望まぬ結婚をさせられた私のもとに、死んだはずの護衛騎士が帰ってきました~不遇令嬢が世界一幸せな花嫁になるまで

自分の頭の中から響いたエデンの声だと気が付いて、私は悲鳴のように叫んだ。
「エデン!? いるの!?」

(はい。まだヴィオラ様の中にいます……)
疲れてくたくたなエデンの声が、私の中で響いていた。

(すみません、少し意識が飛びました。あんなふうに戦うのは、久しぶりでしたので)
「……もう! 心配させないで。てっきり、あなたが消えちゃったのかと……」

私はエデンを叱りながら、自分自身をぎゅっと抱きしめていた。

「よかった……本当に」
(良かったのでしょうか……? 竜を倒したら俺の役目は終わりかと思っていました。このまま一生ヴィオラ様に取り憑き続けていたら、あなたが幸せになれません)
「まだそんなことを言っているの!?」
わたしがエデンと言い合いをしていると。

「――大変だ!!」
唐突に、騎士たちの声が上がった。
「生きてる……大変だ、まだ息があるぞ!」

びくりとわたしは身をこわばらせた。
完全に死んだはずの災禍の竜が、まだ生きているというの……!? 

でも、どうやら違うようだ。
レオカディオ殿下や騎士達は、嬉しそうに「生きてる」「良かった、生きてる!」と目を輝かせている。目に涙を浮かべて喜ぶ人もいた。

「エデン、ヴィオラ夫人! 早くこちらへ!!」
レオカディオ殿下はこちらへやって来て、私の手を引っ張った。



「殿下……どうなさったのですか!?」


「エデンが生きている! エデンの体が、呼吸しているんだ!!」


【リアクション】
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------------------------- エピソード29開始 -------------------------
【エピソードタイトル】
【28】愚かな夫

【本文】
「……くそ。ヴィオラは一体どこに消えたんだ!?」

ルシウス・クラーヴァル公爵はいらだちを隠せずにいた。
妻のヴィオラが失踪してからすでに1か月半も経っているというのに、彼女の消息がまるで掴めないからだ。

1か月前に『緊急避難命令』が発せられて以降、ルシウスは自領の領主邸で過ごしている。瘴気発生に伴う緊急避難と聞かされているが、こんな命令は前代未聞だ。つい先日、事態の収束と王都帰還許可が告知されていたが、ルシウスはひとまず自領に腰を落ち着けていた。

「まったく、強制避難のせいでヴィオラの捜索が途絶えてしまったが……本当に不愉快な女だ」

ヴィオラのことが許せない。
公爵家当主であるこの自分に、手を上げるなど言語道断だ。ルシウスは歯の根を軋らせた。

「早く連れ戻して身の程を教え込んでやらなければ、私の気が収まらない!」

以前は『王命で押し付けられた役立たずの貧乏令嬢など、絶対に御免だ』と思っていた。しかし今では、離婚しようとは思わない。
今のヴィオラは、『金の卵を産む鶏』なのだから。

魔塩製造のカギを握っているらしく、国王やレオカディオ第三王子も彼女に関心を寄せている……だから絶対に手放すものか。

「本当に、どこに身を隠しているのやら」

ルシウスを殴り飛ばして部屋を出て行ったヴィオラは、屋敷の門を通ることなく忽然と消えた。まったく足取りがつかめず、侍女のリサや実家にいくら探りを入れても居所が突き止められない。

「とすると、他に庇護者がいるに違いない」

……そう思うと、非常に不快だ。
お飾りとはいえヴィオラは自分の所有物()なのだから、他人の庇護下にあるのは気に入らない。その庇護者に、ルシウスの『悪行』を垂れ流されるのも迷惑だ。

イライラしながら思いを巡らせていた矢先――。

「旦那様。書状が届いております」

家令が持ってきたのは、国王からの召喚状だった。
今回は宛先が『クラーヴァル夫妻』と連名でつづられている。

一体何の用件だろうか?
眉をひそめて文面を読み始めたルシウスは、読み進めるうちに陰湿な笑みを浮かべていった。

「これは良い。愚かな妻をあぶり出すのに、恰好の機会となりそうだ」

召喚状には、ルシウス・ヴィオラの両名に、指定の期日に王城へ来るよう記載されていた。『確認したい件がある』とのことで、詳細については書かれていない。

(だがおそらくは、魔塩に関する内容に違いない)

