夜にかける君に、希望の朝日を

次の日、私は学校には行かずに『CAFE LUMI』へ行った。

そこに健人の姿はなく、マスターが一人、カウンターでコップを拭いていた。

「いらっしゃい」

金髪にサングラスにピアスというヤンキーみ
たいな見た目からは想像できないような柔らかい口調でマスターはそう言った。

なんとなく、カウンター席の端から2番目に腰掛ける。

「なにか注文されますか」

マスターの声で机に貼られたメニューを眺め、ミルクコーヒーを頼んでみた。

昨日に比べて空いているのは、まだ昼前だからだろうか。

ドアの横に設置された大きな窓からは昨日の公園の木々がワサワサと風に揺られていた。

コトン、という音と共に年季の入ったカウンター席の木板の上にグラスが置かれた。

「ミルクコーヒーです」

「あ、ありがとう、ございます」

首だけ頭を下げ、マスターが去ったのを確認して両手でグラスを持つ。

薄茶色の液体の中に透明な丸い氷が2、3個プカプカと浮いていた。

「いただきます」と小さな声で言ってから一口飲んでみた。

「美味しい、、、」

ふと口にこぼした瞬間、我に返って恥ずかしくなったが、その気持ちは一瞬でなくなった。

マスターの口元が緩むのが見えたからだ。

そして

「昨日は、手伝ってくれてありがとうな」

少しぶっきらぼうな声でかけてくれた思ってもいなかった言葉に驚きを隠せずにいると

「ほんと、申し訳ないんだけどしばらくここでバイトしてくんねぇか。今はそうでもないんだが昼過ぎから人が増えてなかなか手が回らねぇんだ。」

いきなりのことに驚いてなにも返せないでいるとマスターはバツが悪そうな顔で「難しい感じ?」と言った。

「だい、じょうぶです」

頑張って笑顔を作って答えたつもりだが上手にできている自信はない。

マスターは何も言ってなかったからあまり不自然でなかったことにする。


そんなこんなで『CAFE LUMI』でバイトをすることになった。

1週間もすれば仕事にも慣れてきて、常連さんの顔も覚え始めた。

マスターとも仲良くなって、最近のニュースや流行りのことからマスターの学生時代の話までいろいろなことを話すようになった。

そんなある日のことだった。

チリーンと、いつもの音がして、お客さんが来た。

テーブル席をフキンで拭きながら「いらっしゃいませー」と振り返ると、よくよく見知った顔の人物がそこに立っていた。

「お母さん、、、」

顔はどんどん青ざめ、指はガクガクと震え、唇が乾燥していく、そんな感覚が一気に襲ってきた。

店内を見渡したお母さんは私を見つけた途端、真っ直ぐに私の方に歩いてきた。

「お前、こんなところで何やってんだよ。学校にも行かずに、こんなところで」

叫び声が店中に響き渡る。

幸いにもお客さんがいないことに助けられた。

「お前聞いてんのか。あぁ?」

やけにイライラしているお母さんは目の前の机をバァンと叩いた。

なにも言い返せない私に更にイライラしてきたらしく、私の耳を掴んで引っ張った。

痛さが耳の付け根から内部にどんどん移っていく。

痛い。痛い。

泣きたい、けど今泣いては、だめだ。

俯いて一生懸命涙を堪えていると、耳の痛みがなくなった。

お母さんの手の感触がなくなり、ジーンとした痛みだけが残る。

ハッと思い、顔を上げるとマスターが、私の耳を掴んでいた母の手首を握って捻っていた。

「あなた、はるかちゃんのお母さんですか」

いつもの穏やかな声とは全く違う、低く強い声でマスターはゆっくりと話しかけた。

「ええ、そうよ。あんたがうちのはるかを連れ出してんの?」

「お、お母さん」

激しく怒り狂ったお母さんをなだめようと声をかける。

「お前は黙ってろ!」

お母さんの一声で肩に一気に力が入った。

ものすごい剣幕に私は恐ろしくなってその後はなにも言えなかった。

その後オーナーがなんとかその場を収めてくれたけれど、とても帰れるような状況じゃない。

家に帰ってもしお母さんがまだいたら。

恐ろしさに頭がくらくらする。

オーナーは

「もしあれだったら今日は泊まっていってもいいからね。部屋、余ってるところあるから」

と言って自分の仕事に戻った。

