夜を導く光、それは赤い極道でした。



 そこは台所であり、この古風な家の内装とはアンバランスな最新のシステムキッチンが備え付けられていた。なるほど、文明の利器には逆らわない方針かと思っていると真次郎(しんじろう)は手を離して、キッチンの中にいる男性の背に声をかける。


「まっつん、飯まだある?」

「おかえり。遅かったね……って、真次郎。その子は?」

 “まっつん”と呼ばれた男性は振り返ると真次郎の隣にいる(みお)を見て、微笑みを引っ込めた。切れ長の瞳が静かに鋭い。いきなり知らない者がいることに警戒しているのだろう。
 澪はこの人は料理番か何かなのだろうかと、ジーッと眺めてしまう。しかし、やはり気になるのはこの部屋の中。
 
「あー……こいつは」
 
「ここが極道の台所ですか。隠し通路とかあります?もしくは、冷蔵庫開けたら薬とか」

 真次郎が紹介しようとする横で、落ち着くという言葉を知らない澪は好き勝手に喋りだす。案の定、真次郎は眉根を寄せた。
 
「おまえ、ウロウロすんな」
 
「新しいペット?だめだよ拾ってきちゃ、返してきな」

 ペットなどと失礼な発言をしている相手を真次郎は否定しない。澪の言動から、あながち間違いではないと思うから。
 
「仕方ねぇじゃん、抗争に巻き込まれて、放置したら死ぬし」
 
「死ぬのは困ります。お腹もすきましたね」

 タイミングよく澪のお腹が相槌を打つ。その音を聞いて、まっつんと呼ばれた男はクスリと笑った。このアホっぷりに警戒心は薄れたのかもしれない。
 
「何かたべる?茶碗蒸しあるけど」
 
「いいんですか!?」

「食いつきすご」

「過度に遠慮されるより、わかりやすくて俺は好きだよ」

 男は手早く冷蔵庫に入れておいた茶碗蒸しを取り出して、レンジで温める。6人がけほどの大きさのテーブルにそれを配膳すれば、席についた澪の表情は見るからにうれしそうだった。

「いただきます!」

「どうぞ召し上がれ」

 低く優しい声音を聞きながら目の前の茶碗蒸しを一口入れる。出汁の旨みと温かさに澪の食べる手は止まらない。

「おいしっ!これめちゃくちゃ美味しいですよ!」
 
「ありがとう」

 父親とは違う、大人の男性。男性って優しく笑えるのかと自身の父親のことを澪は思い出す。

 再婚のために、父親の手を離れた自分。自由気ままな一人暮らしのはずが、ひょんなことから物騒な御伽話のような極道の世界に迷い込んだ。けれど、そこにいるのは案外普通の人間で……隣の真次郎も目の前の男性も恐怖の対象ではない。
 
「すごいですね、こんなに美味しいのが作れるなんて!えと……まっつん、でしたっけ?」
 
「ぶほっ!おまえもその呼び方すんの?うける」

 だからこそ、気軽に口にしてしまう。距離を縮めるような、相手の懐に入り込むような。

 隣の真次郎も目の前の“まっつん”と呼ばれる男性も、少ししか関わりがないが、共にいて居心地はいい。
 
「んー……松野(まつの)って言うんだけどなぁ」
 
「まっつんは、嫌でしたか」
 
 細く整った眉を僅かに歪め、呼ばれ方に渋ったような反応を見せた“まっつん”こと松野。お気に召さないのかと思い、そうだとしても澪は呼び方を変えるつもりはなかったが、一応尋ねる。
 否、尋ねるというよりは「そうなのか」と事実を受け止めただけにすぎない。
 
 そんな澪に松野は少し考える素振りをみせ微笑む。大人の余裕のある態度。短髪の青みがかった黒髪が、より爽やかで落ち着いた印象を受ける。真次郎よりも年上に見えるのは、彼のもつ静かな雰囲気の影響もあるのだろうなと澪は、残りの茶碗蒸しを口にかきこみながら思った。

「いや?いいよ。特別ね」

「それでは、まっつん」

「なぁに?」

「茶碗蒸しごちそうさまでした」

 澪は深々と頭を下げ、そして顔を上げる。松野と目が合う。ニッと歯を見せて笑えば、松野も笑みを返した。
 
 極道の家で茶碗蒸しを食べたなどと、高校の友人や父親に知られたらさぞ驚くだろう。いや、この少し愉快な体験を小説にして投稿してみるのも面白い。悪い男とキュンな恋愛とはまた違う方向でヒットするかもしれない。

 なにより、そちらの方が自分の性に合っている。
 
「珍しいーじゃん。気に入った?」

「悪い子ではなさそうだし」

「よい子代表ですよ」

「はい、ダウト」

「真次郎も仲良しだね。で、そろそろ俺にも名前を教えてくれるかな?」

 優しく微笑む松野に澪はそういえば名乗ってはいなかったなと、咳払いを一つ。そして、「あー、あー、あー!」と声を作る。真次郎はその様子を、げんなりした顔で眺めていた。

「……はぁい、僕はネズーミー・マウスだよぉ」

「さっむい!全然おもんねぇから!普通に名乗れよ」

「ええ?ユニークな私をまずはアピールしようかと」

「アホがバレるだけだろ」

 両手をパーにしてポーズを取る澪。かの有名な世界的な鼠の真似をしたことを真次郎はすかさずつっこみ、そのままテンポの良い会話のキャッチボールが始まる。

「ジロが伝えてくれてもよろしいんですよ?私の愛らしい名前を」

「誰が愛らしいだアホか」

「恥ずかしがらなくて大丈夫です。初体験って、緊張するものですから」

「恥ずかしくねぇわ」

「ジロに、私の初めて……あげる」

「やめろ、変な言い方すんな!」

「えー?せっかく初めて名前を紹介する権利を与えるのに?うれしくないんです?心外です」

「おまえの思考回路は宇宙なの?ここ地球な?帰ってこい」

「ただいまマイワールド」

「おい!おれに抱きつこうとするな!」

「帰ってこいって言うから、そうしてほしいのかと」

「ちげぇわ!」

「くっ……あははははは!」

 澪と真次郎のやり取りをしばらく静観していた松野は堪えきれずにとうとう吹き出した。そのまましばらく笑い続ける。真次郎は怪訝そうな顔をして、澪はキョトンとしその様子に目を向ける。

「あー……おっかし」

「笑いすぎだろ」

「まっつんは、そんな風に笑うんですね」

「2人が面白かったからね」

 笑いすぎて涙が出たのか指で雫をすくう松野。澪はそんなに面白いことを言ったのかと不思議な気持ちで、真次郎に目をやる。ちょうど真次郎も澪を見ていてのか、視線が絡んだ。

「……」

 2人は口を開かない。沈黙が続く。松野は様子が変わったことに気づいて、また静かに見守った。



 ────


 温かさは、笑いの中に宿る。
 優しさは、ふとした沈黙に紛れ込む。
 名を呼び、名を覚えてもらうたびに、
 “ここにいてもいい”と思えるようになる。
 ──でもそれは、まだ知らぬ誰かの痛みの上にあると、澪は知らない。


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