魔塩事業に関することで、何かしらのすり合わせを行いたいのだろう。なぜ今回の宛名にルシウスも書かれているのか不明だが、そんなことは些末な問題だ。

「ヴィオラめ、愚かな女だ。『夫婦ともに参ぜよ』と命じられているのに、あの女は応じることができない――これはとんだ不敬だぞ」

公爵家の夫人でありながら、身勝手に行方をくらませた愚妻。
国王にヴィオラの身勝手さを訴え、王の権限でヴィオラの居場所を見つけ出して頂こう。国王は甥のルシウスに信頼を置いているから、求めに応じて捜索してくれるはずだ。

ふっ。と声を漏らして、ルシウスは笑った。

   *


――数日後。
指定の期日に参上したルシウスは、拝謁の間へ通された。玉座に座した叔父(国王)に、うやうやしく首を垂れる。
挨拶ののち、国王はルシウスに問うた。

「書状には『夫婦ともに参ぜよ』と記していたはずだが。ルシウスよ、ヴィオラ夫人の所在を存じているか?」

沈痛な表情を作って、ルシウスは首を振った。
「恥ずかしながら国王陛下に申し上げます。私の妻、ヴィオラは手に負えない悪妻でして……。1か月半も前に行方をくらませたきり、私のもとへ戻ってこないのです。それゆえ、彼女は陛下の召喚命令に応じることはできません……まったく、不敬も甚だしい」

国王陛下は表情を変えることなく、静かな声音で「詳しく述べてみよ」と促した。

「実は結婚当初から、ヴィオラの素行には問題点が目立っていました。彼女はあまりに無教養で不遜……夫である私を愛する努力も見られず、使用人を道具のように扱ったり、体調不良を口実にワガママばかり口にしたりとやりたい放題です」

ルシウスは肩を落としてみせた。

「あまりにも目に余るので私が指摘したところ、ヴィオラは行方をくらませてしまいました。国王陛下のご命令による婚姻でございますから、私は常に誠意を尽くして妻に歩み寄り続けてきました。しかし……残念ながら、このようなことになってしまい……」

――可能な限り、ヴィオラを貶めてやろう。
そう考えて、ルシウスは演技を続けた。

「国王陛下。妻の捜索を、王家の権限で実施していただけませんでしょうか? これまでクラーヴァル公爵家の権限範囲内で捜索を行ってきましたが、何の手掛かりもつかめませんでした。……おそらくは、妻の失踪を手助けする協力者がいるに違いありません」

深刻そうな表情とは裏腹に、ルシウスは心の中で笑っていた。
王の権力のもとでは、ヴィオラの『家出ごっこ』など無意味だ。居場所をあぶりだされ、屈辱と恐怖に顔を歪ませるヴィオラの顔が目に浮かぶ。

「ほう……協力者とな?」
「はい。陛下のお力添えで、ヴィオラの身柄を隠す不届き者を捕えいただきいのです。そして私はヴィオラを連れ戻し、公爵家の妻として教育を――」

しかし。

「ルシウスよ、それは無謀な相談だ」
ルシウスが耳にしたのは、想定外の返答だった。ぴしゃりと国王に遮られ、ルシウスは目を見開いた。

「ルシウス・クラーヴァル公爵よ。ヴィオラ夫人の身柄を隠す【協力者】を、そなたが捕らえることはできん。なぜなら、その協力者は()()()なのだから」


「――は、?」
という間の抜けた声が、ルシウスの口から洩れる。

国王は呆れたような表情で、ルシウスを見下ろしていた。
「そなたは、ヴィオラ夫人を『召喚命令に応じぬ不敬者』と言っていたが、それは違う。夫人はすでに到着している。そなたより、遥かに早くな」

意味が分からず、ルシウスは顔をこわばらせた。
国王がルシウスに向ける目は、これまで見たことのない冷え切った色をしていた。

「そなたの話とヴィオラ夫人から聞いた話には、大きな乖離があるようだ。両者の言い分をこれから存分に聞かせてもらおう。今日は、その為にそなたを呼び出したのだからな。――それではヴィオラ夫人、入って参れ」

国王が、控えの廊下に声を掛ける。そちらを振り向いたルシウスは目を見開いた。

正礼装を纏ったヴィオラが、拝謁の間に入ってくる。
楚々とした歩き姿には自信があふれ、凛とした芯の強さを感じさせた。――そして、ヴィオラに寄り添って歩く白皙の美丈夫を見て、ルシウスはあんぐりと口を開けた。

