「結構いいこと書いてあるから面白いよ」

「待った。キルシュはもう読んでいるのか?」

「ハイネの内容確認の朗読に付き合ったから読んだというか聞いただね。そんな大丈夫だよ、聞かれても困るような二人だけのプライベートな話はないから。あっもしかしてネタバレでがっかりさせちゃった?」

 そうじゃないと否定すると手紙を没収されそうであったのでジーナは素早く読み始め、一節目を声に出した。

「『ずいぶんとお楽しみでしたね。』おや? 皮肉っぽくないか?」

「意外と行間が読めるんだね。絶対そこは分からないと思っていたのにさ」

「ハイネの声で再生するとここは嫌味な感じを出していると分かる」

 キルシュは笑い出しジーナの背中を二度叩いた。

「あの子のことはよくわかっていて良いね。その調子だよ、ささ先を読んでよ」

「なになに『内容はともかくとして酔っているのか字の癖が強く出ていますね。所々綴りを微妙に間違えていますし抜け字もみられます。最近は任務で忙しいのでしょうが時間がある時は少しだけでもいいので自習をしてください。私はあなたの字を見ればどれくらい勉強したのかが分かりますのでくれぐれも油断なさらぬように』っておいおいこれは説教になっているけど」

「ハハッ、なに? 意外だったの? 想像していたのってどんな内容だと? 甘い内容とかそういうの期待していたの?」

「そんなのは想像はしていなかったが、これは甘いとは異次元のもので苦いとか辛いとかしょっぱいとか読むのが嫌になる……そういうやつじゃないか」

「なんてことを言うんだいこの人は。大丈夫大丈夫この先は良くなっていくからさ。ハイネを信じて」

 信じられないなとジーナは思いつつもその言葉は腹の底に沈め朗読の続きに戻った。

「『それにしてもここでもあなたはルーゲン師のことばかりを書くのですね? 少しは師の名誉のことを考えられたら如何でしょうか? 師にだってプライバシーがありどう書かれているのか知らないでしょうし、このことが向うに知られたら二人の関係がどうかしてしまうかもしれません。極力避けるべきであり、あなたが書くべきことはやはり自分自身の事なのですよ。あなたが見たこと感じたことを人に伝えることが大切で、これは以前報告書を書く際の注意点として言ったことと同じでして、手紙を書くのならあの報告書のようなものを私に届けてください。あの戦いのあとに書いた手紙の内容 (読ませていただきました) のように自分の心を前面に出すのがこの場合は適切です。この手紙も一つの学習と仕事だと意識すれば更なる勉学の向上へと繋がると思います。あなたはもっと良い文章を書ける人だと私は信じておりますので頑張ってください。そちらにはこちらの仕事が一段落した後に勅使として赴くかもしれません。あなたのことですから無理はするのでしょうが、どうか無理なさらずに御無事で、せめて私と再会するその時まで危機が無きよう願っております。あなたの同僚ハイネより』」

 読み終わりジーナは目でもう一度黙読をし、息を吸った。冷たい空気が体内に入り熱を冷やしているのか心地良く、息を吐きもう一度吸う。

 それからやっと一度頷き手紙から目を離した。

 とても長い間だと感じるものの、それはほんのそのまま二呼吸と少しの時間であったもののジーナは何かを噛みしめていた。

 言葉に出来ないものをいま感じつつ、ようやく言葉を口にする。

「確かに良い手紙だな」

「でしょ! 隊長のことばっかり書いていてさ。お説教とか言ったけどこれはきちんと心を開いて改善点を要求し隊長ならできると信頼している証でもあるんだよ。そう、こういう風にだよ、こういう風に。これがこいび……の手紙のやり取りだよ」

