「花音ちゃん!もう大丈夫?」
駆け寄ってきた藤乃さんは、ハイネックに長袖長ズボン、前掛けの庭師姿で、いつもとまるで雰囲気が違って見えた。
背が高くてスラッとして見えるけど、よく見ると腕も脚も太くて、しっかりしてる。
……かっこいいなあ。
「えっと、大丈夫です。すみません、ご迷惑……おかけして」
「迷惑なんてかかってないよ。元気になってくれて、ほんとによかった。今、帰るとこ?」
「そうです。奥さんや葵さんと話してたら遅くなっちゃって」
「そっか。今度は俺とも、ゆっくり話そうね。引き止めちゃって、ごめん」
藤乃さんは、穏やかに笑って、私を見ていた。
……本当に、かっこよくて、優しい人だ。
そんなの、みんなわかってて、私以外にもこの人を大事に思う人はいっぱいいる。
この人が歩いてきた道のりも、残してきた足跡も、私はまだ、何も知らない。
「どしたの?」
黙りこんだ私を、藤乃さんが心配そうにのぞきこんだ。
私のことなんか、気にしなくていいのに。
なんでこんなに卑屈な気持ちなんだろう。
「す、すみません……失礼します」
慌てて車に乗り込む。
藤乃さんはそれでも笑顔で手を振ってくれる。
いつもなら嬉しくなるその笑顔が、今日はなぜか、胸に刺さった。
「何やってんだ、私は」
家の駐車場で、ハンドルにおでこをくっつけていた。
せっかく会えたのに、よくわからないモヤモヤにのまれて、逃げるように帰ってきちゃった。
ヤキモチかなあ。何だろうなあ。
……私じゃなくても、藤乃さんのこと好きな人なんて、いっぱいいるんだろうなって思ったら……なんだか落ち込んじゃった。
「私、面倒くさい女だったんだな」
……付き合ってもないのに。
ふわふわと好意を漂わせてるだけで、それ以上、何かを言うでもなくて。
顔を上げると、夕陽が畑に降り注いでいて、遠くでは父が乾いた土に水を撒いていた。
車から降りて、荷台を片付けなきゃ。バラの様子も見に行こう。あとは……やること、まだまだある。
気持ちを断ち切るように、車から降りた。
数日後の夜、風呂上がりに台所で水を飲んでいたら、渋い顔の瑞希が階段を降りてきた。
「おい、花音。藤乃とケンカでもした?」
「……してない」
「藤乃の泣き言、マジでうるせーんだけど」
瑞希がスマホを軽く振る。それに、何て言えばいいのかわからない。だって、ほんとにケンカしてないし。
「ケンカなんかしてないよ。そういうんじゃなくて……明日、バラ園の納品あるから、須藤さんとこは瑞希が行って」
「アラサーにもなって、妹とその友達の痴話げんかに巻き込まれんの、勘弁なんだけど」
「……ケンカじゃないよ。ただ……別に、私じゃなくてもいいんじゃないかなって、思っちゃって」
「おまえな、藤乃マジで泣くぞ?」
「なんでよ。……モテるでしょ、藤乃さん」
つい不貞腐れた言い方をしてしまう。ヤダなあ。本当に面倒くさい彼女じゃん。
「そういう話じゃねーだろ。お前のモヤモヤで、藤乃と俺を振り回すの勘弁しろ、バカ」
瑞希はそう言うと、台所から出ていってしまった。
「明日は代わってやるけど、次は絶対、自分で行けよな!」
と言い残して。
なんだかんだで、やっぱり私に甘い兄だ。
コップを洗って片づけると、部屋に戻って、藤乃さんと行った展覧会の目録をパラパラとめくった。
最後のページには、藤の花と日本庭園風の展示が見開きで載っていた。
藤の木の下に広がる枯山水には、「観世水」っていう模様があった。――変化を意味すると書いてある。
鈴美さん、どんな気持ちでこれを作ったんだろう。これを藤乃さんに見せたかったのって、なんでだったんだろう。
「……それって、私には関係ないよねえ」
私が藤乃さんをどう思ってるかと、鈴美さんや葵さんがどう思ってるかは、ほんとは関係ない。
瑞希の言うとおりだ。これは、私の問題なんだ。
