「誰だ?誰がそのようなことをお前に吹き込んだ」

 ヘイムの言葉にジーナは身構える。自分はいま戦いの場にいるのだと。

「新参者であるうえに元々ここの事情に興味のないお前が妾とルーゲンとの関係についての事情を知っているはずも無かろう」

 弓の弦を引く音がヘイムのどこかから聞こえてくる。矢が来ると思うと指が離れ空を切る音が耳の奥で聞こえた。

「……ハイネだな。ここ数日お前と過ごしたのはあやつしかおらぬ」

 矢は自分を外れ後ろへと飛んで行く。自分を射抜けばいいものを、とジーナは思った。

「言い訳はいらぬぞ。今すぐに下の階に行きあの娘を連れてこい。はやく立て」

 もしも最も私を苦しめたいのならこれがなによりも効果的だなとジーナはヘイムが自分のことをよく知っているような気がした。

 自分の胸に矢が刺さり血を流す方が楽だと言うことを見抜いているように、それを命じる。

「どうした、立て」

 そうであるのだから予知しているのではないのか? とジーナはヘイムを見ながら思う。自分が次に何を言うのか、を。

「ハイネさんとは違います。彼女は無関係です」

 自ら動くと眉間に矢が刺さったような感じがした。矢とはヘイムの右目からの光であり、視線が一点に注がれ、沈黙が辺りに一瞬満ち、消える。

「庇うというのか? そのような話をお前にするものが他にどこにおる?」

「庇ってはおりません。これは単なる自分の誇大妄想と壮大な勘違いでありましてヘイム様の御気分を害してしまい誠に申し訳ございません」

 ジーナは頭を下げるがヘイムの表情には変わりはない。

「これ以上嘘を吐くな。そのような見え透いた嘘や態度に騙される妾だと思っておるのか? いいかそなたはいま天秤にかけたのだぞ。妾と嘘を乗せた結果がこれか? えっ? 妾よりもあっちの方が大事だというのか」

「そういう場合も場合によってはあります」

 ジーナは戸惑いなくゆっくりと答えた。
 ヘイムはまた一段と声をあげるも、怒りの声であるのにどこか楽し気な響きすらあると妙だなとジーナは感じた。

「ほぉ、場合によっては妾よりも大事があるとでも申すのか」

「約束次第では、あります」

 これでは自白したも同然であるがジーナはもう行くしかなかった。

 どこかへ。

「私のミスですのでどうか私を責めたて罰して下さい」

 ジーナの願いをヘイムは鼻で笑った。

「お前みたいなものを罰してどうというのか? 思い上がるな」

「いいえヘイム様。あなたは私を嫌悪していらっしゃるならばその思いのまま、あなたは私を罰すればいいのではないですか? ちょうどよく私はミスをしました、罰してどうぞ」

 ヘイムの表情から感情と熱が消えそれから右手がジーナの左頬に当てられる。その掌の熱は火を思わせた。

「ひとつ聞くがな。お前とハイネはそういう関係であるのか?」

 どういう関係? とジーナはオウム返しのように心の中で呟きどういう意味かはよく分からないが首を振った。夫婦とでも?