 途中でゴニョゴニョと不明な単語が出たがジーナは聞き流し手紙を封に終い懐に収めた。温かみがそこに感じた。

「何があったかは書くのは勿論良いけど、誰に送るのかを頭の中に置いておかないとさ。これはハイネに送る手紙でルーゲン師の動向に関する報告書ではないからね」

「そこは理解した。だがルーゲン師のことを書くなとなると困るな。ルーゲン師は色々と話されてくれるからそこから手紙の内容に写すのが自分的にも良かったのだが、こう注意されてしまうとな。私は自分のことについて書くのが苦手なのにこう強調されると」

 書くどころか、考えるのもさえ苦手だとジーナは思っているとキルシュは事もなげにいう

「二点言うとね、まず一つ目に他の男のことは基本的にどうでもいいんだよ。それがどんなに偉い人でもね。二つ目は上手く書けとは誰も言っていないよ。正しい字と普通の文章で自分のそのままの心を書いて伝える。簡単じゃないのさ」

「自分の心を正しく伝えるのは、簡単じゃないよ。とても、難しいことだ。だいたい自分の心の正しさとはいったいなんだ?」

 反論するとキルシュは驚いた顔を向けてそれから反論せずに微笑み首肯した。

「そうだね。すごく大変なことだよね。分かるよ、あたしもブリアンにそのままの心の言葉をぶつけるって、案外ないもんね」

 なぜそこでブリアンが出て来るのか?

「けどそこはさ頑張ろうよ。隊長って、これもハイネの手紙に出てきたね。ほら頑張れ頑張れ」

「はいはい頑張るよ。しかし勅使としてくるのか。予定は不明なようだがいま後方は忙しいのかな?」

「ハイネから何も聞いていないのかな? まぁあの子は自分の仕事を男にだってペラペラしゃべる女じゃないけど、ちょっと不思議だね」

 立つべきだな、とジーナの本能が告げたのか腰が浮いた。キルシュが横を向いた。これ以上は、やめろと、話すのはやめろと何かがまた告げてきた。

「あの子はいま大事な任務を請け負っておいてね……」

 立て、とジーナは立ち上がりかけたその瞬間にキルシュが振り返った。遅すぎた。

「それがね龍身様の婿選定なんだよ、これは重要機密だから、秘密だよ」

 言葉が耳に入るとジーナは音を立てずにその場に座りなおした。気づかれることもなく、怪しまれることなく。

「……そんなことをしていたんだ」

 機械的に無感動にジーナは尋ねる。

「そうだよ。キルシュは龍の側近として龍の婿殿について龍身様とご相談なさっているのさ。シオン様はどうしたことかあまり協力的でないし龍身様のお母君も恐れ多いということで不干渉でね。実質的にハイネが一手にしてこの任務を引き受けているんだよ。みんなの頑張りで中央に近づいたじゃん。このままいくと龍身様の中央帰還でそのままご統治に御移りになられるのだからそのパートナーが早いとこ必要だから忙しいんだよ」

 ジーナは自分の中が妙に静かなのが気になった。というよりも自分の心の中がこんなに何も無いという空っぽだということを感じるのもかつて、無かった。

 意外と広いかもと思うほどに何も無いがその空間の広がりについては、認知ができた。

 今は何もない、考えてもいない、ただ空間の広さに関すること以外には。

「一段落が着いたら来る、ということは相手の候補はほぼ絞られてあとは誰にするかという段階ということか?」

「そこはあたしも分からないね。これについての内容は当然守秘義務があってハイネはこのあたしにすらあまり話さないもの」

「でも、キルシュはなんとなく、知っているはずじゃないのか、誰かが」

 声が暗くて重いものとなっていることがジーナ自身でも分かったが、変えようが無かった、口が、閉まらない。何故その名前をわざわざ聞こうとする?