「なっ……!? ヴィオラ……! それに、お前は…………」

国王の御前であるにもかかわらず、ルシウスは蒼白な顔で声を裏返らせた。
玉座の前にひざまずくヴィオラと美丈夫に向かって、ルシウスは指をさす。


「お、お前は……災禍の竜との戦いで討ち死にしていたはずだ! なのに、なぜ……」
「生き返ったのさ」

騎士服姿の美丈夫は、良く通る声音で答えた。

「国家の剣にして我が主人ヴィオラ・ノイリス様の忠実なる護衛騎士――このエデン・アーヴィスは、死の淵より生還した」

――エデン・アーヴィス!?

「そんなバカな! ヴィ、ヴィオラ貴様、この私をたばかるつもりだな!? 陛下の面前で、なんという無礼を!!」

口汚く罵しり始めたルシウスを、ヴィオラは顔色一つ変えずに見ている。死者(エデン)の名を騙る美丈夫は、鋭い声音でルシウスに告げた。


「――ルシウス・クラーヴァル公爵、卿の悪事を俺は全て見ていたぞ!!」





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------------------------- エピソード30開始 -------------------------
【エピソードタイトル】
【29】断罪のとき

【本文】
「――ルシウス・クラーヴァル公爵、卿の悪事を俺は全て見ていたぞ!!」

ルシウス様に向かって、エデンは死刑宣告のような声音で言った。琥珀色の瞳には、ふつふつと煮えたぎるような怒りが燃えている。

ルシウス様は取り乱しながら、縋るような目で陛下に訴えた。
「陛下、死者の蘇生などありえません!! この男はきっとエデン・アーヴィスの偽物に違いな――」
「黙れルシウス。この者は紛うことなき『救国の英雄』だ」
国王陛下が、静かに遮った。

「死んだと思われていたエデン・アーヴィスは、天の導きで生還した。災禍の竜を討ち果たしたこの英雄に、私は然るべき褒賞を与えたいと思う。しかしその前に、愚者の裁きを済ませなければならない」

「……ぐ、愚者…………?」
声を上ずらせるルシウス様を、国王陛下は嘆かわし気に見下ろしている。

「エデン・アーヴィスの証言によれば、そなたはヴィオラ夫人をひどく虐げていたとのことだが。申し開きはあるか」

「わ、私が妻を虐げる? いえ、そのようなことは……」

言い淀んでいたルシウス様は、ハッとした顔で私を振り返った。
「そうか、ヴィオラ、さてはお前の策略だな!?」
彼は勝手に納得したような顔になり、私を非難し始めた。

「ヴィオラ! その男がなぜ生き延びたか知らんが、お前はその男と陰で内通していたんだな!? そして『虐げられた』などと、適当なことを訴えたんだろう? そうでなければ、その男がクラーヴァル家の内情など見聞きできるはずがない。まったく、とんでもない不貞だ……!」

クラーヴァル家と何の接点もないエデンが、内情を言及するのはおかしい――と。たしかに、『魂だけの状態で屋敷を浮遊していた』なんて思わないだろう。

私は、小さく息を吐いた。

「国王陛下。私にも発言をお許しいただけますでしょうか」
「かまわんぞ、ヴィオラ夫人」

私はルシウス様に向き直った。
「ルシウス様。今、大事なのは『なぜ彼が内情を知っているか』ではありません。あなたが私に行った『非道な仕打ち』の真偽を述べてください」

「非道な仕打ち? そんなことは絶対にしていない。国王陛下より賜った婚姻を、私がないがしろにするはずがないだろう!!」

と、ルシウス様は当然のように言ってのけた。
あれこれと異常なほどに私を虐めていたくせに、外面のよろしいこと……。

「しらじらしいにも程がありますよ? この婚姻を不本意に思ったあなたは、執拗な嫌がらせを行って、私が離縁を申し出るようにと仕向けていたではありませんか」

たとえば――と、私はこれまでのことをいくつか述べた。「愛さない」という宣言に始まり、何かにつけての田舎者呼ばわり。体調不良を理由に私を領主邸に押し込めて、別居状態で過ごしていたことも。

