数日後。ある高級ホテルに澪はきていた。栞、松野……そして護衛として久我山と共に。
「くーちゃん、見てくださいよ。高級ホテルって本当に赤い絨毯が敷かれているんですね」
「おい、あんまはしゃぐなよ。わかってんのか状況」
「そりゃあもちろんです。お家バトル、私のために争わないで!的なやつでしょ?」
「全然ちげぇ」
こんな場でもいつも通りの澪に久我山は呆れて、しかし隣にいる松野は不安そうに澪を見つめる。
「澪、無理してない?ごめんね、澪は当事者だから連れて行かないわけにはってなって」
「いえいえ、大丈夫ですよ。私には最強のアイテムがありますから」
澪は首元のネックレスを見せる。澪にしてみれば最強の後ろ盾。しかし松野の顔は険しい。
「澪、それは今日は出さない方がいいかもね」
「かもじゃないわ。決して出さないで」
栞が冷たく言い放つ。澪は首を傾げつつ、久我山に目をやる。彼が頷いたので、それならばと澪も了承することにした。
「では、今からの私の気持ちは……とてつもなくピンチですね。檜の棒と皮の盾でのボス戦な気分です」
「おまえの嘆きはいちいち悲壮感に欠けるな」
久我山の冷静なツッコミを最後に、一同は口をつぐんだ。
暗い会議室に差し込むのは、細い天窓からの一条の光だけ。重苦しい空気のなか、面影庵とイタリアマフィアの栞の家の交渉が始まろうとしていた。
テーブルの端に座る松野の隣には、静かに栞が控えていた。その向かい側には、栞の家からの使者としてやって来た長身の男──栞の兄。
澪と久我山は彼ら両方の顔が見える位置の席につく。久我山は澪の後ろで立って控える形として。警戒を滲ませつつも、久我山はあくまで影のように沈黙を貫いている。
「……これはなんの冗談だ、松野。なぜ、そんな小娘をこの場に同席させている?」
男の冷たい声が、会議室に刺さる。
澪は思わず肩をすくめた。けど、松野は答えない。
代わりに栞が、静かに口を開いた。
「その“小娘”は、今や面影庵と我が家の秩序に波紋を呼ぶ存在。だからこそ、ここにいるのよ」
「栞、……。本来おまえの役目は、面影庵との友好関係の橋渡しのはずだ。今の状況は、我が家は裏切られたも同然。なのに、なんとも思わないのか?」
「ええ、公には思うところはないわけじゃない。でも──私個人としては、裏切られたと決めるのは早計だと思ってる」
「そんな悠長なことをよく言えるな!おまえは、松野に裏切られたも同然なんだぞ!」
「──この人の背中を見ているから、知ってるの。私は、そうは思わない」
栞の目に宿ったのは、怒りでも哀しみでもない。ただ、覚悟だった。
澪は、息を呑んだ。
兄は目を細め、松野に視線を向けた。
「貴様が──妹を狂わせた」
「違います」
はじめて、松野が口を開いた。静かに、けれど鋭く。
「彼女は自分で選んだんです。俺を、面影庵を。そして……澪も」
栞が横目で松野を見る。
「あなたが“選んだ”んでしょ? 私を。責任を取りなさいよ」
「……そう、だね。責任は、とうに覚悟してる。俺の選んだ人たちは、全部、守る」
重たい沈黙が流れた。澪は立ち上がりかけて、でも迷って──それでも口を開く。
「でも、それって……ずるくないですか?守るって、自分で何かしようとする私の気持ちまで、奪うってことですよね?え?私泣いて訴えるだけの赤ちゃんじゃありませんよ?17歳の歴とした乙女です」
全員の視線が、澪に集まる。
けど、澪はたじろがず、まっすぐ全員を見つめた。
「……あなた、わかってる?」
「はい?今が漫画なら効果音が入るくらいの目玉シーンということですか?」
真面目な顔のまま、ふざけたことを口にする澪に栞は言葉を噛み締めるように、紡ぐ。
「あなたの存在が“事件”なのよ。たった一度のパーティーで、世界の秩序が揺らいだ」
松野が静かに澪を見ている。その瞳の色はずっと、心配しかない。
「……それでも、あなたはそこに立ち続ける覚悟があるの?」
澪は珍しく黙りこむが、視線は栞から逸らさない。
「……あの小娘が、今後の秩序を保てる保証がどこにある?」
栞の兄の声音は鋭いまま。けれど、栞はそれを受けて、しっかりと澪を見て、告げる。
「松野はあなたを守ると言った。でも──私なら、あなたを“戦場”から引き離す。それが“真の守り”だから」
栞の覚悟がその場に響く。重く冷たく刺すような言葉に澪は答える。いつも通り、変わらない表情のまま。
「私は籠の中の鳥ですから」
「は?何言ってるの?」
「え?もう一度言います?私は籠の中の鳥です」
「そうじゃない。意味を聞いてるのよ」
突然何を言い出したのかと思えば、あっけらかんとした澪の態度に栞だけでなく彼女の兄も表情を歪めた。松野は不思議そうに、けれど責めずに澪の言葉に傾聴する。
そして、久我山は……
「その世界の中で最大限に羽ばたくのが、許されてますから」
その瞬間、小さく目を細める。
かつて、自分が投げかけた言葉を、
澪がこうして自分の翼に変えている。
胸の奥が、静かに熱くなる──それでも、言葉にはできない。ただ、なんともいえない気持ちだった。
────
秩序という名の、檻の中で。
誰かが叫び、誰かが背を向ける。
けれど私は、知っている。
飛ぶことを諦めた鳥は──もう、鳥じゃない。