「なんとなくといってもあたしの口からはちょっと」

「誰だ?」
「隊長?」

 不安な表情を浮かべたキルシュを見た途端にジーナのそのあまりにも透き通りすぎていたその心に濁りがかかり影が差し、やがて音が鳴り、息を吐くために咳込んだ。

「ゴホッすまない。ちょっと野次馬根性が出てしまって」

「へぇこの超俗的なジーナ隊長にもそういうところがあるなんて新鮮さ。まぁあれか元勤め先の話だから気になるだろうけど、隊長には関係ない話だよね」

「そうだな、私にはまるで無関係な話だ、誰が龍の婿になろうともな」

 言葉にも棘があるのか語れば語るほどに口から出れば出るほどに痛みと血の感覚をジーナは味わっていた。

「誰だかは言えないけど龍身様のお婿候補。まっご存じのように御当人はそういう話に全然興味が無くってね。だから困っているんだよ」

 ヘイム様がそういう話に興味が無い? そんな馬鹿なとジーナは掌が熱くなるのを感じた

「……意外だな」

「何が意外なんだい? 隊長はあの御方の回りに男の影がいたなんて話を聞いたことでもあるとでも? いるとしたら教師のルーゲン師や親戚のマイラ卿にバルツ将軍とお馴染みのメンバーばかりじゃないか。けどまぁあの御方も生まれつきそういうタイプじゃなかったんだよ。むしろ逆に近いタイプでさ。変わったのは龍身様になられたからで、その使命を真摯に担っているから、まぁ恋愛なんざ全然興味がなくなってもあたり前なんだけどさ。そうなると誰を選んでいいのか、本気で分からなくなるから因果なものさ。龍身様から見たら人なんざどれも大して変わらないからね」

「でも結局は誰か一人を選ばなくてはならない」

「それはそうさ。中央帰還後は婚姻発表が平和の宣言として最適だからね」

 前に進めば進むほど、敵と戦えば戦うほど、龍を討てば討つほどに、その時が近づいてくる。その二つの意味での約束の時が……

 そう考えるとジーナは変な笑い声が出た。自嘲的でもない、虚無的な声が。

「ハイネが頑張って説明しても芳しくない反応のヘイム様が目に浮かぶよ」

「そうそうそうなんだよ隊長。ハイネは候補者を、まずこれ以上に無いものたちを並べても龍身様はお気に召さないんだってさ。別にハイネは愚痴なんて言わないけど、様子でそう言っているようにあたしには見えるんだ。間違いなくハイネはトップクラスの候補者の名前をあげているというのに……何が足りないんだろう」

 俯き考え込むキルシュを見下ろしながらジーナは逆に頭を傾げた。どうしてそこまで悩むのだろうかと。

「そこは強さとか戦功とかではないのか? 龍の御軍の中に候補者はいるとして、こうして誰だと決めないでおけば誰もが力の限り戦い戦勲をあげる。その累計が一番のものを選ぼうとしているのなら……中央陥落まで決定しないでもいいよな」

 キルシュの鼻で笑う音が聞こえるも、それはどこか心地良いものだとジーナは感じた。

「どうしようもないうぐらい単純思考丸出しだね。トーナメント大会で優勝したらお姫さんと結婚という話が理想的とでも?」

「だけども真っ直ぐで分かりやすくかつ、公平だ。戦士達は龍のために戦い命を賭けているのだからな。それに龍にとっては人間はどれも同じであるのならそうしたほうが分かりやすはずだ。もしかして龍も人の貴賤をとやかく言うそんな存在だというのか?」

 嘲りの響きがあったのかキルシュはむきになって応えた。

「龍は、そんな存在じゃないよ。より自分に相応しいものしか絶対に選ばないし、人の心を読んだ上でお選びになるんだ……けどもまぁ、それは正しいのだけど、ほら龍身様の婿だからさ政務を共に執られるのだから、元々の社会的な地位が高くないとその先に支障が出るじゃん。だから候補者は上流階級を対象にしていてね」

「だとするとルーゲン師は候補者かもしれないということか」

 考えもなしにジーナがそう言うとキルシュの目玉が左右に瞬間揺れるもすぐさま真ん中に腰を据え、もう動かさなかった。