「ジロおおおお!見てください!敵がわんさか!まるでバーゲンセールに喰らいつくおばちゃんのようですね!」
 
 交戦最中にも関わらず、呑気なまま澪は真次郎へと話しかける。
 
「ところで!私そろそろ走れませんがっ!?倒れそうです!瀕死ですよ!!ポー◯ョンまたはエ◯クサーを求めます」
 
 どこまで本気でどこまでボケなのか、澪は絶妙な声音と顔つきだった。

「走れなくなる前に口閉じろォ!!」

 そんな澪の声を背中で浴びながら、真次郎は振り向かずに怒鳴った。銃を左右に捌きながら敵を牽制し、瞬時に澪の腕をつかむ。

「おまえのMP回復してやるポー◯ョンなんざ、俺のポケットには入ってねぇんだよ!!」

 そう言いながら、再び澪を抱え上げる。その姿はもう完全に、“厄介な荷物”というより“守るべき対象”そのもの。

「おまえなぁ……こんな状況で笑えるヤツ、俺は初めて見たわ……」

「お褒めに預かり光栄ですね」

「褒めてねぇ!!」

 銃声が鳴り響く中、敵のひとりが近づいてくる。

 真次郎は澪の肩越しに銃を構え、銃口は迷いなく敵の影を追っていた──まるで、何百回と繰り返した動作のように。

 その刹那──。

 
 ドンッ!!


