氷の王子は私に優しくしてくれます


 その日の帰り道、佳奈は委員会の仕事で遅くなるとのことだったので一人で帰っていた。

 桜並木はすっかり花を落として新しい葉を目一杯広げていた。

 このあたりは緩やかな下り坂。

 力いっぱいタイヤを回す必要がないから結構楽に進める。

 チリンチリンと後ろから音がして車椅子を止めると、自転車が二台追い越していった。

 これから先、きっと自転車は乗れないだろう。

 ゆっくりと車椅子を動かす。

 リハビリは今でも続けていて、徐々に動きやすくなってはいるけど、きっと自転車は乗れない。

 そもそも今後普通に歩けるかどうかも今の段階で目処が立っていない。

 それでも、諦められないのはこれから先、もっといろんなことがしたいからだった。

 遊園地にも行きたいし、何処か遠出したい。

 やりたいことがあるから私は頑張れる。

 家までの道のりの途中、広い公園が見えた。

 ここには遊具の類はなくて、中央にある芝生の広場をコンクリートの道がぐるっと囲っているだけの公園だった。

 だからか子供たちの姿は見えなくて、ウォーキングをしてるおじさんとランニング中の若い女性しかいなかった。

 久しぶりに寄っていこうと車椅子を公園へと向ける。

 入るところに少し段差があるけど、ちょっと助走をつけたら簡単に乗り越えられた。

 事故に遭う前、散歩が好きだった私は良くここにきて何をするわけでもなく、ただぶらぶら歩いていた。

 こんな状態になってからはそう外に出るきになれなくて、長らく来ていなかった。

 コンクリートの道を進み、端まで行くと、コンクリートで塗装されていない道に出る。

 こういう道に行くとタイヤに土がついて後が大変なのだけど、せっかくだしと思い、そのまままっすぐ行った。

 少し行くと広い広場に出て、中央にはベンチ、奥には街が一望できた。

 あまりここまで来る人はいないけど、今日は先約がいたみたい。

 ただ…

 「危ないですよ!」

 私は慌てて車椅子を動かし、ワイシャツをキュッとつかんだ。

 その人は柵の向こう側にいて、あと一歩前に出れば下まで一直線だった。

 「何があったか知りませんけど何も死ななくても…」

 「あんた、何言ってんの?」

 下を向いていた顔をゆっくり上げると、シルバーの髪が風に揺らいでいた。

 「な、南雲先輩!」

 「ちょっとどいて」

 私が後ろに下がると、ひょいと柵を飛び越えてこちらに来た。

 「俺が死ぬって思ったのか?」

 グイッと顔を近づけられる。

 近くで見ても毛穴がわからないほどに綺麗な肌をしている。

 「いや、あの、えっと…だって、柵を越えていたので…てっきり…」

 だんだんと声がしぼんだ。

 誰が見たって焦るに決まってるし、勘違いだってする。

 私が追いつく前に体が傾いたらどうしようかとヒヤヒヤしていた。

 「ふーん、そうか」

 先輩はベンチに腰を下ろした。

 そのままベンチに寝そべる。

 遠くから五時を知らせるチャイムが響いた。

 「悪かったな。驚かせて」

 先輩は腕で目元を覆った。

 「いえ、なんともなかったらそれでいいです」

 なんだか、学校にいる時の先輩より弱く見える。

 今の先輩にはキラキラした感じはない。

 なにも纏わない素の感じ。

 先輩は起き上がって私の前にしゃがんだ。

 「あんた、なまえは?」

 「…香坂、瑞葉です」

 「香坂…」

 「はい」

 ゆっくり先輩の手が私に伸びる。

 指先が私の頬に触れた。

 触れられた部分が熱を帯びる。

 「せん…ぱ…」

 先輩の手が離れ、ポケットからスマホを取り出した。

 「スマホ、出して」

 「えっ、」

 「連絡先、交換しよ」

 え、連絡先、?

 先輩と?

 私をじっと見つめて私を待っている。

 頭がついていかない私は、ゆっくりと鞄からスマホを取り出した。

 ___ブブッ

 スマホに表示されたアプリのアイコンをタップすると、『よろしく』とシンプルな文面が送られてきた。

 「なんかあったら連絡して」

 「えっ」

 「じゃ」
 
 私の頭をあの時のように撫で、そのまま先輩は鞄を持つと行ってしまった。

 スマホに視線をおとす。

 『つき』と表示された画面。

 思っても見なかったことに夢の中にいるかのようなふわふわした気持ちになる。

 __スポッ

 『何かあったらすぐ言って』

 文面にほおを緩める。

 エレベーターでのこと、心配してくれてるのかな。

 『ありがとうございます』

 もっと、先輩を知りたい。

 学校でキラキラしている南雲先輩じゃなくて、本当の南雲先輩を。

 スマホを鞄にしまう。

 そろそろ帰らないと心配症のお母さんに怒られてしまう。

 念の為今から帰るとメッセージをいれ、私は家へ向かった。