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「くーちゃん、見てくださいよ。高級ホテルって本当に赤い絨毯が敷かれているんですね」
「おい、あんまはしゃぐなよ。わかってんのか状況」
「そりゃあもちろんです。お家バトル、私のために争わないで!的なやつでしょ?」
「全然ちげぇ」
こんな場でもいつも通りの澪に久我山は呆れて、しかし隣にいる松野は不安そうに澪を見つめる。
「澪、無理してない?ごめんね、澪は当事者だから連れて行かないわけにはってなって」
「いえいえ、大丈夫ですよ。私には最強のアイテムがありますから」
澪は首元のネックレスを見せる。澪にしてみれば最強の後ろ盾。しかし松野の顔は険しい。
「澪、それは今日は出さない方がいいかもね」
「かもじゃないわ。決して出さないで」
栞が冷たく言い放つ。澪は首を傾げつつ、久我山に目をやる。彼が頷いたので、それならばと澪も了承することにした。
「では、今からの私の気持ちは……とてつもなくピンチですね。檜の棒と皮の盾でのボス戦な気分です」
「おまえの嘆きはいちいち悲壮感に欠けるな」
久我山の冷静なツッコミを最後に、一同は口をつぐんだ。
暗い会議室に差し込むのは、細い天窓からの一条の光だけ。重苦しい空気のなか、面影庵とイタリアマフィアの栞の家の交渉が始まろうとしていた。
テーブルの端に座る松野の隣には、静かに栞が控えていた。その向かい側には、栞の家からの使者としてやって来た長身の男──栞の兄。
澪と久我山は彼ら両方の顔が見える位置の席につく。久我山は澪の後ろで立って控える形として。警戒を滲ませつつも、久我山はあくまで影のように沈黙を貫いている。
「……これはなんの冗談だ、松野。なぜ、そんな小娘をこの場に同席させている?」
男の冷たい声が、会議室に刺さる。
澪は思わず肩をすくめた。けど、松野は答えない。
代わりに栞が、静かに口を開いた。
「その“小娘”は、今や面影庵と我が家の秩序に波紋を呼ぶ存在。だからこそ、ここにいるのよ」
「栞、……。本来おまえの役目は、面影庵との友好関係の橋渡しのはずだ。今の状況は、我が家は裏切られたも同然。なのに、なんとも思わないのか?」
「ええ、公には思うところはないわけじゃない。でも──私個人としては、裏切られたと決めるのは早計だと思ってる」
「そんな悠長なことをよく言えるな!おまえは、松野に裏切られたも同然なんだぞ!」
「──この人の背中を見ているから、知ってるの。私は、そうは思わない」
栞の目に宿ったのは、怒りでも哀しみでもない。ただ、覚悟だった。
澪は、息を呑んだ。
兄は目を細め、松野に視線を向けた。
「貴様が──妹を狂わせた」
「違います」
はじめて、松野が口を開いた。静かに、けれど鋭く。
「彼女は自分で選んだんです。俺を、面影庵を。そして……澪も」
栞が横目で松野を見る。
「あなたが“選んだ”んでしょ? 私を。責任を取りなさいよ」
「……そう、だね。責任は、とうに覚悟してる。俺の選んだ人たちは、全部、守る」
重たい沈黙が流れた。澪は立ち上がりかけて、でも迷って──それでも口を開く。
「でも、それって……ずるくないですか?守るって、自分で何かしようとする私の気持ちまで、奪うってことですよね?え?私泣いて訴えるだけの赤ちゃんじゃありませんよ?17歳の歴とした乙女です」
全員の視線が、澪に集まる。
けど、澪はたじろがず、まっすぐ全員を見つめた。
「……あなた、わかってる?」
「はい?今が漫画なら効果音が入るくらいの目玉シーンということですか?」
真面目な顔のまま、ふざけたことを口にする澪に栞は言葉を噛み締めるように、紡ぐ。
「あなたの存在が“事件”なのよ。たった一度のパーティーで、世界の秩序が揺らいだ」
松野が静かに澪を見ている。その瞳の色はずっと、心配しかない。
「……それでも、あなたはそこに立ち続ける覚悟があるの?」
澪は珍しく黙りこむが、視線は栞から逸らさない。
「……あの小娘が、今後の秩序を保てる保証がどこにある?」
栞の兄の声音は鋭いまま。けれど、栞はそれを受けて、しっかりと澪を見て、告げる。
「松野はあなたを守ると言った。でも──私なら、あなたを“戦場”から引き離す。それが“真の守り”だから」
栞の覚悟がその場に響く。重く冷たく刺すような言葉に澪は答える。いつも通り、変わらない表情のまま。
「私は籠の中の鳥ですから」
「は?何言ってるの?」
「え?もう一度言います?私は籠の中の鳥です」
「そうじゃない。意味を聞いてるのよ」
突然何を言い出したのかと思えば、あっけらかんとした澪の態度に栞だけでなく彼女の兄も表情を歪めた。松野は不思議そうに、けれど責めずに澪の言葉に傾聴する。
そして、久我山は……
「その世界の中で最大限に羽ばたくのが、許されてますから」
その瞬間、小さく目を細める。
かつて、自分が投げかけた言葉を、
澪がこうして自分の翼に変えている。
胸の奥が、静かに熱くなる──それでも、言葉にはできない。ただ、なんともいえない気持ちだった。
────
秩序という名の、檻の中で。
誰かが叫び、誰かが背を向ける。
けれど私は、知っている。
飛ぶことを諦めた鳥は──もう、鳥じゃない。
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