高校3年生の春。窓の外に目を向ければ、桜の花びらが風に舞っていた。
制服のスカートをなびかせながら、私は教室の席に着く。
卒業まであと一年――それなのに、なぜか心の奥がざわついていた。

「ねえ、紗南。春彩と美波が呼んでるよ」
友達の声に我に返る。私は春彩、美波と小学校からの親友だ。
あの頃は、今よりずっと無邪気で、でも、ずっと悩んでた。

小学校6年生になった春、私はある人のことがずっと好きだった。
その人は、優しくて、誰にでも平等で、笑うとちょっと目尻が下がる。
でも、名前を呼ぶのも照れくさくて、私の気持ちはずっと、心の中だけの秘密だった。

春彩と美波は、私にとって心強い存在だった。
どんなときも味方でいてくれて、教室の隅でコソコソ話すのも、秘密を共有するのも楽しかった。

5月の上旬、課外学習の班分けの時だった。
私は勇気を出して、初恋の人に言った。「ねえ、一緒の班にならない?」
だけど返ってきたのは、淡々とした一言だった。
「ごめん、もう班決まってるから無理」
……そっか、やっぱりだめだよね。
それ以上、なにも言えなかった。

戸惑っている私に、担任の先生が声をかけた。
「おい、こいつらしかもう残ってないぞ」
目線の先には、二人の男子。ひとりは無口な一翔くん、そしてもうひとりは……

――律だった。

「ええ……」とためらう私に、
「早く決めろよ」と先生の声。
私はしぶしぶ歩き出し、律と目が合った。

そのときの律の目は、少しだけ、意外そうで、でもなんだか楽しげだった。

正直、律のことはあまり好きじゃなかった。
小学生の頃からずっと、ちょっかいをかけてきて、私のことをからかってばかりだったから。
なんでよりによってこの人なの、と思ったけど、選択肢はなかった。

班活動が始まってからも、律は相変わらずだった。
「お前、遅いんだよ」「ドジ」「バーカ」
そんなことを言われるたびに、「は?うるさいし」と言い返した。
でも、どこか律といると、時間がすぐに過ぎていくような、不思議な感覚もあった。

そんなある日、休み時間に男子数人と登り棒の競争をすることになった。
「よーい、スタート!」という掛け声とともに、私は登り始めた。
勝つ気満々だった。でも――

手が滑って、私は落ちた。

「……いったぁ……」

足首が痛くて動けない。
先生に運ばれ、病院へ行くと捻挫だった。
それからしばらく、私は松葉杖で過ごすことになった。

思いがけず目立ってしまって、教室に入るたびに視線が集まる。
恥ずかしいし、不便だし、ちょっと泣きそうだった。

そのとき、律が何気なく「お前、バカだろ。張り切りすぎなんだよ」と言ってきた。
「は?うるさいし。あんたのせいじゃないし」と返す私。

「俺のせいじゃねーし。てか…まぁ、ちゃんと治せよ」

その時の律の顔は、どこか気まずそうで、でも心配そうだった。

春の空気は、どこか新しくて、まぶしくて、でも少しだけ、苦くて。
私はこのとき、律のことを――まだなんとも思ってなかった。

ただ、春彩と美波との放課後や、くだらない話で笑う日々。
律にからかわれて、反射的に言い返すその時間が、いつの間にか私の毎日になっていた。

そのときの私はまだ気づいていなかった。
この関係が、いずれ大切な記憶になることを――。