日が落ち、東の空には少し欠けた月が顔を出す。
辺りはスーツを着たサラリーマンたちで溢れかえっていた。
飲み屋の温かい灯が夜の街を彩る。
人波を掻き分け、猛ダッシュで短冊を配っていた駅前のテントまで急ぐ。
こんなに走るの、高校の体育祭以来かも。
いつも家に居たから体力が落ちている。
肺が爆発して心臓が飛び出そう。
少ししただけで息が切れる。
こんなことなら毎日、運動しておけばよかった。
程なくして、白いテントが視界に入った。
たくさんの短冊で彩られた巨大な笹もある。
周りにはたくさんの男たちが何かしていた。
まさか、撤去作業⁉
「あ、あの、待ってください!」
思わず大きな声が出た。
その瞬間、周りにいた人たちの視線が一斉に私に向く。めっちゃ恥ずかしい。
何とか撤収ギリギリに間に合って、受付のおばあさんから黄色の短冊を貰った。
ぜぇぜぇと息を切らす私を見て、驚いていたけど。
一度、深呼吸をして落ち着く。
カバンからペンを取り出し、願いを書こうとした。
ダメだ。全速力で走ったせいか、手が震えて文字が綺麗に書けない。
え、えっと……『推しの小説家の新作が出ますように』っと。これでいいかな。
「書けたらあそこに括りなさいな」
おばあさんが優しい口調で話し、テントの横にある大きな笹を指差す。
すでにたくさんの色とりどりの短冊が掛かっていて、人々の願いが詰まっているのが一目で分かる。
どうしよう。下の方に括ったら皆に見られそうだから、上の方にしようかな。
「くっ。と、届かない……」
背伸びをして、結ぼうと……あっ、足がつりそう。
「ぐぬぬ……」
ダメだ。全然届きそうにない。そうだ、ジャンプすれば――
「……見つけた」
子どものようにぴょんぴょんと跳ねる私の背後から突如、甘い声に呼びかけられる。
こ、この声って……
振り返ると、茶色いエプロンを着けた先輩の姿があり、私の顔の温度が急上昇する。
「み、みみみ、美琴くん⁉ ど、どどどどどうして、こんな所に?」
思いもよらない再会から、心拍数が爆上がる。
先輩の顔、まともに見られないよぉ。
すると、先輩は右手に握る1冊の本を私に手渡してきた。
「これ、私の忘れ物」
そっか。私、てっきりカバンに入れたと思って……
「……じゃあ」
先輩が冷たい返事をしてから、立ち去ろうと私に背を向けて歩き出す。
「ま、待ってください!」
咄嗟に先輩の右手を掴む。
温かい感触が触れ合う。
指も細くて色白で綺麗……でも、少し大きな感じからは男らしさを感じられる。
ど、どうしよう、こんなことしちゃって……
「あ、あの、書きませんか? 短冊」
必死に頭をフル回転させて、苦し紛れの言い訳をひねり出す。
「はぁ……」
先輩はくるりと身体を返し、おばあさんから私と同じ色の短冊を貰った。
机に置かれたペンを取り、すらすらと書き進めていく。
なんて書いているのか、こっそりのぞき込んでみる。
が、なかなか見えない。
「あんま見るなよ?」
ば、バレてた……私の浅はかな考えは先輩にはお見通しみたい。
「これでいいかな。平城のも括ってやるよ」
「あっ……」
先輩が私の手に握られた短冊をさっと取る。
そして、私の身長じゃ絶対に届かない高さに、隣り合うように括りつけた。
ああ、なんて書いたか見えないじゃん。
「……願い、叶うといいな」
先輩が私の耳元で優しく囁いた。
その刹那、私の頬が紅潮していくのが分かる。
「そ、その、なんて書いたんですか?」
少しの沈黙の後、
「教えない」
「ず、ずるいですよ~。私だけ見られて……」
なんて書いたのか気になるじゃん。
優しい先輩のことだから、家族とか友達のこと?
あっ、もしかして、彼女のことかも……あ~っ!
一瞬にして先輩のことで頭の中が支配されてしまう。
「なんで顔赤くしてるんだよ」
ドキッ⁉
先輩の声に心臓が跳ね上がる。
「俺はまだ仕事残ってるから。また来週な。あと、また本貸してくれよな」
先輩が私に背中を向けて、本屋の方へゆっくり歩き出して言った。
私、まだ言ってない……
本を届けてくれたお礼、ちゃんと言わなきゃ!
「あ、あの……届けてくれてありがとうございました!」
頭を下げて、先輩にお礼を叫んだ。
私の大きな声が商店街に響き渡る。
周囲にいた人の視線が一斉に私の方を向く。
先輩は顔を見せないで小さく手を振ってくれた。
そんな後ろ姿を、私は呆然と佇んで見送ることしかできなかった。
