こうして龍の休憩所を世界の中心(仮)として物事の全ては回転し始めた。
中央の城中ではマイラが宰相として政務を行い裁可はここ龍の休息所にて行われる。
「そこまで言うのなら龍化の後に城中に戻られるということで、とりあえずこの形で行くとしよう」
「妾はずっとここでもいいのだぞ」
「この階段をいつも昇り降りするのは御免だ」
息を切らしながらマイラはそう言い足早に階段を下って行った。
以後マイラは肝心な時以外はここには代理を寄越すこととなる。
大地と天空の中間に位置するかのような半端な位置に存在するその龍の休憩所。
「人と龍の間といったところか。妾の半端な立場から考えるに、ここにいるに相応しいとは思わぬか? なぁジーナ」
「とてもそう思います……私にもそのまま当てはまりそうな場所とも思えますし」
「そうですね。あなたは宙ぶらりんなままでずっといますね。信仰心が無いのに龍の護衛なんてやって、いい加減どちらかに決めたら良いのですはないのですか?」
深い意味もなく何気ない口調でシオンがそう聞くとジーナはヘイムを見た。
ヘイムのその右目はジーナの眼、ではなく眉間に向けられているような妙な角度にあった。
ここに何があるのか? とジーナは聞くことも確かめることもできないまま答えた。
「どちらを選んでも間違いかなという感じがありますね」
「それはどちらも正解だということではないのか?」
眉間に熱を感じジーナは視線を伏せた。
「……私にはその理屈は分からないです」
龍の護衛の仕事はほぼ毎日となりソグの龍の館時代と同じく儀式の準備が主であった。
儀式の頻度はあがり日に三度行われ夕刻を以って終了する。
ジーナにとっては全く以て理解できない儀式であり、内容は何もわからないものの準備は身体が覚えたままで素早く確実にできた。
「あなたは頭が良いとは言えないのによく覚えていますね。この準備の手順は結構覚えにくくてこの役を任されたもののほとんどは混乱するのに、あなただけは初日からつっかかりもなく間違いもあまりなく動いていましたからね」
シオンの言葉にジーナは焦りをどうしてか感じた。自分がずっと考えないでいたことをここにきて、意識させられたように。
「それは、その、シオン様の教え方が上手かったからですよ」
「なんです謙遜なんて不気味な。いつもいっぺん話すだけでしたよ。それ済んだのはあなただけです。まるで始めから覚えているような動きでしたか、過去にやっていたことがあるのでは? と思いましたが、あるはずないですね」
あるはずはないんだ、と心の中で呟きながらその身体は正確に誤りなく儀式の準備のために動いていた。
身体が覚えている。だが、その身体とはなんだ? 自分でないものがこの身体を動かしているとしたら……
「ほら言うたであろうシオン。妾が、こやつを、龍の護衛にはうってつけだと。いわば身体は素直だけど心がねじくれている、と」
「ヘイム、口を謹んで。まぁこの男は行動と言動の乖離が著しくて混乱しがちですが、私には分かっていますからね」
背中越しにシオンの声を聞くとジーナはシオンではなくヘイムを、見た。ヘイムもまたジーナを見ていた。
何故そっちを見なければならないのか、分からないまま二人は、とジーナは勝手にヘイムの心を推測した。共に次の言葉を待っていると。
「あなたは最良の龍の護衛だということをです」
何もわかっていないとんだ節穴だ、とジーナは首を振るとヘイムは失笑した。
なんで言葉もなく互いにあれほど心が繋がったのかをジーナは考えようともせずに儀式の準備に戻った。
「おいシオン。ジーナが失笑しておったぞ」
この龍の休憩所に昇ってからヘイムは一歩も外には出ていない。
「こんな階段を毎回昇り降りするだなんて、ゾッとするではないか」
自分で進んで昇ったものとは思えない言葉でヘイムは降りるのを拒否していた。
休憩所と名付けられるに相応しくここには居住スペースといった生活に必要なものはすべて備えられており、その全ては稼働可能な状態にあった。
ヘイムはここに寝起きし時々シオンも泊まるといった独立した暮らしとなっている。
「ここは広いからある意味で自由だ。奥に行けば庭園もあってそこを回れば運動になるぞ」
そう言いながらジーナの左手を引くヘイムであったが、彼のその脚は遅くかつ不安げであった。
そっちの方は誰も手をいれていない気がするのだが、と。ジーナの予想は違わず、そこにはかつては庭園は姿を消し、ただひたすらの荒野があった。
