君に花を贈る

「タイミング、悪かったな……」

 声、かけようかな……やめたほうがいいかな。
 ……じゃあ、電話してみようかな。
 スマホを取り出して顔を上げると、藤乃さんがふと立ち止まった。
 今だ、と思ったそのとき……誰かが店の前、歩道から話しかけていた。
 ……きれいな、女の人だった。
 遠くからでもはっきりわかる、さらさらの長い髪と、ぱっちりした大きな目。
 藤乃さんより頭一つ分くらい小さくて、頬を染めて話している。
 藤乃さんがどんな顔をしているかは分からないけど、スマホをそっとポケットに戻して、そのまま車に乗り込んだ。いつもより少し急いで家へ向かった。
 途中でにわか雨に降られて、フロントガラスの向こうがにじむようにぼやけて見えた。


 その夜、寝ようとしたときにスマホが震えた。……藤乃さんだ。ロック画面には、「今日、会えなくて残念」……と表示されている。

「……明日にしよう」

 今日はなんだか、疲れちゃったし。まだ十時半だけど、朝は四時前に出なきゃいけないし。
 部屋の明かりを消して、ベッドに身を投げる。スマホを枕の下にしまい込んで、ぎゅっと目を閉じた。


 翌朝は、いつもより三十分も早く目が覚めた。

「……いやな夢、見ちゃった」

 夢の中で、藤乃さんが昨日のあの女の人と並んで歩いていた。
 いつも私に向けてくれる、あの甘くてとろけそうな笑顔で彼女を見つめながら、藤乃さんはどんどん遠ざかっていった。私はただ、見ていることしかできなかった。
 ぼんやりしているうちに、目覚ましが鳴り出した。その音で我に返って、ベッドを抜け出す。
 夢は夢。仕事、行かなきゃ。スマホはそのまま、上着のポケットに放り込んだ。