澪は、そのままくるくるくるっとターンをし始めた。ただ楽しそうに踊る澪に栞は何ともいえない顔をする。
 
 「おっと!」

「っ!もうっ……できもしないのに連続ターンなんてするから足がもつれるのよ」

「いやぁ、難しいんですねワルツって」

「こんなの社交の場ではお笑いね」

「でもパッションは伝わるはずですよ。私の想いはありったけ込めましたから」

「どんな想いよ」

「それはもう、栞さーーん!一緒にー!踊りましょうー的な?」

「ふざけるのも大概にして」

「私は大真面目です」

 ふざけているような言動なのに、その眼差しは真っ直ぐに相手を射抜くのが澪。極道の世界とは無縁の一般人。この世界では誰しもがぶつかり、抱える穢れを唯一もたない人間。

「私は私がそうしたいと思ったから、動くだけです」

 嘘偽り、騙し騙されて、蹴落とす。利用価値があるから近づくという考えが、そもそも澪にはない。

「だから、ね?栞さん」

 澪は笑って、手を差し出した。


 
 

「私と踊っていただけますか?」


 ────……
 

 『|Mi concede questo ballo《私と踊っていただけますか》?』

 
 ……────

 
 
 それは、ありきたりな誘い文句。けれど、栞の思い出の中の()とリンクする呪文。

 澪が差し出した手──それは、かつて自分が誰かに差し出されたことのある手に似ていたから。

 あの時と同じ言葉、あの時と同じ空気。
 記憶の奥底で閉じ込めていた何かが、栞の中でふと呼吸を始めた。

 もちろん澪は知りもしない。偶然が重なり、導き出したにすぎない。けれど……


 

「……いいわ」
 
 

 確かに、栞の心を動かした。扉から一歩外に出た栞。開かれる扉の内側から奏でられるメロディに澪は身を任せる。

「ちょっと、ここで?」

「何か問題でも?」

「廊下じゃない」

「廊下で踊ってはいけないというルールはありませんよ」

 言葉巧みに澪は栞を振り回す形で、共にステップを踏み、ターンをする。険しい表情や悲しい表情しか浮かべなかったものが、見る影もない。

「おおっ!足がががが、」

「っ、ほら!これならどう?」

「わぁ、鮮やかなターン。お綺麗ですね」

「あなたも、なかなかやるじゃない」

「イメトレはずっとバッチリでしたからね」

「へぇ?じゃあ実際に踊ったのは初めて?」

「ええ、私の初めては栞さんですね」

「そんな光栄なものを私にくれるの?」

「受け取って貰えるんですか?それはうれしいですね」

「ぷっ、あははははは!」

 何を言っても返してくる澪に栞はたまらず声を上げた。顔をくしゃりとさせ満面の笑みを浮かべる彼女。澪は思う。この人は、こんな風に笑うんだな……と。

 

「あー……おかしっ、あなた本当に変わってるわね」

 曲が終わると自然と2人の足が止まった。栞は澪を見て笑いながら身なりを整える。澪は澪で一曲を通して踊ることがこんなにも疲れるとは知らず、床に膝から崩れ落ちていた。

「ワルツとは、ハードなものだったんですね……」

「ずっと踊り続けてるから当然よ」

「ワルツって優雅なイメージなのに、ターンとかステップとか、なかなか忙しかったです。休む暇もないとはこのことですね」

「そりゃあ、そんな暇ないわよ。これは求愛のダンスだから」

「え?そうなんです?」

 目を丸くする澪に栞は頷く。

「社交ダンスは、もともと……貴族たちの間で、想いを伝える唯一の手段だったの」

「口ではなく、踊りでとは。ロマンチックですねぇ」
 
「そう……互いの指先が触れ、視線を交わし、音に身を委ねる──そのすべてが愛の証明」

 栞は澪に手を差しだし、そのあどけない顔を見つめる。澪は栞の話を聞き、少し何かを考えて問いかけた。


 
「それでは、私は栞さんに求愛をしたことになりますね」


「え?」

「まっつんには申し訳ありませんが、踊ってしまった事実は変えられませんし。うーん」
 
 栞の手を取りながら立ち上がると澪は本気で悩んでいるような素振りをみせた。栞は久我山に視線を投げる。ずっとやり取りを黙って見ていた彼は何を思ったか、澪に向かって楽しそうに笑う。

「松野にバレたら何言われるか楽しみだな」

「ニコニコしながら、怒ってそうですよね」

「黙っときゃいいじゃねぇか」

「それはつまらな……いえ、良心が痛みます」

「面白がってんなおまえ」

 ふざけた掛け合いを見せられ、栞は目を丸くする。そして、静かに唱える。秘めていた心を。
 

「……私、あるわ」

「何をです?」

「あいつに求愛」

 澪と久我山は目を丸くする。2人の視線が煩わしくなった栞は顔を逸らして呟いた。

 

「……練習相手として」

「はい?求愛の練習?え?まっつん頭大丈夫ですか?検査いきましょうか、今すぐに」

「それはちょっと言い過ぎだな……いや、わかるけど」

 まさかの言葉に澪は信じられないような雰囲気で、久我山は呆れた顔をした。栞はあまりにも2人の反応が大きくて逆に引いてしまう。

「これは一大事ですよ、くーちゃん」

「なにがだ」

「いい大人が求愛の練習を好きな相手にするなんて、情けない世も末です」

「まあ、それは同意見だな」

「でしょう?こうなったら抗議ですね」

「え?なに?何する気?」
 
「そんなの決まっているでしょう」

 澪は淡々と告げて走り出す。目指す場所は松野のいるところ。勝手に話を進める澪に栞が置いてけぼりになり、どうしようと躊躇う姿に久我山が()()()独り言のように呟いた。

「あいつは、気が狂ってるからなぁ。何するか、わっかんねぇなー。あることないこと、言いそうだし」

「ちょっとどういう意味?あの子なんなの?」

「まあ、今ここで見聞きしたこと全て松野にぶちまけそうなのは確かだなぁ」

 ゆっくりと歩き出す久我山は、栞を気にかけはしない。  けれど栞はそうはいられない。
 心の中で躊躇う思いとは逆に、足音が遠ざかる。
 あの子()は、笑って暴れて、誰よりも真っ直ぐに心を撃ち抜いて──
 ……どうして、そんなにまっすぐなのよ。

 そう、栞の心は困惑したまま。

「〜っ!もお!」

 息を吐くように叫ぶと、栞は足を踏み出した。
 


 ────

 想いは踊りながら、
 少しずつ言葉を超えて届いていく。
 手を伸ばしたのは私だけど──
 握り返された、そのぬくもりに、
 たしかな未来を感じた。


 
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