「ヴィオラ、いい加減にしてくれ。この私が、そのようなことをするものか。お前はそんな嘘までついて、私に恥をかかせたいのか。怒りを通り越して、むしろ悲しみすら覚えてしまう……」

なんて白々しいのかしら。
腹が立ってきたけれど、平静を失うわけにはいかない。
私は、隣のエデンをちらりと見つめた。エデンは私をしっかり見守っていてくれる――彼がいてくれるという事実だけで、私は落ち着いて発言を続けられた。

「私は嘘などついていません。証拠も証人も、きちんと準備して参りました」

私が合図をすると、拝謁の間にひとりの女性が入ってきた――私の侍女、リサ・ミュラーだ。リサは陛下の前で、使用人たちが私を冷遇し続けていたことやルシウス様がそれを黙認していたことを証言してくれた。

ルシウス様が、鼻で笑う。
「リサ・ミュラーはノイリス家から連れてきたお前の侍女だろう? そんな侍女の証言など、お前の都合に良いようにいくらでも準備できる」

……と、予想通りにルシウス様は反論していた。
だから()()()()()()もきちんと用意している。

次に拝謁の間に入ってきたのは、中年男性――私の専属料理人トマス・ベッカーだ。ベッカーの姿を見た瞬間、ルシウス様の顔がわずかに強張った。

ベッカーは震える声で、国王陛下に告白を始める。
「わ、わたしは、……旦那様のご命令で、奥様の食事に特殊な油を使うようにと、言われていました。健康にいい油で、高価なものだから毎日1滴だけ使えと……」

ベッカーの話を継いで、私が陛下に説明をした。

「しかしある日ルシウス様はベッカーの元を訪れて、『もう不要だから回収する』と油の小瓶を持ち去ってしまったそうです。しかし不審に思っていた私は、事前に少量だけ『その油』を取り分けて保管しておりました」

ルシウス様の表情が、徐々に色を失っていく。
どうせ、私が気づかず食事を摂り続けていたと思っていたのだろう。でも実際には、エデンの憑依直後から薬物への対処は済んでいたのだ。

「この油の成分は、すでに王立研究所で精査いただきました。『ハイポキシア』という、違法薬物だったそうです。まさかそのようなものを、ルシウス様が私の食事に盛るよう指示していたなんて……」

「黙れヴィオラ。……私はそんなものは知らない!!」
ルシウス様は声を荒らげた。

「陛下、どうか私を信じてください!! この私が妻に薬物を盛るなど、ありえません。これはすべてヴィオラのでっち上げです! 私を陥れるために、このような事件を捏造して――」

……往生際の悪い人。

「そうまでおっしゃるなら、こちらをご覧ください」

私が目配せをすると、侍従が分厚い帳簿を持ってきてくれた。私はそれを、ルシウス様の目の前に置く。
ちなみに、国王陛下には事前にお見せしておいた。

「この帳簿は……」
「フラメ女伯爵の所有する商会から、あなたが違法薬物を購入した履歴が載っています」
「……!」

今日までの間に、私はエデンやレオカディオ殿下、多くの人たちの力を借りて準備を済ませておいた――ルシウス様の不正を、きちんと暴くための準備を。

「この帳簿は、フラメ商会が極秘裏に記帳していたいわゆる『裏帳簿』……合法的な商品とは別に、かの商会が違法取引の際に用いる暗号的書類です。司法局の解読官に読み解いていただいた結果、ハイポキシアの卸先としてルシウス・クラーヴァル公爵の名が記載されていました」



……これでおしまい。
言葉を失って硬直しているルシウス様に、国王陛下が冷たく言い放った。

「ルシウス。残念だ、お前には幼い頃より目を掛けていたが、とんだ買い被りだったらしい。お前に期待していたからこそ、『復興の象徴』としてノイリス家との縁談を委ねたのだが――残念だ」
「……陛下、わ、私は、」

お前の声などもう聞きたくない、と国王陛下は遮った。


「すでにヴィオラ夫人からは、離縁の申し立てがなされておる。私はこれを承認することとした。お前のような愚か者は、公爵家の当主としても不適当だ」

「そ、そんな……!」
死んだような顔色になって、ルシウス様は震えていた。

「ルシウスよ、お前の処遇については追って沙汰を下す。沙汰あるまでは邸内で謹慎せよ」
「へ、陛下……どうか、ご慈悲を……」

「ならん。ちなみにローザ・フラメ女伯爵には、違法物品の売買の件で逮捕状を出してある。これ以上みっともなく恥を晒すつもりなら、フラメ女伯爵ともども牢屋で過ごすことになるぞ?」