「ありがとうございます」

そう言ってあたまを下げた。






しばらくしてチーンと扉が開く音がした。

目線を向けると健斗がいた。

いつもと変わらない様子に少しホッとした気がする。

「おかえり」

またテーブルを拭く手を動かして声をかけた。

「おう」

そう言ってオーナーと1、2言話して荷物を置きに帰って行った。




もう日暮れが近づいてきた頃、マスターがいつもより少し早くお店の看板を下ろして私を空き部屋に案内してくれた。

2階の1番隅っこのその部屋は綺麗に掃除されていた。

「ここ、自由に使っていいよ。服もそこのタンスに一通り入ってるから着替えたきゃ着てくれ。晩飯は18:30だからそれまでにリビングに降りてこい。他、なんか分かんないことあったら2個隣の部屋にいる健斗に聞け」

そう言って後片付けをしにカフェに戻って行ったその背中に「ありがとうございます」と頭を下げて案内された部屋に足を踏み入れた。

案内された部屋は健斗の部屋とは対照的に桃色と白で統一されていた。

ふと目に入った勉強机の上に置かれた写真立てにはマスターと見たことのない女の人がマスターの隣で笑っていた。

整ったかわいらしい顔立ちは健斗とは少し違って見えたがマスターの奥さんではないかということはわかった。

この写真が飾ってあることと部屋の雰囲気からしてこの部屋は奥さんの部屋なんだろうが、どうして空いているのだろう。

うーーーん、と考え込んでいると部屋のドアがコンコンとノックされた。

はい、と声を出す前に少しイラついた声で健斗が

「降りてこれるか。飯の準備できてるぞ」

と声をかけてきた。

「あっごめん、今行く」

そう言って部屋を出た。




リビングに行くとすでにバスケットに入ったカットフランスパンとビーフシチューが3人分丸机の上に丁寧に並んでいて、マスターと健斗は既に席に着いていた。

「遅くなってすみません」

「いいんだ。こっちこそごめんな。少し早く準備ができたもんで。珍しく健斗が手伝ってくれたからな」

ニヤニヤしながらマスターが言った。

「そんなことねーしー。ちゃんと毎日手伝ってるよ」

「そんなことねぇーだろぉ。いつもは部屋こもってゲームして騒いでるくせに」

「ゔ、そ、そ、そんなんじゃねーし。そ、それより早く食べよーぜー」

赤面して早口であわあわする健斗が面白くて吹き出してしまった。

マスターはそうだな、と言って

「手を合わせて、いただきます」

「いただきます」

マスターと健斗の声に驚いて目を見開いていると不思議そうに健斗がスプーンを片手に

「どうしたんだ?」

と聞いてきた。

「ごめんなんでもない。ちょっとみんなで食卓囲うの久しぶりだから、なんか新鮮で」

「ほっか」

ビーフシチューとパンを頬張りながらはるかってさぁ、

「どういう家族構成してんだ」

「えっ」

「健斗。あまり深入りするんでない。お前も聞かれたくないことの一つや二つだってあるだろう。はるかも同じだ」

「でもよー、はるかはあの公園で泣いてたの見つけて連れてきたの俺だし、聞く権利はあると思う……」

「い加減にしろ、健斗」

健斗の言葉に被せてマスターは言った。

「いいんです、マスター。私は健斗に助けられたし、健斗には本当のことを話しておかないと、ここにいさせてもらうのも申し訳ないので」

「はるかちゃん…」

ふう、と一息ついて

「私のお父さんは、わからない。私が小さい時にお母さんと別れてどこかに行ってしまったらしいくて、覚えてないの。お母さんは…」

そこで言葉を詰まらせると健斗は食べる手を止めてじっと私を見つめた。

「お母さんは、私が小学生くらいの頃から変わっちゃって。私のお母さん、私が小学校に上がるくらいの頃から都内の夜店で働きはじめて、はじめは私の誕生日にはほしかった本とかおもちゃとか買ってきてくれるし、クリスマスにはケーキを一緒に作ってくれるし、長期休みにはいろんな所に連れて行ってくれて、たくさん一緒にいてくれて、たまに家を開けることもあったけど大抵は寝る前に帰ってきてくれて。仕事して大変なはずなのに私の面倒も見て、女手一つで私を育ててくれた、本当に優しいママだった。けど」

