次の日の夜、一人で店仕舞いしてたら裏口がノックされた。
 葵はとっくに帰ったし、母さんはたぶん家で晩飯の支度中。じいさんと親父がノックなんてするはずもない。

「はーい、どなたでしょうか?」

 扉を開けたら、真顔の花音ちゃんがいた。

「えっ、花音ちゃん!? どしたの……?」
「こんばんは、藤乃さん。すみません、こんな時間に」
「いや、いいけど……、あ、中にどうぞ」

 こわばった表情の花音ちゃんを事務所に通して、散らかっていた伝票を端に寄せ、レジも閉めておいた。
 冷蔵庫にあったペットボトルを手渡す。たぶん葵のだけど、明日買っておけばいいか。

「ありがとうございます。すぐに帰りますから……」
「何かあった?」
「……葵さんから、藤乃さんが落ち込んでるって連絡が来て」
「……それって」
 花音ちゃんはお茶を机に置くと、そっと俺の手を両手で包み、目を伏せた。
「私、藤乃さんの手が好きです」
「え……っ」

 手が急に熱くなって、たぶん一気に汗が出た。
 花音ちゃんはそっと俺の手を撫でた。

「藤乃さんの手、あかぎれも切り傷もたくさんあります。何もない人の手がこんなにボロボロなわけないじゃないですか」
「花音ちゃん……」
「皮も固くなっていて、鋏が当たる場所にはタコができてます。手だけじゃないです。花を見るときの藤乃さんの顔も好きです。真剣で、一所懸命で、真っ直ぐに見てるじゃないですか。何もなくなんてないです。そんなひどいこと言う人、誰ですか。……私、怒りますよ」

 握った指に、ぎゅっと力がこもる。
 花音ちゃんはうつむいたまま、肩を小さく震わせていた。
 泣かないでよ。君が言われたわけじゃないのに。

「ありがとう、花音ちゃん。怒ってくれて……でも俺は大丈夫。もう昔のことだから」
「どれだけ昔のことでも、藤乃さんが傷ついた事実は消えません。不当なことを言われたなら、怒るべきです。藤乃さんが怒れないなら、私が代わりに怒ります」
「……うん、ありがとう。花音ちゃんが怒ってくれたおかげで、もう大丈夫」

 ゆっくり顔を上げた花音ちゃんは、うるんだ目で、ちょっと不機嫌そうな顔をしていた。
 その顔がたまらなくかわいくて、やっぱり俺は花音ちゃんが好きだ。愛しくて、どうしようもない。
 こんな俺のために、わざわざ来てくれて、こんなに目を涙でいっぱいにして。

「花音ちゃん……少しだけ、抱きしめてもいい?」

 そう言うと、花音ちゃんは顔を真っ赤にして、口をぱくぱく動かした。

「……どうぞ」
「ありがとう」

 そっと手を離して、花音ちゃんの背中に回した。
 初めて抱きしめた女の子は、想像以上に柔らかくて、あたたかくて、いい匂いがした。
 花音ちゃんの腕が背中に回って、優しく抱き寄せられた。
 ……よかった。ちゃんと、ここまで来られて。逃げ出さなくて、本当に、よかった。