ひっ……、とルシウス様は声を引きつらせた。
国王陛下から「その者を摘まみ出せ」と命じられた衛兵たちが、呆然自失のルシウス様を退出させる――。


「呆気ない幕引きですね」
ぼそっ。と、拍子抜けしたようにエデンが囁く。
「竜の首を落としたときの方が、よほど緊張しました」
「……そうね」
伝説の竜に比べたら、確かにルシウス様なんて全然怖くない。
エデンを見つめ返して、私は苦笑していた。



「――さて。愚者の裁きはこれで終わりだ」
面倒ごとが片付いたと言わんばかりに、国王陛下は大きく手を打った。


「エデン・アーヴィスよ。次はそなたの褒賞の件だ。生きて戻り、再度この国を救ってくれたそなたはまさに救国の英雄だ! そなたの望むものを与えよう」
国王陛下の言葉に、エデンも私も首を垂れる。

「さぁ、そなたの望みはなんだ?」


答える寸前、エデンはちらりと私を見た。
私も彼を見つめ返す。エデンの美貌は、ほんのりと朱に染まっていた。



「陛下、私の望みは――」


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------------------------- エピソード31開始 -------------------------
【エピソードタイトル】
【30】英雄の目覚め

【本文】
ルシウス様の不正が暴かれ、エデンが陛下に『望み』を告げた、その日の夜。
私はエデンと並んで、宮廷内の庭園を歩いていた。

「……昼間は、本当に緊張したわ」
「ご立派でしたよ、ヴィオラ様」

国王陛下は私のクラーヴァル家からの除籍と、ノイリス家への復籍を承認してくださった。これまでずっと宮廷内に住む部屋をお借りしていたけれど、諸々の手配が済み次第、私はノイリス伯爵家に戻ることになっている。

今はエデンと二人でのんびりと、庭園をお散歩中だ。
空気がとても澄んでいて、夜空を仰げばたくさんの星々が輝いていた。
――ふたりで星を見るなんて、何年ぶりのことだろう。

「地方視察に行ったとき、よく見ましたね」
「……え?」
「星ですよ。夜遅くまで村々を巡って、ヴィオラ様は領民たちのために忙しそうにしていました。……7年以上前のことですが、覚えていますか?」
エデンは昔を懐かしむような眼で、星々を眺めていた。

「忘れるわけがないわ。まぶしくてきれいで、一生覚えていようと心に決めていた」
エデンと過ごした日々のことは、全部鮮やかに覚えている。

「またあなたと一緒に星空を見られるなんて、まるで夢みた――くしゅんっ……」
言いかけた途中で、くしゃみをしてしまう。すっかり秋も深まって、夜風が意外と冷たい。
「ヴィオラ様、これを」
自分の着ていたジャケットを、エデンが肩に掛けてくれた。体温が残っていて、なんだかとてもうれしかった。

「あったかい……」
ジャケットをきゅっと握って顔をうずめてみた――エデンの香りがする。
でもエデンは、なぜか心配そうな顔をしていた。
「そんなに寒かったんですか。だったら、もっと厚いのを取ってきます。ドレスでは冷えるでしょう?」

そういう「あったかい」じゃないのだけれど……。
おかしくて、吹き出してしまった。エデンは昔から、ちょっとズレた反応をするときがある。……そういうところも、実は好き。

「平気よ。エデンのジャケット、このまま借りてもいい?」
「もちろんです」

それからふたりで、また歩いた。並んで響く靴音が、涙が出るほど心地よい。夢だったらどうしよう――。
「これは本当に夢じゃないのよね?」
「ええ。全部現実です」

晴れやかに笑うエデンの頬に、私は手を伸ばしていた。月明かりの下のエデンが、びくっと体をこわばらせている。

触れた頬は、温かかった。

「……本当に、あったかい」
「それはそうですよ。今の俺は、生きていますから」
琥珀色の目を細め、エデンは嬉しそうに笑う。――昔のままの、灯火のような笑顔だ。

「あの地下霊廟で災禍の竜を討った後、()()()()()()()()()()()()()()()んです。そうでしょう、ヴィオラ様」
「っ……」
言われた瞬間、私はすごく恥ずかしくなった。
顔に火が付いたように、頬がかぁっと熱くなる。