あの恐ろしい瞳が脳裏によぎって、言葉に詰まった。

「けど?」

冷え切って震える指先をもう一方の手で掴んで落ち着かせる。

「けど…」

目をつぶって一つ深呼吸をする。震えがおさまったのを確認して

「けど、小学5年生の冬に、私が学校ではじめて体調を崩して家に帰った時、お母さんは迎えにきてくれなくて、『1人で帰って寝てろ』。そう、言われたの。保健室の先生がすごい説得してくれたんだけど、大事な仕事で抜けられないからの一点張りで」

マスターも健斗も食べる手を止めて目を見開いた。

まあ、そうだよな。と思い、私は天を仰いだ。

「ショックだったなぁー、大好きなお母さんに、裏切られて、熱が高くて感傷的になってたのもあると思うけど、大泣きしちゃって。学校でタクシー呼んでもらっていえまでかえっ家まで帰った。でも、もっとショックだったのは、次の日帰ってきたらお母さんが心配してくれなかったのが、1番辛くて、『早く学校に行かないと遅刻すんぞ』って。それからなんだー、お母さんがあんなに冷淡に私のこと邪魔者扱いするようになったの。何がいけなかったのかわからない。けど、もしなしたら仮病使って授業サボったって思われてたのかな。しばらくして、小学生ながらわかったよ。お母さんは私に興味がなくなったんだって。テストの話をしてもそう、学芸大会の話をしてもへえ。今までなら頑張ったのね、とか観にいかないとねとか言ってくれたのに。……けど、一番辛かっのは卒業式に参加すらしてくれなかったこと。みんな、お父さんとお母さんが沢山写真を撮ってくれてて、私も、もしかしたら、もしかしたら仕事が終わってお母さんが慌ててきてくれるんじゃないかって。何回も何回も校門を見ながら想像したよ。けど、最後までお母さんは来てくれなかった。それで、私はどうでもいい存在なんだってわかって、それからお母さんにはもう、なにも期待できなくなった」

少し目に水が溜まってるけど、今、泣くのは違う。

私が、泣いたらもっと重くなる。

そう言い聞かせて心を落ち着かせて前を向くと、私の顔を確認したマスターは辛そうな顔をしてまたスプーンを持ってご飯を進めた。

健斗は怪訝な顔をして

「その割にはちゃんと高校行かせてくれてるんだな」

と手をつけられてない私のビーフシチューを指しながら健斗が相槌を打った。

冷め始めたビーフシチューは表面に膜が張り始めていて私も慌てて手を合わせて食べ始めた。

「うん。中3の時すっごいお願いしたの。高卒ないとこの先ちゃんとした就職先につけないから高校だけは出させてくださいって。けど今は高校にすら行けてないから余計顔を合わせたくない。もう、失望されるのは、やだ」

「学校に行けてないってのはどういうこと?あの日公園にいたのと関係あんの」

鋭いなぁーと思いつつ、私はあまり重くならないよう意識をして

「まあ、関係なくはないかな。学校で今ちょっとしたいじめの標的にされてて、ちょっとしんどくて家に帰ったらお母さんにしめだされてあそこまで逃げてきたって感じ。いじめられてるのも、私のせいみたいだから悪いのは私なんだけど」

苦笑いしながら私がそう言うとすぐにそんなわけない、と健斗が小さな声で言った。

驚いて健斗の方を見るとまっすぐな瞳が私の瞳とぶつかった。

しばらく何も言えないでいる私に健斗はゆっくりと落ち着いた声で、でも迷いなく口を開いた。

「いじめられる側が悪いなんて、そんなことはない。確かにはるかにも何か非があったのかもしれないし原因となる何かがあったのかもしれないけど、それがいじめをしていい理由になることはない。だからはるかは悪くない。」

しばらく沈黙が流れた。

決して居心地が悪いわけではなかっかたが私はその静寂を崩すように口を開いた。

「そっか、そうだね」

笑ってビーフシチューを頬張ると今度は濃厚な味が口いっぱいに広がった。

「私は悪くない、か。ありがと、一番言ってほしかった言葉かも」

「そうか」

と健斗は相変わらずスプーンでビーフシチューを頬張っていた。

私も気にせずスプーンを進めた。

マスターも少し止まりかけていた手を進め始めた。

しばらくして健斗が

「はるかってさ、家に帰りたくないって、思ったことある?」

突然今までで一番意味不明な質問が飛んできた。

不意を突かれてなんも言えなかったけど、

「ある」

とだけ言った。

健斗は悲しそうな、でも納得したような顔をして

「そっか」

と言った後に小さな声で俺も。と言ったのを私は聞き逃さなかった。