「この時点で冷静になれてないおまえに?俺が許可すると思う?」
「それは……」
「だいたい、おまえには別の仕事があるだろ。それを疎かにされた方がうちの損失がでかくなる」
「でも、兄貴っ」
「真次郎」
若頭の眼差しは鋭い。
「──わかるよな?」
「っ……は、い」
これ以上は何を言おうと無理と察したのか真次郎は顔を歪めて、その表情を見た澪は心がズキっと傷んだ。なんでそんな辛そうなのか、真次郎の心理は謎だが。彼がそんな顔をしなくてもいいようにするには、どうするべきか……澪は考えて、手を上げる。
「ん?なんだ」
「私、ジロと離れたくないんですが」
皆が澪へと注目する。若頭が目を細める。隙を見せればすぐにでもつつかれてしまいそうな、何かを言うには躊躇われる無言の圧力。
それを微量も感じないような鈍さはない。けれど澪の辞書には、退くという単語もない。
「なんとかなりませんかね?えーと……若頭の旦那さん?」
「旦那って……おもしれー呼び方すんだな」
「ドラマとかだとよく、へい!旦那ぁ!とか言っていたなと思いまして。シンプルに若頭さんの方がお好みでしたか」
「いや、そうだな……名前でいい」
呟くと、口元に弧を描いたまま澪へと向けられる視線。その射抜くような瞳は、強気そのもの。
「この組の頭張ってる、龍臣だ。よろしくな澪」
椅子から立ち上がって龍臣は澪の目の前へと移動する。差し出される手。それを掴もうと手を伸ばした瞬間、澪の体は龍臣へと抱きしめられていた。
「ちょっ!?」
「おやぁ?」
「え?」
「あ"?」
真次郎、信昭、松野、久我山も龍臣の予想外のアクションに目を丸くする。澪もいきなりのことで、何がなんだかわからなかった。
「──“弟”をよろしくな」
耳元で囁かれたその言葉の意味も澪には理解できなかった。
「よし、とりあえず澪の部屋が必要だな。女子が必要な物も用意しないと……信昭」
「はーい。適当にやっとくよ」
澪から離れた龍臣は再び席へと戻る。その横で信昭がヒラヒラと手を振る中、真次郎は澪へと耳打ちした。
「おまえ、兄貴に何言われたんだよ」
「なんか、知らない人の話でした」
「はぁ?」
「私にもサッパリ」
真次郎が眉根を寄せるが、澪は首を傾げるしかない。松野と久我山も澪に対して呆れたような態度をとる。
「澪が理解できなかっただけじゃなくて?」
「おまえの狂った思考回路でまともな対応ってできんのか?」
「え?お二人とも私のことなんだと思っているんです?」
「脳みそ愉快」
「狂ってる変人」
「ジロ、あんなこと言ってますよ」
「アホが足りねぇな」
「酷い裏切りですね、泣きます。えーん」
「可愛くねぇ泣き真似」
「おまえら、いいか?」
龍臣の一声で、賑やかだった面々は口を閉じる。姿勢も正されて、澪は感心した。これがトップと部下の関係性。先程までの和やかな空気とは違う、締める時は締める大人の姿。
「澪は、しばらく組で保護する。その間の澪の行動の制限は特に設けない。学校も好きに行け」
「ここから学校はどれくらいですかね?結構歩きます?」
「歩けないことはないな。けど、基本は送迎つきだと思え。送迎含めて、澪の護衛は久我山」
「おう」
「松野は、澪の分の食事を用意してやれ。高校なら、弁当必須だろ」
「かしこまりました」
「そんなことまで、甘えすぎでは?」
「澪を受け入れるきっかけを作った奴だからな、それくらいはしてもらう」
「澪、任せてね」
松野が微笑み、澪はトップが決めたことに従うのは大変だなと、他人事のように思いながら龍臣の話へ意識を戻す。
「信昭は、さっき言った通りに」
「了解ー。目星はついてるから」
「で、真次郎。おまえは……一日一回、澪の話し相手だ」
「は?なんすか、その仕事」
まさかの指令に真次郎は眉間に皺を寄せるが、龍臣は楽しそうに笑っている。
「自分から澪のそばにいるって俺に宣言してきたくらいだからな。うれしいだろ?」
「別にうれしいとかはないっす」
「照れんなって」
「いやっ、マジで」
難しい顔のまま否定をする真次郎。その隣で澪は「えー?」と声を漏らした。
「ジロと必ずコンタクトが取れるんですか?」
「あ?なんだよ、嫌なのかよ」
「やったー!って気持ちですよ」
澪は真次郎の顔を見つめる。その眼差しはなんの邪念もない綺麗なもの。
「とっても、うれしいです」
「…………そーかよ」
顔を背けてしまう真次郎。その耳が赤いことを澪以外は気づいていた。
「じゃ、解散」
龍臣の言葉で締めくくり、各々が動き出す。澪は、信昭に誘われて部屋を出ようとした。
「澪」
その背にかけられる声。
「──俺の家へ、ようこそ」
振り向けば、不敵に笑う龍臣。澪は目をぱちくりさせた後、深々と頭を下げる。
「お世話になります」
顔を上げた際に見えた龍臣の表情は、最初に見た顔とは違う。優しい雰囲気を漂わせていた。
────
かつて誰かの願いであり、
今は誰かの灯火となる少女。
この家で、守ると決めた。
──たとえ、運命を背負うことになろうとも。
next