二人は立ち止まり枯れた背の高い草が乱立する光景を無言で眺めているとヘイムが歩き出しジーナも歩き出す。
枯草を踏み分けていると足元には乾いた音が手で掻き分けると千切れ砕けるその響き。どこにも命ある緑の色は見えず茶けた死の光景。ここには春が訪れてはいない。
そのなかをヘイムは苦も無く文句もなく進んでいく。運動にしては何故こんなところを、とジーナは思いながらも聞かずについて行く。
それにしても広い荒野だなとジーナは思った。
歩き出してから歩みが遅いとはいえ、そこそこ時間が経っているというのにまだ果てにあるであろう壁や柵にぶつからない。
ヘイムもヘイムで真っ直ぐに延々と進む歩みを変えずに行こうとするためジーナは脚を止めた。
するとそれがすぐに伝わったのかヘイムも同時にとまり右に振り向いた。
「……そろそろ右に歩まれたらどうでしょうか? このまま前進してしまったらこの先がどうなっているのか分かりませんし」
「おおそうか……もしこのまま前にずっと進んでいったら、違う世界に行けるのではないかと思いだしてな。だからちと夢中で進んでしまったのだ」
「なんですその空想は」
前方は未だに茶けた荒野の先が見えぬ状態でありまだ先があるかと思われるが、もう限界であろう。
「もう少しだけ、行かぬか?」
ヘイムがせがむもジーナの脚は動かない。止らなければならない。
「いいだろう、あと少しだけ」
「駄目です。壁や柵が壊れている可能性がある」
「ああ、そうだろうな」
聞きに相応しくない返事にジーナは再び警告した。
「危険です」
「そうだろうな」
ヘイムは平然した表情で、というよりかは何かに挑むような視線をジーナに送った。だからジーナは問うた。
「……どこに行くつもりなのです?」
「この先だと言っているだろうが」
「行ってどうするのです?」
苛立ちジーナが責めるとヘイムが睨んだ。
「行ったところでなにもない。結局引き返すことになるだけです」
「なにもないと、言い切れるのか?」
そう言いながらもヘイムの脚もまた動かずジーナはまた荒野の先を見つめる。
「だからこの先は……」
「この先には?」
もしもその空想が事実であったら……と思い出したジーナはヘイムを見返す。
既に睨んではおらずいつものその眼はなにも訴えも言葉も発していなかった。
ジーナにはただ何かを待っているものと見えた。
なにを待っているのか? なにを……ジーナは視線を外した瞬間に脚を前に出した。
すると握っていた手には力も熱も消え伝わらず何も感じるものは無い。
それでもその手のなかにはヘイムの右手があることが見て確かめることもせずとも分かった。
このまま進めば、もう一歩踏み出せば、共にどこにだって行けて……
「ジーナに……ヘイム様」
二歩目は声の方向へと踏むと同時に振り返るとそこにはハイネが立っていた。
その間の距離はまだあるはずなのに、妙に近く感じる。
「……ルーゲン師の御進講のお時間です。遅れてはなりません。どうぞ速やかにお戻りください」
抑揚のない一本調子にことを告げながらジーナはハイネがヘイムの方にしか目をやらないことに気づき見るも、返さない。
「ヘイム様どうぞこちらへ」
こちらが向かうより前にハイネが歩み寄って来る。なにやら重い影を背後に漂わせながら。
「ああそう。もうそんな時間であったか。楽しいと時間が経つのも忘れてしまう、な?」
同意を求めるような語尾にジーナはどうしてか言葉に窮し近づいてくるハイネを見ると、より濃くなっている重厚な影に思わずのけぞった。
「私は、楽しいとは思いませんでしたが。むしろ長い間歩いて不安でした」
早口で話すとハイネは失笑して右手を振った、当然ジーナの左手も振らされた。
「おーおーそうであったな。そなたは不安というか怖がっておってほれ妾の手をぎゅーっと握りしめておったな。珍しく妾が先頭になって歩かせたのも、そういうことであろう?」
嫌な笑顔だな、とジーナは反発しながらその手を引っ張った。
「違います。最後は私があなたの手を引いたでしょう」
言い放つとヘイムの顔は嫌な笑顔から微笑みに変わった。
「うんそうだな。迷って足を止めていた妾の手を引いて前に出たのは、そなただ」
掌の熱と力がまた無になっていく感覚にジーナは襲われた。
「そなたが前に一歩出た時に妾の歩みに抵抗はあったか?」