「そ、それは……恥ずかしいから、言わないで……」

エデンが生き返ったときのことを思い出し、私は羞恥で真っ赤になっていた。



   ◆ ◆ ◆




災禍の竜に勝利したあとの、地下霊廟で。
「エデンが生きている! ……エデンの体が、呼吸しているんだ!!」


封印結晶を解いたことで、災禍の竜とともにエデンの体も結晶から解放されていたのだ。エデンの体は横たえられて、深い呼吸を続けていた。

3年間も封じられていたというのに、その体に衰弱の色は見られない。それどころか負傷も全部癒えていて、歳月相当に顔立ちが大人びているようにも見える。のちのちに魔導庁で調査したところ、『竜の生命力が水晶を介してエデンに波及し、肉体の損傷を防いだ可能性がある』――とかなんとか。

「エデン……!」

しかし、いくら呼びかけても、エデンの体が目を覚ますことはなかった――魂が私の中にいるのだから、当然といえば当然だ。

「どうしたら、エデンの魂を体に戻せるのかしら……」

唐突に、レオカディオ殿下が言った。
「試しにキスしてみたらどうだ?」
「……はい!?」

殿下は、一体何を言っているのだろうか。

「殿下……こんな状況でおふざけにならないでください」
「いや、俺は本気だ! ほら、おとぎ話によくあるじゃないか。眠りに落ちた姫を目覚めさせるのは、王子のキスと相場が決まっている。ダメもとでやってみよう」

えぇぇ……!?

オロオロしていると、私の中のエデンが勝手に体の主導権を奪った。血相を変えて、殿下に掴みかかっている。
「おい、レオ! 根拠もなく適当なことを言うな! ヴィオラ様が困っているじゃないか」
「ともかくやれって、こういうのは直感だ! モタついてる間に体が死んだらどうするんだよ。取り返しがつかないぞ?」
「うっ……」

真っ赤な顔で、(エデン)は言い淀んでいる。
……たしかに、殿下の言うことは一理ある。

「殿下の言う通りよ、エデン。試してみましょう」
私は再び、エデンの意識と強制的に取って代わった。横たわる彼の体に、おそるおそる近づいていく。

――そっと、唇を重ねてみた。


その唇の柔らかさに戸惑いつつも、祈る気持ちでキスをしていた。
どれだけの時間が流れただろう。


「……ヴィオラ様?」
まぶたを開いたエデンがそう囁いたのは――夢でも幻でもなく、現実のことだった。



   ◆ ◆ ◆


……今思い返しても、恥ずかしい。
あのキスでエデンは体を取り戻し、そして現在に至るのだ。

「でも、エデンが目覚めて本当に良かった……。まさか殿下の言う通り、キスで生き返るなんて。本当に物語みたいね」

恥ずかしさを誤魔化そうとして、私は「おかえりなさい」と冗談めかして笑った。一方のエデンは、なぜか深刻そうな顔をしている。

「いえ。そういう物語では、男が女性にするものです。女性のキスで男が救われるのは、少し情けないですね。これからは、もっと頼りがいのある男になります」

……あなたを頼りないなんて、思ったことは一度もないのに。
今のままで十分に素敵だ。私はいつもあなたに守られて、支えられて生きてきた。

エデンは真剣な顔で、私と向き合った。
「ヴィオラ様。…………失礼します」
「え?」
彼は私の手を取った。騎士が主人にするやり方ではなく、男性が女性に愛を囁くような握り方だ。

どき。と、胸が高鳴った。

「竜殺しの褒賞として、俺は伯爵位を賜ることとなりました。来春には、爵位授与式が行われます。……あなたに並び立つ資格が、ようやく手に入ります」

どき、どき、と。心臓の音がうるさい。

「この生涯を賭して、あなたを守ります。だからどうか、俺と結婚してください」

言われる前から、あなたの気持ちはもう知っている。――私の気持ちも、あなたは知っているはずだ。ひとつの体で一緒に過ごした日々に、私達は互いの想いを知ってしまった。

それでもやはり、口で言ってもらえるのは嬉しい。温かい涙が、あふれて止まらなかった。

「喜んで、お受けします」

エデンの胸に顔を埋めた。――彼の鼓動が聞こえてくる。
こんなに近くであなたの音を、呼吸を感じるのは初めてだ。心で一緒に過ごしていても、互いの熱は感じなかった。
私をきつく抱きしめてくれる、太い腕。昔はあんなに細かったのに、今はこんなにたくましい。

