「代わりがいるからか?」
ヘイムは聞きルーゲンが答える。
「代理人ではなく、継承者です。龍身様、あなた以外に龍となられる御方はどこにもいないのですよ」
身を乗り出すようにして語るルーゲンの眼は龍身に向けられると、その左口元が歪みながら開いた。
「流石は龍を導くものであり龍の婿の候補者であるな」
龍身の言葉はその議題についての終了を宣言したかのように会議はそのままハイネの報告に移行した。
その席上にはいつもはいないはずのルーゲンが残りも何もせずに黙って会議の会話を最後まで聞き、シオンの退場に伴って帰っていく。
階段中腹の踊場でハイネは階上を見返りながらルーゲンに告げた。
「ルーゲン師。私は思うのです。ジーナが龍身様の龍化の邪魔になっているのではないかと」
「何らかの影響を及ぼしている。君はそう感じるのか」
まるでルーゲンはそういう質問をされることを予想していたかのようにすぐに返事をするとハイネもまた、直ちに答えた。
「強く、感じます。あの龍身様の御冗談も私は冗談だとは思えませんでした。私には例の虹色の光がはっきりと見えました。あのまま進んでいれば……ジーナがあの時何もしなければ、動かなければ……」
想わなければ……
「ハイネ君、それは違う」
物思いに耽りそうになったハイネをルーゲンが止めた。ハイネが振り返るとそこにはルーゲンが立っており影が身体を覆った。
その濃い闇が光を遮り、黒を内部に染み込ませているように……
「君の説をとるということは彼の力が龍の力に等しいということとなる。そんなことはあるはずがない。彼は龍ではないのだ。よって彼が妨害をしたように見えて実は何もしていない」
「本当にそう思われますか?」
ハイネは逆らうと自分を覆っている影が薄くなったのを感じ、その闇の中に入る。
「ルーゲン師、逃げないでください。あなたは龍の婿となる男ですよ。状況を正しく認識しなければなりません」
闇は晴れその先を見るとハイネはルーゲンの怯えた顔を見た。あなたはそういう表情もするのですね。
でも、それでいいのです、いまはその顔が相応しい。正しく、それにふさわしい状況なのですから。
「君の言う正しくとは、なんです? ジーナ君がいったいなにであるのか?」
「ジーナは……彼は龍身様に強い影響力を与えています。あなた以上に、です」
ルーゲンの雌雄眼が異様なほどに大きく開かれ漏れる吐息すら震えておりハイネはそこに怒りに屈辱を感じ取るも、癒そうとも慰めそうとも思わなかった。いまはそれがいい。
そうでなければならない、あなたは彼に対して優しいがある意味で侮り油断していたせいでそのような顔をせざるを得なくなったのですから。
「さっきのことがその象徴的なものでした。ルーゲン師が望んでいた龍化が始まるものの、それを望んでいないジーナによって中止となった……あなたは、敗れたのです」
もはや瞬きすらせずに異形なる両の眼を見開いたままのルーゲンがハイネではなく虚空を凝視しながら、呟く。
「……彼はいったいになんだというのか?なにが、したいのか」
「それを考えることは無意味です。分かっても分からなくても意味がありません。どのみちあなたは龍の婿になる他の選択肢はないのですから」


