その男の視線は、まるで夜そのものだった。

 黒くて、深くて、どこか濡れていて。
 だけど、決して冷たくはない。
 むしろ、熱を孕んでいる――わたしの皮膚の内側を撫でるような、そういう眼差し。

 

 志摩 蓮。

 暴走族《轟焔》の幹部で、最年長。
 無口で、時に粗暴で、人懐こさとは無縁の男。
 だけど、彼は“言葉では触れない部分”をじっと見てくる。

 

 「……やっぱ、ただのお嬢さんじゃねぇな」
 蓮は廊下の片隅で、わたしに背を預けながら煙草を咥えて、火をつけずに口で噛んだ。

 

 「その制服も、その髪も、その喋り方も、
 なーんか、張りついたガラス越しみてぇで……壊したくなる」

 

 「……そういうの、嫌われるってわかってて言ってる?」

 

 「知ってる。けど、俺は嘘が嫌いなんだよ。
 本当の顔、見せねぇやつは、興味持たねぇ。
 でも、お前は……“泣く顔”だけは嘘じゃなかった」

 

 ――あの夜。
 焚き火の火がちろちろと燃えていた時。
 わたしがひとり、うまく笑えずにいたのを見ていたのだろうか。

 

 蓮は、ふっと目を細めた。

 

 「夜、付き合えよ」

 

 「……は?」

 

 「バイク。後ろ、乗せてやる」

 

 その誘いは、優しさでもロマンスでもなかった。
 ただ、“知りたい”という衝動だけで出来ていた。

 

 「拒否権、ない感じ?」

 

 「あるけど、乗りたくなるようにしてやるよ。
 空、すげぇ綺麗なとこ、教えてやる」

 

 その一言に、なぜかわたしは心がぐらついた。

 



 

 そして、夜。

 彼のバイクの後ろに乗る自分を、
 わたしは数時間前には想像できなかった。

 

 エンジン音と、夜風と、遠ざかる街の灯。
 髪がほどけ、リボンがどこかへ飛んでいった。

 

 「……どこまで行くの?」

 

 「崖の上。街の灯り、全部見下ろせるとこ」

 

 彼の背中は大きくて、どこか不安定で、
 でも、触れたら壊れそうなほど人間くさかった。

 

 わたしが生まれてからずっと触れてこなかった、
 “汚れていて、綺麗な世界”。

 

 バイクが止まり、夜の崖の上に立ったとき、
 わたしは言葉をなくした。

 

 「……星が、こんなに」

 

 「ほらな。お前みてぇな奴ほど、こういうの知らねぇ」

 

 わたしの横顔を見ずに言うその声が、やけにやさしくて、
 胸の奥でなにかがひとつほどけた。

 

 「……志摩さんって、誰にも心開かなそうで、
 でも誰よりも、人を見てる」

 

 「それ、お前のことな」

 

 蓮はそれだけ言って、煙草に火をつけた。
 その火が、夜風にちらりと揺れて、わたしの瞳に映った。

 

 「檻の中で育ったお嬢さん。
 そろそろ、外の世界に慣れてきたか?」

 

 わたしは、答えずに空を見上げた。
 そして、ほんの少しだけ、微笑んだ。