奥さんが遠くを見るように目を伏せて、葵さんの表情が一気に険しくなった。
 ……その話をしていたとき、藤乃さんがどんな顔をしてたか、ふと思い出した。

「藤乃が中学の終わりごろだったかしら。須藤の家で集まってたとき、藤乃が見当たらなくてね、探しに行ったら、義兄さんが……藤乃にいろいろ言ってて。私、もう、冷静でなんかいられなかったのよ」
「グーで伯父さんを吹っ飛ばしたって、藤乃くんが言ってたよ」

 葵さんがニヤッと笑って、奥さんも、おかしそうに頷いた。

「まあ、そうね。あれは会心の一撃だったわ。そのとき義兄さんがいろいろ言い訳してたけど、藤乃にきつく当たってたのって、鈴美ちゃんが藤乃を気に入ってたからなのよ。『娘はやらん!』って、もう……いい迷惑よね」

 それを聞くと鈴美さんが可哀想な気がしてくる。本人は、私なんかに可哀想だと思われたくないだろうけど。

「そもそものきっかけはね、藤乃が幼稚園のときに『大きくなったら鈴美ちゃんと結婚する』って言ったことらしいの。でも、藤乃はすっかり忘れてて、そのあと葵ちゃんのことをすごくかわいがってたのよ。赤ちゃんの頃ね。おむつ替えたり、絵本読んだり。そんな姿を見て、鈴美ちゃんが変に構うようになっちゃって……藤乃はますます嫌がるし、義兄さんは『娘を傷つけた』って怒り出すし、もう大騒ぎよ」
「あ、だから昔、藤乃くんが私にくれたブーケ、取り上げたんだ?」
「そんなことしてたの? もう、やあねえ」
「……鈴美さんが藤乃さんのこと好きって、藤乃さん本人は気づいてるんでしょうか?」

 思わず聞いてしまったら、奥さんと葵さんが、なんとも言えない顔で見つめ合っていた。
 ……まあ、あの様子じゃ、気づいてないんだろうな。

「あの子、十年近く義兄さんに否定され続けてたせいか、自分にまったく自信がないのよ。そんなこと、ぜんぜんないのに。あんなの、ただの言いがかりだったのにね」
「藤乃くんってさ、自分が誰かに好かれるなんて思ってないみたいなんだよね。私も理人も、藤乃くんのこと大好きなのに。あ、理人とは会ったんだよね? 理人が言ってたよ」

 思いがけない名前に、きょとんとしていたら、葵さんがふっと笑った。

「私と理人、大学のゼミが一緒なの。藤乃くん、頑固で不器用でヘタレだけど、最高にかっこいい私の師匠だから……見捨てないであげてね」
「理人さんも、同じこと言ってました。ずっと気になってたんですけど……何の師匠なんですか?」
「お花のこと全部! アレンジもブーケも、育て方も手入れも選び方も、ぜんぶ藤乃くんに教わったの。センスいいでしょ? 頑張って教わってるけど、なかなか追いつけなくてさ」

 葵さんがそう言い終えるのと同時に、お客さんがやってきて、彼女はそちらへ向かっていった。

「長いことお邪魔しちゃって、すみません」
「いいえ、こちらこそ。長話に付き合わせちゃって、ごめんなさいね」

 お茶と塩飴、それに受領書を持って、裏口から外に出た。
 車に乗り込もうとしたそのとき、名前を呼ばれた。