「――め。姫?」
――――呆然としたまま動かなくなった私の名前を、傑兄ちゃんが心配そうに何度も呼ぶ。
その声に少しずつ現実に引き戻される中、昔の記憶に浮かされて出てきた言葉は無意識だった。
「恋をしてるの?“あの人”と……
だからお父さんを……私達を捨てるの?」
心細くて、不安でたまらない。
喉の奥がキュッとなってぐずぐずに崩れ落ちそうだ。
「姫!?」
心配そうに渉兄ちゃんが俯いた私の顔を覗き込む。
そのすぐ横で椅子が乱暴に倒れる音がした。
「やっぱり“あの時”姫に何かしやがったな!!」
勢いよく立ち上がった傑兄ちゃんが、目を血走らせて殴るように机を叩く。
――それでも母親はやれやれと言った様子で苦笑しただけだった。
「彼といるところを見られちゃっただけよ。
それに“捨てる”なんて人聞きが悪いわ。もうそんな年齢でもないでしょう。
むしろ貴方達のためによく我慢した方なのよ。」
「コイツ一回殺す!!」
「やめろ傑!抑えろ!」
傑兄ちゃんが机越しに身を乗り出して腕を振り上げたのを、渉兄ちゃんが慌ててその背後に回り込んで押さえる。
部屋の中が騒然とする中で、私は徐に立ち上がった。
息が苦しい。心臓がどくどくと痛いほど鳴って、
もう体が持たない。
「――最低。」
低く冷たい、心からの一言に全員黙る。
兄ちゃん達も気まずそうになったのは、私に真実を隠していた罪悪感があるからだ。
……でもそんなことに気づく余裕すらない私は、そのまま3人に背を向けてリビングを出ていった。