 真次郎の銃が鳴り、敵が一人崩れ落ちる。澪の目の前、ほんの数メートル。現実味のある光景に、ようやく澪の瞳が大きく見開かれる。


「……ジロ。すご……ほんとに、すごい人なんですね……」

「……」

 返事はない。ただ、澪を抱く腕の力が、ほんの少しだけ強くなった。


「この先、もっと現実突きつけられるぞ。それでもついてくんのか、バーゲンセールガール?」

「……え、いまのあだ名です?新しいやつ……? まぁ、でも……はい。行きますよ、ジロ」

 そう返す澪の顔は、どこか不安げで──それでも、一歩も引かない顔だった。

 そんな澪の様子に真次郎も何も言わない。目の前で人が撃たれた。その撃った相手に抱えられてる状況。正直、キツイと思う。

 しかし澪は違った。正確にいえば違ってはいない。確かに驚いた。けれど、そんな恐怖とかよりまず……真次郎のつけたあだ名に意識が向く。とてもダサいと。
 
「やっぱり嫌です。そのあだ名、センスないですね。ジロ」
 
 抱き抱えられながら、饒舌に話す澪はずっと真次郎の肩に顔を埋めていた。きっと本能で周りを見ないようにしていたのだろう。そういう獣じみた防衛本能は凄まじい。

「うっせ。こっちは命かけてんだ、ネーミングセンスなんざ二の次だ」

 苛立ったように言いつつ、真次郎の顔は先程より緊迫していない。

「そもそもだな。おまえにだけは言われたくねぇ。初対面で“ジロ”とか……なんだよあれ。勝手に略して、馴れ馴れしくて、うるさくて……」

 言いながら、抱えた澪の顔をちらりと見る。澪は変わらず真次郎の肩に顔を埋めている。

「……おい。おまえ、ちゃんと現実見えてんのか?」

「見てますよ、めっちゃくっきり」

「俺の肩で見てねぇじゃねぇか!!」

 怒鳴るように突っ込む真次郎に、澪はゆるく笑った。

「いやー、だってそこが一番安心しますし。知ってます?こうして顔をくっつけると、ジロの心臓の音、ちゃんと鳴ってて……なんか……落ち着くんですよね」

 その言葉に、真次郎の動きがふと止まる。次の瞬間、銃声が近づき、二人の背後に弾が掠めた。

「……ふざけやがって……!」

 小さく毒づいて、真次郎は再び走り出す。澪を強く抱えたまま。もう、振り返ることはなかった。

「あとで名前、もっとダサいのに変えてやっからな……!」

「えぇ!?罰ゲームですか?」

 澪の文句など真次郎は聞いてもいない。ただ、逃げなければ……それだけ必死だった。そんな真次郎とは打って変わり澪はずっと彼に抱かれたまま。ただただ感心する。
 
「ジロ、すごい体力ですね。マッスル名乗れますよ。私を抱っこしたまま、走り続ける……ピンチに姫を救う王子様のようですね!」

「王子ぃ?俺が?」

 呆れたように息を吐く真次郎。その肩はうっすら汗ばんでいて、でも息は乱れていない。地を蹴る脚はぶれず、まるでブレない意志の象徴のように力強い。

「王子ってのは、もっとキラッキラしてて、白馬乗ってて、女の子にキャーキャー言われるやつのこと言うんだよ。俺みたいな血で汚れた極道が、王子なわけあるか」

 吐き捨てるように言いながらも、澪を落とさないようにその腕はしっかりと支えていた。頑なな強さと、優しさが同居するように。

「え、でもキャーキャー言ってますよ私。心の中で黄色い歓声飛ばしてますよ?というか、ジロ極道だったんです?」

「なんだと思ってたんだ逆に」

「スタントマン」

「おまえ……」

「まあまあ、それは冗談としておいてですね。王子と思ったのもキャーキャーも本当ですよ」

 真顔で、しかし笑いを含んだ声で澪は告げる。

「それにジロ、馬の代わりに命かけて走ってるでしょ?白馬よりタフだし、筋肉ついてるし、こっちのほうがコスパいいですよ。そういう現実的な王子様、私、好きですけどね?」

「……バカかおまえ」

 ストレートに語る澪に、そうぼやきながらも、真次郎の声はどこか優しくて。いつの間にか走る速度が少しだけ落ちていた。まるでこの時間を、少しでも長く味わおうとしているかのように。

「……とか、乙女ゲームでよくあるセリフなんですけど?キュンとしました??」
 
 パッと顔を上げた澪の声は、弾んだまま。
 
「ネット小説でよくありますよね、こういう展開。平凡な庶民の私が極道の男に溺愛される!?ドッキドキな流血ライフ!って」

「おまえ……本気でぶっ飛ばされたいんか?」

 眉間をぐっと寄せて、今にも頭を小突きそうな勢いで睨んでくる真次郎。だが、その頬はわずかに赤く染まり、目線だけが妙に泳いでいた。

「……キュンとなんか、してねぇ。ていうか、その“流血ライフ”ってなんだ。物騒にもほどがあるだろ。ドッキドキ以前に救急搬送じゃねぇか」

 とは言うものの、肩に乗せた澪の軽い体温が、いつのまにか自分の鼓動に混じっていることに気づいて、真次郎の表情はふと陰る。

「……おまえさ、こんなとこ来るんじゃねぇよ。ほんとに。今はまだ俺がいるからいいけど、次はもう守れねぇかもしんねぇんだぞ」

 真剣な声で吐き出すように言ったあと、少しだけ目線を落として澪を抱える腕に力を入れた。

「乙女ゲームじゃねぇんだよ、澪。これ、ほんとの地獄なんだからな」

 でも、その声の奥にあったのは怒りでも呆れでもなく——強くて、苦しいくらいの“想い”だった。

「いやー、まさか一人暮らし初日からこんなスリリングとは。人生不思議だらけですね」
 
 澪は呑気に喋り続ける。真次郎の想いなど、何も通じていないように。
 
「でも、私は幸運ですね。まさかの助けてくださったのが、ジロで。怖い顔のおじさんでなくてよかったです」

「俺は不運だわ!」

 即答。息も絶え絶えだったのにそこは譲れなかったらしい。軽く息を吐いて澪を睨みつけるが、その目元はどこか緩んでいた。

「おまえほんっとに、緊張感ねぇな……。よくそんな呑気でいられんもんだな。敵に囲まれて、拳銃撃っといて、『幸運ですね』って……」

 呆れたように言いながらも、真次郎の口元にかすかな笑みが滲む。

「……でも、まあ。そう言ってもらえるなら、助けた甲斐はあったか」

 ひょいと体を傾け、澪をそっと下ろす。夜風が吹き抜ける路地裏。ようやく少しだけ落ち着いたその場で、真次郎は肩で息をしながらふと口を開いた。

「澪。さっき“幸運”って言ったけどな、運ってのは簡単にひっくり返る。だから、次は──もっとちゃんと、自分で守れよ」

 真剣な声音。けれどその視線には、ただの説教以上の“気にかける”気持ちがにじんでいた。


 ──笑っているのは、
 恐れを見ないため。

 喋っているのは、
 泣きそうな心をごまかすため。

 でも、あなたの背中だけは──
 嘘じゃないと思えた。
 


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