忙しい日々の合間にふと立ち寄る『Sanuk』は、静かな安らぎを与えてくれる場所となった。琉生はいつも穏やかな笑顔で迎えてくれ、仕事で疲れた紗奈の心を癒してくれた。
 話すほどに、彼の中に息づくアジアへの情熱とまなざし、そしてその人柄や価値観に惹かれていく自分を、紗奈は静かに感じていた。

 大学を一年間休学してアジアを旅したこと。そこで出会った人々の優しさや、歴史と文化の奥深さに心を動かされたこと。その感動が雑貨店を始めるきっかけになったこと。そして、いつかアジアで暮らしてみたいと考えていること――
 アジアの魅力と夢を語る琉生の姿はキラキラして眩しく、話してくれて嬉しい気持ちもある一方で、彼の未来に自分の居場所がないことに、少し切なさを覚えた。
 いつしか紗奈も、琉生が熱く語るアジアの魅力に惹かれ始めていた。


 その日、店内は一組のカップルと数人の女性客で賑わっていた。
 接客中だった琉生は、紗奈に気付くと目で合図を送ってきた。紗奈はちらちらと琉生に目をやりながら、しばらく店内の雑貨を見て回った。
 全ての客を店の外まで見送って振り返った琉生は、悪戯な笑みを浮かべていた。

「紗奈ちゃん、僕のことジロジロ見てただろ?」

「やだぁ、ジロジロだなんて。琉生さん、すごく楽しそうにお仕事してるなと思って見てたんですよ」

「楽しいよ。好きなことだからね」

 琉生が照れ臭そうにふっと笑みをこぼすと、紗奈の胸は甘く締め付けられた。
 紗奈は接客している琉生の姿をこっそり見るのも好きだった。もう数えきれないくらい目にしている姿。琉生の少しだけ畏まった口調を耳にすると、初めて『Sanuk』に足を踏み入れた日のことを思い出す。
 人を惹き付ける穏やかな笑顔とユーモアセンス。彼の人柄に触れれば、誰もが思わず笑顔になる。

「座ろうか」

 いつものようにカウンター横の椅子に促され、腰を下ろした。

「さっきのカップル、すごく仲良さそうでしたよね」

「そうだねえ。お揃いのブレスレットを買っていってくれたよ」

「へえ。……琉生さんは、恋人いるんですか?」

 いかにもさりげなく尋ねた。
 出会って数ヶ月経つが、初めて口にした言葉だった。

「三十過ぎた男の夢物語を笑顔で聞いてくれる人なんて、紗奈ちゃん以外にいないよ」

 それは、いない、ということだろうか。

「いつか紗奈ちゃんに、アジアの素敵な国、案内してあげたいなあ」

 琉生が軽く口にしたであろう言葉を真に受け、紗奈は胸を高鳴らせた。

 それが最後の会話になるとも知らずに――