夜を導く光、それは赤い極道でした。


 役者が揃うとき、
 夜は静かに目を覚ます。

 選ばれたのは、運か偶然か。
 それとも、誰かの企みか。

 名を持つ者に、力が宿る。
 名を呼ばれぬ者は、ただ消える。

 この世界に正義はない。
 あるのは、
 “選ばれた者だけが見られる真実”――。

 ようこそ、運命の迷宮へ。
 鍵は、もう――君の手の中。
 
 
 ────

 
「それで?澪ちゃんは、俺に何をくれるの?」

 購買部のシャッターは静かに閉じられていた。世界から切り離されたようなこの空間に、(みお)(こう)だけがいる。以前ここに来たときとは空気が違った。もっと、冷たく、重く、黒い。

「私が差し出せるものなら、なんでも」

「それは、きみの♡でも?」

 倖は澪の胸に向かって手でピストルの形を作ると、わざと「Bang!」と口にする。その表情は悪戯を仕掛ける側の顔をしていた。

「……その言葉、後悔しないでね?」

 倖の目元が笑っているのに、声色は冗談めいていなかった。

 澪はその一言に、喉の奥がぎゅっと縮むのを感じた。

 澪は倖の一挙一動を観察する。今まで接してきた雰囲気とはまた違う、爽やかさよりも妖艶さを含む彼は知らない人みたいだった。

「これはボランティアじゃないし、同情でもない。……俺と“取引”をするってことは、そういうことだよ」

「……覚悟は、できています」

「ほんとに? じゃあ、言ってみて。澪ちゃんが“欲しいもの”」

「ジロを襲った相手の情報です。あなたは、それを知っている」

 その瞬間、倖の目が少しだけ鋭くなった。けれど、すぐにいつもの柔らかな笑みに戻る。
 

「まぁね。俺はなーんでも知ってるから。と、いうより……」

「俺は、知るためならなんだって手段を選ばない。明日の天気予報も、誰が次に“消される”かも。面影庵(おもかげあん)を壊滅させるキーマンが誰か──なんて、さ」

「……壊滅させる?」

「うん。ゆっくり、静かに。でも確実に……中から腐らせていくやり方だね」

 さらりと吐かれた言葉に、澪は目を見開いた。けれど倖は表情一つ変えずに続ける。

「俺は、取引に関しては嘘をつかない。好き嫌いもしないし、正義も悪も持ち込まない。“情報”だけが正義で、価値がすべてだよ」

「……」

「だから言ったでしょ? “何を差し出すのか”が肝なんだ」

 倖は指で軽く机をトントンと叩く。それが、不穏なカウントダウンのように澪には聞こえた。

「……まさか、自分がその渦中にいるなんて思ってなかったよね? でも、今の君はもう完全に“ゲームの中”だよ」

 その目は、獲物を見定める蛇のようだった。

 倖の有無を言わせない圧に澪は身構える。少し、怖い。けれど、ここに来た意味を思い出す。

 真次郎(しんじろう)を失いたくない。そのために、敵の情報を得たい。面影庵(おもかげあん)のみんなが、これ以上誰1人傷つかないために。

「……冗談、ってことにしとく?」

「いえ。……します。倖くんと、取引を」

 澪の声は震えていなかった。倖は満足げに口角を上げた。

「いいね。そういう顔、嫌いじゃないよ。澪ちゃん。取引、成立」

「……何を、どうすれば」

「明日、夜。指定の場所に一人で来て。護衛の彼にも、誰にも言っちゃダメだよ」

「え……」

「“俺の仕事に付き合って”もらうから。実地体験ってやつだね」

「……そんな、私にできることなんて」

 澪は目を丸くする。倖の仕事はつまり……情報屋としての何か?裏社会関係?そんなこと自分ができるのか?……と、澪の中で葛藤が生まれる。

 しかし、相手は止まってはくれない。

「やってみなよ、澪ちゃん。君には、見るべき世界がある。それに──」

 倖はわざとらしく澪の顔を覗き込む。

 

「この世界を覗いちゃったなら、もう“戻れない”から」
 

 澪の不安を察しながら倖は、ただ笑った。


 ******

 
「……ここ、で合ってるんですよね?」

 澪は建物を見上げたまま足を止める。目の前には、まるでドラマの中にしか出てこないような高級ホテル。
 街の灯りを反射する巨大なガラス壁に、人の気配を吸い込むような回転扉。そこに立ち尽くす澪は、まるで異国の地に迷い込んだ旅人のように、言葉を失っていた。

 Tシャツにローファー姿の自分が、妙に浮いて見えた。

 “場違い”という言葉が、全身に重たくのしかかる。

 久我山にバレないように屋敷を抜け出して、ここまできたものの少々不安になってきた。
 
 けれど──ここに来ると決めたのは、自分。

「……大丈夫、大丈夫」

 誰に聞かせるわけでもなく、小さくそう呟いたとき。

 肩を、誰かに叩かれた。


「やほ、澪ちゃん。時間通りだね。お見事」

 振り向けば、いつもの倖──ではなかった。

 目の前に立つのは、黒のスーツに身を包んだ“別人”だった。漆黒のジャケットに濃灰のネクタイ、薄笑いを浮かべた横顔。街のネオンに照らされた彼は、購買部でお菓子を売っていた“あの人”ではない。

「……誰、ですか」

「ひどいな。着替えただけで人が変わったなんて」

「本当に、別人に見えるんです」

 澪が正直にそう告げると、倖は一瞬だけ目を細め──すぐにいたずらっぽい笑みに戻った。

「それ、褒め言葉として受け取っていい?」

「……似合ってます。すごく」
 
「なに?似合いすぎてときめいちゃう?」

「はい。本当にかっこいいですよ」

 澪は思うままにそう答えて、倖の顔を見つめる。倖は一瞬驚きはしたものの、すぐに目を細めて微笑む。

「相変わらずだね、さすが」

「はい?」

「澪ちゃんの魅力の一つだねぇ、その真っ直ぐさ。羨ましいよ。でも……」

 倖は一呼吸置き、怪しげに言葉を紡いだ。

 
 
「この先も曲がらずにいられるかな?」

 
 倖の声音は、優しいのにどこか冷たかった。

「……ピュアはね、時に正義より怖い。“歪める”のに一番向いてる感情だから」

「怖い……?」

「うん。そういう無防備さ、使う人間が使えば簡単に“武器”になる」

 倖の声は軽い。でも、その奥にある何かが澪を射抜いた。

「今日は“こっちの顔”で働く日だから。覚悟してね」

「……どういう意味ですか?」

「“購買部の倖くん”は今、休憩中。今ここにいるのは、“情報屋”としての俺。……きみが選んだ相手だよ?」

 澪は思わず口を閉じた。やっぱり自分は、知らない世界に踏み込もうとしている──そう、強く感じる。

 倖は振り返り、くるりと踵を返す。

「さ、行こう。……“真実”の入口へ」

 その背中が吸い込まれるように、ホテルの自動ドアの向こうへと消えていく。

 澪は一歩、足を踏み出した。
 


 ────


 誰かの願いが
 誰かの絶望で叶うのなら
 その手にあるのは──
 祈りか、引き金か。
 その瞳が澄んでいるうちは、何も知らないでいてほしかった。
 でも君は、自分の意思で扉を開けた。
 もう戻れない世界へ、ようこそ。
 


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