ねぇ、これは偶然じゃないでしょ
 踏み込んだら、世界が変わった

 甘い匂いに引き寄せられた先で
 牙を隠した誰かと、ぶつかって

 睨まれても、押さえつけられても
 怖くはなかった
 だって、あなたの目が怒ってなかったから

 呼び名ひとつで揺れる温度
 笑いの裏に隠した不安も
 少しずつ、わかってしまいそうで

 

 ──ねぇ、()()()()()
 本当のあなたは、どこにいますか?
 


 ────

 
 目の前に現れたらのは視界を覆う大男。お面で隠されたその顔は、(みお)の大声にどんな反応をしているのか予想がつかない。

「うるせ……」

「◯ェ◯ソン!ここはキャンプ場ではありませんよ!知ってました?ここは極道の家。森へ帰るのです。Back HOME!GO to HOUSE!」

「なんだよその英語。適当すぎねぇか」

「日本語が伝わる!?あれ?そういえば日本語で話しかけられてますね……あなたは、もしや?◯ェ◯ソンではない?」

「当たり前だ」

 澪が落ち着いて男に目を向けると、思ったほどの大男でないことに気づく。真次郎(しんじろう)松野(まつの)よりは逞しい体つきはしているが、人間の範囲内なのは確か。

「澪!」

「大丈夫!?」

 ちょうどそこへ、血相を変えて到着した真次郎と松野。2人は状況を目にして、焦った顔を落ち着かせる。真次郎なんかは顔を歪め、そのまま澪の方へ。

「おっまえ!人騒がせにもほどがあんだろ!」

「ジロの声も大変賑やかですよ」

 澪の返しに真次郎の顔はますます歪む。後ろで松野は苦笑いをしていた。

「フラフラすんなって言ってんだろ、なんでおまえは俺らの後についてきてねぇわけ?アホなの?」

「そこにお宝があったので、思わず」

「は?なにそれ」

「これです」

 澪は手に持つビニール袋を掲げる。その瞬間、その袋は漆黒と深翠のお面をつけた男によって奪い取られた。澪が目を丸くして取り返そうとするが、男は片手で澪の頭を押さえて近寄らせないようにする。

「強奪とは!訴えますよ」

「これはもともと俺のだ」

「え、落とし物の持ち主の方でしたか?」

「そうだって言ってんだよ」

「それなら、拾った私に一割が常識ですね。ありがとうございます、謹んでお受けいたします」

「勝手にすすめんな、落としてねぇよ。置いておいただけだ」

 澪は面をつけた男に言いたい放題。面をつけた男はまともに相手をする気はないのか、真次郎と松野の方に顔を向ける。

「おい、こいつなんなんだ?ペットか?」

「んなわけないじゃん」

「じゃあ、2人のどっちかの女か?」

久我(くが)ちゃん、俺には妻がいるよ」

「俺だってこんな奴、自分のにしねぇわ」

「え?まっつん結婚してたんです?」

「そうだよ、綺麗で可愛い奥さん持ち」

「相手にされてねぇけどな」

「ぷぷっ、可哀想」

「ねぇ、黙って?」

 久我ちゃんと呼ばれた男と真次郎に松野が冷たい眼差しで答える中、澪は面の男の手から逃れる。もともと向かってくるから距離を縮めないようにされていただけで、澪が一歩下がることは簡単だった。

「くがちゃん……くーちゃん?」

「あ"?気安く呼ぶな」

「くーちゃんは甘いものがお好きなんですか?」

「おい、話きけ」

「残念それは無理」

「澪はマイペースだからね」

「なんでそんな厄介な奴連れてきてんだよ……」

 “くーちゃん”と呼ばれた男は、ため息を吐く。そしてお面を外した。そこにいたのは整った顔立ちの目力の強い男性。頭部を覆う黒布の隙間から覗く地毛の黒。彫刻のような輪郭とまっすぐな睨み目。

 一見すれば威圧感すらあるその顔を、澪はじっと観察していた。
 怖さよりも、どこか興味が勝っていたのかもしれない。

 

「わー……◯ェ◯ソンコスプレの方の中身はイケメンさんでしたか」

「あ?」

「まっつんもですが、極道の方々は顔面偏差値規定とかあるんですか?」

「おい、なんで俺の名前ださねぇんだ」

「ジロもかっこいいですよ」

「取ってつけた感じで言うな」

「困りましたね、正直な気持ちなのに」

「嘘クセェんだよ」

「だああっ!おまえら、うるせ!」

 真次郎と澪のやり取りに痺れを切らした様子でいる男に松野は「まあまあ」と笑ったまま。

「久我ちゃんも仕事帰り?お疲れ様。最近話に上がってる奴ら?」

「ああ。まあ、すぐ済んだんだけどよ」

「コンビニ寄れる余裕があるくらいだもんね」

「まぁな。てかこいつ本当なんだよ。人が置いといた荷物のとこいてビビったわ」

「そこにお宝がありましたから」

「澪、宝ってなんだよ?」

「チョコです」

 澪の声に真次郎は呆れる。松野は「あー」と何か納得したようで頷いていた。

「久我ちゃんも甘いもの好きだもんね」

「疲れた時には最高だからな」

「チョコ好きとは気が合いますね、くーちゃん」

「だから、くーちゃんじゃねぇ。久我山さんって呼べや」

 澪の言葉にくーちゃん改めて久我山(くがやま)は眉間に皺を寄せ、澪へと凄む。普通の感覚ならビビるそれ。敵にしろ部下にしろ、そうして威圧をしてきた。そんな久我山からしてみれば、澪など子犬同然。狩られる獲物。

「くーちゃんのが可愛いですよ」

 しかし一筋縄ではいかない人種が澪であった。

「その頭には黒いタオルを巻いてるんですか?オシャレですか?」

「ん?ああ、これは……まあ、気分だな」

「へぇ、オシャレアイテムなんですね。汗防止とか?」

「ちげぇよ。被りてぇから被るだけだ」

「似合いますね」

「おう、ありがとよ」

「黒いくまさんみたいで可愛いです。その可愛さに、くーちゃんの呼び名もピッタリ!名は体を表すとはこのことですね!」

「だから、くーちゃんって呼ぶんじゃねぇよ!」

 澪のペースに呑まれる久我山を見て松野は腹を抱えて笑い、真次郎はげんなりしていた。自分はどうしてこんな奴を連れてきてしまったのか。いや、あそこに置いてきたら澪は無事ではすまなかっただろうし……と、葛藤してこれでよかった自分は正しいと思い直す。

 そしてもう一度、澪に目をやる。

「くーちゃん、くーちゃん」

「だから、くーちゃんって……はぁ、もういいわ」

 いくら伝えても聞きやしない澪に折れたのは久我山だった。もうどうでもいいと全身から訴えるように項垂れる。



 ────
 

 ──黒きくまの正体は、
 甘い香りに気づかぬほど、疲れた優しさだった。

 火花は火傷にならず、
 ただ笑いを誘う、はじめの衝突。


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