かりそめ婚は突然に 〜摩天楼Love Story〜

「そこにキミがいたんだ、辻原桜帆さん」
彼が少しこちらに身を乗り出してくる。

ご冗談はやめてください、とそこは迷いなく言葉が出た。
「わたしは常務と釣り合うところは一つもありません」

「いや、辻原さんなら大丈夫だ」
久我透の目の奥に(たの)しげな色が閃いた。
なぜなら、とエースの手札を切るように言葉を放つ。
「キミはうちの遠縁だから」

「あ…」
知っているのか、と純粋な驚きが胸に広がる。
わたしが他の社員と違っている点があるとすれば、母の旧姓が “久我” ということだ。
といっても本家とはかなり遠く、曽祖父が創業者の従兄弟だったとか、そんなレベルで、もちろん経営にはかすりもしていない。

わたしの母はかつて久我ホールディングスで働いていて、そして同僚だった父と結婚した。
母は結婚を機に退職し、そして数年後に生まれたのがわたしというわけだ。
ずっと久我ホールディングスに勤めていた父は、わたしが高校生の時に脳出血で亡くなってしまった。
人生で一番辛く悲しかった出来事だ。