「エデン。二度といなくならないで」
エデンは、うなずいていた。

「……しかし、すみません。本来なら、先にノイリス伯爵閣下にご承諾をいただくべきだったのかもしれません。俺はまだ、爵位を得てもいないので」
「お父様なら絶対に反対なんかしないわ、エデンを信頼しているもの。それに、仮に誰が反対したとしても、私はあなたでなければ絶対に嫌」

――あなたのことを、愛してるから。ずっと言えずにいたけれど、言わずに後悔していたけれど。私は、もう隠さない。


「ヴィオラ様。愛しています」
私とエデンは見つめ合った。静かに近づく吐息と熱を、肌に感じる。

星降る夜の庭園で、私たちは二度目のキスをした。


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------------------------- エピソード32開始 -------------------------
【エピソードタイトル】
【Epilogue】真の英雄は――?

【本文】
――半年後。


私は今、王都の夜会に出席している。

出席――ではなく正確には、私は主催者側の立ち位置だ。
今日の夜会の主催者は私の父と、『六領同盟』を構成する南部各領の領主たち。魔塩の産地である六領の代表者たちが、国中の貴族を招いて大規模な夜会を催している。

離婚後の私はノイリス伯爵家の籍へ戻り、いわゆる『バツイチ』の出戻り娘という状態だ。けれど私を嘲る者はおらず、もちろん実家のノイリス伯爵家も他家からそしりを受けることはなかった。

夜会の参加者たちへの応対で、父は忙しそうにしている――だけれど、とても幸せそうだ。私は弟のノアと一緒に、今日の夜会では父の補佐役を務めている。

長い冬を抜けて春を迎えたこの季節、夜会の参加者たちもどこかうきうきとした様子だ。イノベーションのカギを握る魔力資源・魔塩の価値と可能性に誰もが明るい未来を思い描いているのかもしれない。

今日の夜会には大半の貴族が参加しているけれど、クラーヴァル公爵家は来ていない。国王陛下から『お叱り』を受けた後、何かとゴタゴタしているらしい。

私の(もと)夫――ルシウス・クラーヴァルは、陛下の命令により当主の座から退くこととなった。
爵位は彼の弟へと譲渡され、ルシウス本人は領内で隠居生活をしているらしい。
隠居というとのんびりと聞こえるかもしれないけれど、実際は軟禁生活のような状態だと聞いた。なんでも、地位を失ったショックで正気を保てなくなってしまったとか。

まぁ、どのみち、二度と会うことのない人だ。

思い出す必要のない人のことを、つい思い出してしまった……。
なんとなく苦い気分になっていたそのとき、ひとりの男性がこちらに歩み寄ってきた。

白銀の髪に白磁の肌、すらりと細く引き締まった長身。透き通るような彼の美貌はとても目を引く。周囲の女性達が、甘いため息を漏らしていた。

「ごきげんよう、エデン様」

くすりと笑いながら私が言うと、エデンは気恥ずかしそうに眉を寄せた。
「やめてください、ヴィオラ様。これまで通りエデンと呼んでくだれば」
「いいえ、婚約相手の男性を呼び捨てになんて、そんな非礼はできません。……人前では、ね」
最後の「人前では、ね」のところだけ、囁き声で伝えた。

今の彼は、エデン・アーヴィス『伯爵閣下』。

先月エデンは国王陛下から、爵位と領地を賜った。領地の管理で本当に忙しそうにしていたから、最近はなかなか彼に会えずにいた。だから今日会えるのを、私はとても楽しみにしていたのだ。

私たちは無事に婚約を結び、秋のはじめには籍を入れることになっている。

エデンと話をしていると、父が気を利かせて私に「席を外して良いぞ」と言ってくれた。ふたりで連れ立って、バルコニーに出る。春の夜風が心地いい。並んで夜風に吹かれていると、