ない。ジーナは口に出さずに答えた。
中央の城中ではマイラが宰相として政務を行い裁可はここ龍の休息所にて行われる。
「そこまで言うのなら龍化の後に城中に戻られるということで、とりあえずこの形で行くとしよう」
「妾はずっとここでもいいのだぞ」
「この階段をいつも昇り降りするのは御免だ」
息を切らしながらマイラはそう言い足早に階段を下って行った。
以後マイラは肝心な時以外はここには代理を寄越すこととなる。
大地と天空の中間に位置するかのような半端な位置に存在するその龍の休憩所。
「人と龍の間といったところか。妾の半端な立場から考えるに、ここにいるに相応しいとは思わぬか? なぁジーナ」
「とてもそう思います……私にもそのまま当てはまりそうな場所とも思えますし」
「そうですね。あなたは宙ぶらりんなままでずっといますね。信仰心が無いのに龍の護衛なんてやって、いい加減どちらかに決めたら良いのですはないのですか?」
深い意味もなく何気ない口調でシオンがそう聞くとジーナはヘイムを見た。
ヘイムのその右目はジーナの眼、ではなく眉間に向けられているような妙な角度にあった。
ここに何があるのか? とジーナは聞くことも確かめることもできないまま答えた。
「どちらを選んでも間違いかなという感じがありますね」
「それはどちらも正解だということではないのか?」
眉間に熱を感じジーナは視線を伏せた。
「……私にはその理屈は分からないです」
龍の護衛の仕事はほぼ毎日となりソグの龍の館時代と同じく儀式の準備が主であった。
儀式の頻度はあがり日に三度行われ夕刻を以って終了する。
ジーナにとっては全く以て理解できない儀式であり、内容は何もわからないものの準備は身体が覚えたままで素早く確実にできた。
「あなたは頭が良いとは言えないのによく覚えていますね。この準備の手順は結構覚えにくくてこの役を任されたもののほとんどは混乱するのに、あなただけは初日からつっかかりもなく間違いもあまりなく動いていましたからね」
シオンの言葉にジーナは焦りをどうしてか感じた。自分がずっと考えないでいたことをここにきて、意識させられたように。
「それは、その、シオン様の教え方が上手かったからですよ」
「なんです謙遜なんて不気味な。いつもいっぺん話すだけでしたよ。それ済んだのはあなただけです。まるで始めから覚えているような動きでしたか、過去にやっていたことがあるのでは? と思いましたが、あるはずないですね」
あるはずはないんだ、と心の中で呟きながらその身体は正確に誤りなく儀式の準備のために動いていた。
身体が覚えている。だが、その身体とはなんだ? 自分でないものがこの身体を動かしているとしたら……
「ほら言うたであろうシオン。妾が、こやつを、龍の護衛にはうってつけだと。いわば身体は素直だけど心がねじくれている、と」
「ヘイム、口を謹んで。まぁこの男は行動と言動の乖離が著しくて混乱しがちですが、私には分かっていますからね」
背中越しにシオンの声を聞くとジーナはシオンではなくヘイムを、見た。ヘイムもまたジーナを見ていた。
何故そっちを見なければならないのか、分からないまま二人は、とジーナは勝手にヘイムの心を推測した。共に次の言葉を待っていると。
「あなたは最良の龍の護衛だということをです」
何もわかっていないとんだ節穴だ、とジーナは首を振るとヘイムは失笑した。
なんで言葉もなく互いにあれほど心が繋がったのかをジーナは考えようともせずに儀式の準備に戻った。
「おいシオン。ジーナが失笑しておったぞ」
この龍の休憩所に昇ってからヘイムは一歩も外には出ていない。
「こんな階段を毎回昇り降りするだなんて、ゾッとするではないか」
自分で進んで昇ったものとは思えない言葉でヘイムは降りるのを拒否していた。
休憩所と名付けられるに相応しくここには居住スペースといった生活に必要なものはすべて備えられており、その全ては稼働可能な状態にあった。
ヘイムはここに寝起きし時々シオンも泊まるといった独立した暮らしとなっている。
「ここは広いからある意味で自由だ。奥に行けば庭園もあってそこを回れば運動になるぞ」
そう言いながらジーナの左手を引くヘイムであったが、彼のその脚は遅くかつ不安げであった。
そっちの方は誰も手をいれていない気がするのだが、と。ジーナの予想は違わず、そこにはかつては庭園は姿を消し、ただひたすらの荒野があった。
