「っ……ふざけた真似を」
「私は大真面目です。ですから、守られるなかでも自由にさせていただきます」
澪は澪だった。怯えることも嘆くこともない。相手を罵ることも責めることもしないのに、不思議と黙らせてしまう。
松野は静かに笑った。そして栞は──ゆっくりと目を伏せた。
そのときだった。
澪の後ろでずっと沈黙を貫いていた久我山が、ほんの半歩だけ前へ出た。
足音は、会議室の沈黙にさえぎられるようにして、ほとんど響かなかった。
それでも──松野が気づいて、ちら、と視線を送る。
久我山は目が合った瞬間に、動きを止めた。
そして、あっさりと引く。けれど、その表情には明らかな苛立ちがあった。
澪は振り返らない。けれど、久我山の気配はちゃんと感じ取っていた。
静寂が戻ったあと、澪はゆっくりと口を開く。
「……私は、この世界で生きていきたい。後悔は、ないです」
その言葉に、誰もが呼吸を止めたような一瞬──
久我山が、低く、背後からぽつりと呟いた。
「……その言葉、簡単に言うなよ。言ったからには……覚悟しろ」
松野が再び久我山を見る。何も言わない。ただその横顔を静かに受け止める。
栞もまた、何も言わずに──小さく、目を伏せた。
「バカバカしい。小娘の戯言に付き合ってなどいられない」
切り出したのは、低く呆れたような声音。
「取るに足らぬ感情論で、この場の決を覆せるとでも? それが“秩序を揺るがす存在”の言葉か?今は我が家と面影庵の同盟の問題の話だ。小娘が夢を語る場ではない」
栞の兄の声は正論。けれども澪はやはり、んー?と首を傾げる。
「あの、先程から不思議なんですが一ついいです?」
「なんだ」
「私、この場に関係ありました?」
澪の方へ4人の視線が向く。大人のそれも裏社会の人間の視線を一身に受けて澪は「わぁお。大注目ですね」と呑気なまま、話を切り出した。
「私、普通の一般人なんですが?この庵の人でもありませんし。ましてや組員の誰かのお嫁さんでもないですし?ああ、でもお嫁さんって響きはいいですよね。憧れます」
うんうんと頷く澪はいつも通り。それが別にパフォーマンスというわけでもない。
ただ、思うままに──。
「……まあ今の私、組の誰かのお嫁さんでもないですし。ね、あくまで“誰か”ですが」
澪が思うのはたった一人。けれど、その彼も澪を拒絶している現状。そのことに澪は心を痛めつつ、顔には出さずに続ける。
「なので、私やっぱり関係ないですよね?……いや、そうであってほしかった、かな?」
「何言ってるんだ。貴様が面影庵に保護されている。つまりあんの一部ともいえる」
「それでは、面影庵から去れば問題ありませんか?」
「澪!」
松野の声が鋭く会議室に響いた。
久我山は、澪の背を見たまま拳を握っている。
栞の目だけが、どこか……哀しげだった。
「ならば今ここで出て行け、小娘」
栞の兄が声を荒げて言い放つ。その視線に容赦はない。
松野の背がスッと強張ったのが、澪の視界の端に見えた。
「でもそれって、皆さんが許してくれないでしょう?」
澪は静かに、しかしはっきりと言った。
栞の兄が口を開きかけたそのとき、栞が先に言葉を挟む。
「……少なくとも、私は帰してやれない」
その声音は冷たいが、感情がないわけではなかった。
沈黙。澪はそれ以上何も言わなかった。ただ、誰よりもこの場で優しい相手──松野を見る。
松野は苦しげに目を伏せ、しばらく口を開けなかった。
だが、やがて静かに、決して逃げずに、澪の目をまっすぐに見てこう言う。
「……澪は、もう“戻れない”よ」
「……なぜです?」
「俺が、“戻さない”からだよ」
その言葉は、優しく、けれど残酷だった。
松野の声は決して怒っていない。ただ真摯で、切実で、諦めのような祈りがこもっていた。
「きみを“守る”って、そういうことだから。自由にさせることじゃない。──きみを、失わないことなんだ」
「……私がそれでも、逃げ出したら?」
誰も答えない静寂。澪は一人ひとりの顔を見て、ゆっくりと首元にあるそれに触れる。
──BIGのコインに手を添えて。
「なら、運命に聞いてみます」
首紐を外して、澪は、一拍、呼吸を置く。
それから静かに──
コインを握る手に、祈りのような力を込めてから、空へと放った。
────
逃げることもできた。
背を向ける理由なら、いくつもあった。
それでも。
息をして、目を逸らさず、
この場所に立ち続ける。
私は、ここに、生きる。
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