「やっぱり、あなたは綺麗ですね」
幸せを噛みしめるように、彼はそんなことを言ってきた。

「……恥ずかしいからおだてないで。でも嬉しいわ」

「俺は思ったことしか言いません。あなたは誰より綺麗です。あなたの中で生きていたときより、こうして並び合っているほうが、しっかりあなたを見られて幸せです」

……恥ずかしくて、くすぐったい。はぐらかすように、私はエデンに尋ねた。

「そういえば、領地の管理はどう?」
「正直を言うと、俺に政治は難しいです。ご存じかと思いますが、俺は頭より体を動かすほうが性に合っているので」

エデンはあいかわらずの正直者だ。

この実直さが私は大好きなのだけど、『腹に一物』が常套手段の貴族社会ではちょっと心配でもある。
彼は演技が下手なのだ。一緒の体で過ごしたときも、あれでよく周囲にばれなかったものだと驚いていた……。

「でもミュラーさんにしごかれて、少しずつ慣れてきましたよ」
「まぁ」

エデンの言う『ミュラーさん』というのは、リサの父親のことだ。
リサの父親は何十年もノイリス家で家令を務め、去年隠居してリサの兄に役職を譲った。そして今ではアーヴィス伯爵家の家令となり、エデンの臣下兼『鬼教師』のような立ち位置で辣腕をふるっているらしい。

「陛下に賜った地位ですから、責任をもって果たします。あなたを花嫁として迎えるためにも」

そう言って、彼は私の頬に手を伸ばした。
胸が高鳴り、頬が熱くなる。

「『救国の英雄』の妻になれるなんて、私は世界一幸せな花嫁ね」
恥ずかしくて堪らなくなりながら、私は言った。すると――。

「……俺は本当に救国の英雄なんでしょうか」

エデンが、突然そんなことを言い出した。
いまさら、何を言っているのだろう?

「実を言うと俺は、救国の英雄はヴィオラ様だったんじゃないかと思っています」
「え!? 私が……!?」

いくらなんでも無茶苦茶だ。
「どうして、私が?」

「子供のころからずっと感じていたんですが……ヴィオラ様はいつも、俺にふしぎな力を与えてくれるんです。応援されると力が湧くし、助けを求められればあなたの居場所を感じ取れました。魔法の力に目覚めたときも、あなたを守るためでした」

エデンは、真剣な顔で続けた。

「竜伐隊で王都に召集されるときもです。ヴィオラ様は、「必ず帰ってきて」「待っている」と言ってくれました。あのとき体の中に不思議な熱が宿った気がしたんですが。……あれは、何かの魔法なんじゃありませんか?」

「まさか。私は魔法なんて使えないわ」
「加護の魔法じゃないかと、俺は思っています」

加護の魔法……? 
そんなの、私は聞いたことがない。

「前にレオに聞いたんですが、加護の魔法は他者に能力や精霊を付与する、古代の魔法形態らしいです。……古い文献によると、千年前に災禍の竜からオロラニア王国を救った聖女も『加護』の使い手だったそうで。その聖女は、霊を自身に憑依させたりもしていたそうです」

ぽかんとしながら、私は話を聞いていた。

「俺が結晶に封じられたとき、魂だけ異国に飛ばされたのも。結果として魔塩の製法を持ち帰ることができたのも。あなたに憑依できたのも。竜に二度目の戦いを挑めたのも。全部あなたの加護によるに導きだったんじゃないかと……ヴィオラ様は聖女なんじゃないかと、俺は本気で思っています」

「私が……聖女!?」

思わず、あははと笑ってしまった。
「そんなの、ありえないわ。私にはなんの力もないもの!」

エデンったら、たまにおかしなことを言うんだから。そういうところも、昔から変わらない。
目に涙をにじませて笑い転げる私のことを、エデンは優しい目で見ていた。

「エデンは、私がただの女ではイヤ?」
「そんなはずがありません。俺にとってのあなたは、あなただ」
そう言って、彼は私を抱きしめてくれた。



――これは望まぬ結婚をさせられた伯爵令嬢と、亡くなったはずの護衛騎士との物語。
そしてこれからは、最愛の人の妻となる私と、生きて戻ったあなたの物語。


幸せをかみしめるような笑顔で、彼は私に言った。
「あなたを世界一幸せな花嫁にします。……ヴィオラ」



【後書き】
最後までおつきあいくださり、誠にありがとうございました。
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6/14(金)ビーズログ文庫より最新作『やけくそで密入国した夜逃げ聖女は、王弟殿下の愛におぼれそうです』が発売されます。鳴鹿先生の可愛いイラストを、このページの下部(広告の下)に貼ってありますのでぜひご覧ください!

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作成日時: 2025-07-06 13:42:22