二人は立ち止まり枯れた背の高い草が乱立する光景を無言で眺めているとヘイムが歩き出しジーナも歩き出す。
枯草を踏み分けていると足元には乾いた音が手で掻き分けると千切れ砕けるその響き。どこにも命ある緑の色は見えず茶けた死の光景。ここには春が訪れてはいない。
そのなかをヘイムは苦も無く文句もなく進んでいく。運動にしては何故こんなところを、とジーナは思いながらも聞かずについて行く。
それにしても広い荒野だなとジーナは思った。
歩き出してから歩みが遅いとはいえ、そこそこ時間が経っているというのにまだ果てにあるであろう壁や柵にぶつからない。
ヘイムもヘイムで真っ直ぐに延々と進む歩みを変えずに行こうとするためジーナは脚を止めた。
するとそれがすぐに伝わったのかヘイムも同時にとまり右に振り向いた。
「……そろそろ右に歩まれたらどうでしょうか? このまま前進してしまったらこの先がどうなっているのか分かりませんし」
「おおそうか……もしこのまま前にずっと進んでいったら、違う世界に行けるのではないかと思いだしてな。だからちと夢中で進んでしまったのだ」
「なんですその空想は」
前方は未だに茶けた荒野の先が見えぬ状態でありまだ先があるかと思われるが、もう限界であろう。
「もう少しだけ、行かぬか?」
ヘイムがせがむもジーナの脚は動かない。止らなければならない。
「いいだろう、あと少しだけ」
「駄目です。壁や柵が壊れている可能性がある」
「ああ、そうだろうな」
聞きに相応しくない返事にジーナは再び警告した。
「危険です」
「そうだろうな」
ヘイムは平然した表情で、というよりかは何かに挑むような視線をジーナに送った。だからジーナは問うた。
「……どこに行くつもりなのです?」
「この先だと言っているだろうが」
「行ってどうするのです?」
苛立ちジーナが責めるとヘイムが睨んだ。
「行ったところでなにもない。結局引き返すことになるだけです」
「なにもないと、言い切れるのか?」
そう言いながらもヘイムの脚もまた動かずジーナはまた荒野の先を見つめる。
「だからこの先は……」
「この先には?」
もしもその空想が事実であったら……と思い出したジーナはヘイムを見返す。
既に睨んではおらずいつものその眼はなにも訴えも言葉も発していなかった。
ジーナにはただ何かを待っているものと見えた。
なにを待っているのか? なにを……ジーナは視線を外した瞬間に脚を前に出した。
すると握っていた手には力も熱も消え伝わらず何も感じるものは無い。
それでもその手のなかにはヘイムの右手があることが見て確かめることもせずとも分かった。
このまま進めば、もう一歩踏み出せば、共にどこにだって行けて……
「ジーナに……ヘイム様」
二歩目は声の方向へと踏むと同時に振り返るとそこにはハイネが立っていた。
その間の距離はまだあるはずなのに、妙に近く感じる。
「……ルーゲン師の御進講のお時間です。遅れてはなりません。どうぞ速やかにお戻りください」
抑揚のない一本調子にことを告げながらジーナはハイネがヘイムの方にしか目をやらないことに気づき見るも、返さない。
「ヘイム様どうぞこちらへ」
こちらが向かうより前にハイネが歩み寄って来る。なにやら重い影を背後に漂わせながら。
「ああそう。もうそんな時間であったか。楽しいと時間が経つのも忘れてしまう、な?」
同意を求めるような語尾にジーナはどうしてか言葉に窮し近づいてくるハイネを見ると、より濃くなっている重厚な影に思わずのけぞった。
「私は、楽しいとは思いませんでしたが。むしろ長い間歩いて不安でした」
早口で話すとハイネは失笑して右手を振った、当然ジーナの左手も振らされた。
「おーおーそうであったな。そなたは不安というか怖がっておってほれ妾の手をぎゅーっと握りしめておったな。珍しく妾が先頭になって歩かせたのも、そういうことであろう?」
嫌な笑顔だな、とジーナは反発しながらその手を引っ張った。
「違います。最後は私があなたの手を引いたでしょう」
言い放つとヘイムの顔は嫌な笑顔から微笑みに変わった。
「うんそうだな。迷って足を止めていた妾の手を引いて前に出たのは、そなただ」
掌の熱と力がまた無になっていく感覚にジーナは襲われた。
「そなたが前に一歩出た時に妾の歩みに抵抗はあったか?」
ない。ジーナは口に出さずに答えた。