駆け寄ってきた藤乃さんは、ハイネックに長袖長ズボン、前掛けの庭師姿で、いつもとまるで雰囲気が違って見えた。
背が高くてスラッとして見えるけど、よく見ると腕も脚も太くて、しっかりしてる。
……かっこいいなあ。
「えっと、大丈夫です。すみません、ご迷惑……おかけして」
「迷惑なんてかかってないよ。元気になってくれて、ほんとによかった。今、帰るとこ?」
「そうです。奥さんや葵さんと話してたら遅くなっちゃって」
「そっか。今度は俺とも、ゆっくり話そうね。引き止めちゃって、ごめん」
藤乃さんは、穏やかに笑って、私を見ていた。
……本当に、かっこよくて、優しい人だ。
そんなの、みんなわかってて、私以外にもこの人を大事に思う人はいっぱいいる。
この人が歩いてきた道のりも、残してきた足跡も、私はまだ、何も知らない。
「どしたの?」
黙りこんだ私を、藤乃さんが心配そうにのぞきこんだ。
私のことなんか、気にしなくていいのに。
なんでこんなに卑屈な気持ちなんだろう。
「す、すみません……失礼します」
慌てて車に乗り込む。
藤乃さんはそれでも笑顔で手を振ってくれる。
いつもなら嬉しくなるその笑顔が、今日はなぜか、胸に刺さった。
「何やってんだ、私は」
家の駐車場で、ハンドルにおでこをくっつけていた。
せっかく会えたのに、よくわからないモヤモヤにのまれて、逃げるように帰ってきちゃった。
ヤキモチかなあ。何だろうなあ。
……私じゃなくても、藤乃さんのこと好きな人なんて、いっぱいいるんだろうなって思ったら……なんだか落ち込んじゃった。
「私、面倒くさい女だったんだな」
……付き合ってもないのに。
ふわふわと好意を漂わせてるだけで、それ以上、何かを言うでもなくて。
顔を上げると、夕陽が畑に降り注いでいて、遠くでは父が乾いた土に水を撒いていた。
車から降りて、荷台を片付けなきゃ。バラの様子も見に行こう。あとは……やること、まだまだある。
気持ちを断ち切るように、車から降りた。
数日後の夜、風呂上がりに台所で水を飲んでいたら、渋い顔の瑞希が階段を降りてきた。
「おい、花音。藤乃とケンカでもした?」
「……してない」
「藤乃の泣き言、マジでうるせーんだけど」
瑞希がスマホを軽く振る。それに、何て言えばいいのかわからない。だって、ほんとにケンカしてないし。
「ケンカなんかしてないよ。そういうんじゃなくて……明日、バラ園の納品あるから、須藤さんとこは瑞希が行って」
「アラサーにもなって、妹とその友達の痴話げんかに巻き込まれんの、勘弁なんだけど」
「……ケンカじゃないよ。ただ……別に、私じゃなくてもいいんじゃないかなって、思っちゃって」
「おまえな、藤乃マジで泣くぞ?」
「なんでよ。……モテるでしょ、藤乃さん」
つい不貞腐れた言い方をしてしまう。ヤダなあ。本当に面倒くさい彼女じゃん。
「そういう話じゃねーだろ。お前のモヤモヤで、藤乃と俺を振り回すの勘弁しろ、バカ」
瑞希はそう言うと、台所から出ていってしまった。
「明日は代わってやるけど、次は絶対、自分で行けよな!」
と言い残して。
なんだかんだで、やっぱり私に甘い兄だ。
コップを洗って片づけると、部屋に戻って、藤乃さんと行った展覧会の目録をパラパラとめくった。
最後のページには、藤の花と日本庭園風の展示が見開きで載っていた。
藤の木の下に広がる枯山水には、「観世水」っていう模様があった。――変化を意味すると書いてある。
鈴美さん、どんな気持ちでこれを作ったんだろう。これを藤乃さんに見せたかったのって、なんでだったんだろう。
「……それって、私には関係ないよねえ」
私が藤乃さんをどう思ってるかと、鈴美さんや葵さんがどう思ってるかは、ほんとは関係ない。
瑞希の言うとおりだ。これは、私の問題なんだ。