「そんなわけありませんよ。私達は二度しか会っていませんよ」

「初体面だけで十分ということだってあるぞ」

「はぁ、私はその感覚が分かりません」

「妾にだって分からん」

「何が言いたいのですか? そのようなことを言われましてもこちらは困惑するのみで」

 ジーナの言葉にヘイムは薄ら笑みを浮かべた。

「どうだ? 根も葉もないことを言われた気分は」

 あてつけられ言葉に詰まるとその笑みがより満足気になっていく様子をジーナは見るしかなかった。

「しかし私とあなたでは、いろいろと違います」

「心は似たようなものだと今感じたであろうに」

「……立場とか役目とか、男女の違いとかもありまして」

「フフッ見苦しいぞ。じゃあもっと言ってやろう。お前はハイネを想うておるのであろう。だから結婚をしたいと」

 この女はいったい何を言っているのだ? とジーナは言葉の意味が分からなかった。

「まぁあの娘はそういうタイプであるからな。
よって妾が後日そういう場を設けるようセッティングしてやる。噂も広めておくから、感謝するように」

 その瞳から嘲笑の色が見えた時に血が熱くなるのを感じながらジーナはその右腕を掴み叫んだ。

「やめろ。こちらは兎も角も向うは困るだろうしこれに関しては無関係だといったはずだ」

 だがヘイムの笑みは消えずにそれどころか、増す。

「おっいい反応だぞ。怒った怒ったおお怖い。ならばその筋肉質な脳で改めて考えよ。さきほど苦し紛れに言っていた違いとはなんだ?なにか違いでもあるのか?」

 唇を噛みながらジーナは目を背けた。罠に引っ掛かり続けている。そうやって、遊ばれている。

「どうした? 目を背けてもその気持ちは汲んでやらんぞ。いま妾の掴んでいるこの手の動きも不問にしてやる。先に手を出したのは妾だからな。お互い様だ。まっ痛くもなんともないからな」

「こういうものなんですかね……あなたの気持ちを、なんとなく分かった気がします」

「おぉ少しだけでも理解できれば偉いものだな」

 うん? と思うも手が離れたのでジーナも手を離す。ヘイムの顔は嘲笑の歪みが無くどこか満ち足りたものとなっていた。何故?

「では、まとめよう。妾の呟きから庭が手入れされる。それは妾とルーゲンが散策するためのものであったとかいうこんなどこからか飛んできた風の噂のようなものを信じ込んだのが間抜けなジーナであり、しかも迂闊にも妾に話してしまった。よってこのことはハイネは一切関係なし、とこういうことにしてもらいたい。これでいいか?」

「それが良いのです」

 呻くような答えを聞いたヘイムは鼻で笑う。

「でもなぁジーナ。そこまで庇うというのはどこか特別な感情があるとしか見えぬし、また特別な関係が存在すると想像しないほうがおかしいぞ。これは妾が想像力が豊かであるとか関係なしにな。まっ妾は心優しいからこれ以上突っ込まぬがな」

「心優しいにしては十分言い過ぎていると感じられますが」

「これぐらい大したことではないぞ。あーちなみにそのカッコいい騎士様みたいな行為は向うに伝わらんからな。妾とそなただけの話として永遠に外には漏れなくなるが、それでもいいのか? もったいなくないか?話してやっても良いぞ? そうしたらお前の評価が上がるかもしれんぞ」

「必要ありません。私は彼女に何かを望んでいるとかではなく、あなたに対して望んでいるのですから、あちらは無関係です。それにしても他人に対してその容赦のなさはいったいなんです?」

「当然であろうに。人のことをあれこれ勝手に言うのは面白いからな。だからお前だってそうであろうに。ルーゲンと妾について好き勝手に誰かと話したであろう」

「話していません。私はそういう話には興味が無いんですから」

 ほぉっと何故か不思議な声をあげてヘイムは窓の方向に目をやった。

「とりあえずそんな忌々しい噂のたったこの庭をどうにかせぬとな。折角歩こうかなと思っておったのにそんな目的で整地されていたとは不快極まるな。この呪われ汚れた土地をどうするか……」

 いたぶって気が済んだのならそれでいい早くシオンが帰ってくればいいのに、とジーナは息を吐いて気を休めると、そこに反応したヘイムが振り返りジッと見つめてきた。

 何か気付いたのか? その雰囲気はどこか獣っぽかった。

「念のために聞くがハイネとはそういう関係ではないという先の言葉は本当であろうな」

「……そうですよ。何を言っているのかよく分かりませんが」

「大事なことだから重ねて聞く、真であるな」

「いい加減しつこいですよ。これ以上いたぶったって面白い反応は出てきません」

「何を言っておる。気を遣っているのだぞ。お前が大事にしているハイネを悲しませたりしたくないからな。それならばこうだ。お前と歩いている姿を皆に見せたらその噂が消えると思わんか?」

 この女は今なんて言ったのだろうかとジーナは頭の中でヘイムの言葉を反芻する。

 だが吐き出したものの再び呑み込むことはできずにその言葉の塊を見る。

 お前は、その龍となるものと、一緒に歩く、とあるが見てもよく分からないのでジーナは口に出して確かめることにした。

「私とあなたが共に歩く、と……言われましたか?」

 いくらなんでも聞き間違いだろうとジーナが問うとヘイムは即答する。

「言った」

 青い瞳が一度瞬きをするのを見ながらジーナは顔を近づけながら答えた。

「できません」