着いた先は花市場で、実家の造園屋兼花屋で扱う品を仕入れに来た。
 トラックを定位置に留めて降りると、一歩踏み出した瞬間、濃密な花の香りが全身を包んだ。
 たくさんの人の気配と、それ以上にたくさんの花がカゴ台車に並んでいる。
 毎朝の風景なのに、やっぱりこの熱気には圧倒される。汗と白い息が混じって、場内はほのかに湯気がかっていた。

「おはよー藤乃ちゃん! フリージア見てってよ!」
「止めてよ、この子まだ見る目ないから!」

 顔見知りの農家と母親が軽口を叩いている。
 仕入れはもう一人でやらせてほしい。じいさんも親父も「任せてみたらどうだ」って言ってくれるけど、母親だけは「私のテストに全問正解してからね」って譲らない。

「あ、藤乃だ。おはよ」
「おはよう、瑞希」

 瑞希はじいさんの代から付き合いのある由紀農園の跡取りで、よく親父さんと一緒に花を卸しに来ている。
 子どもの頃から家族ぐるみの付き合いで、瑞希とは高校が一緒だったから、数少ない友達でもある。
 瑞希は毎日畑仕事をしてるから、体つきがしっかりしていて羨ましい。二の腕も太ももも、俺とは比べものにならない。……いいなあ。
 そんなことをぼんやり考えていたら、瑞希が「由紀農園」と書かれた黒いキャップのつばを持ち上げた。

「なあ、花音見かけなかった?」
「花音ちゃん? 今日来てるんだ?」
「うん。親父が腰をやっちゃってさ。代わりに手伝わせようと思って連れてきたんだけど、ラナンキュラス取りに行かせたら戻ってこないんだ。見かけたら呼んでくれ」

 花音ちゃんは瑞希の妹だ。たしか瑞希の二つ三つ下だったはず。

「って言っても、俺が花音ちゃんに最後に会ったのって、たぶん幼稚園か小学校の低学年の頃だから、顔覚えてないんだよね」
「そんなに会ってなかったっけ? まあ、見たらすぐわかると思うよ。やたら背が高いんだ、俺と同じくらい」
「えっ、そんなに大きくなったの? ちょっと探してくる」

 俺は背の高い女の子が好きだ。自分が180を超えてるせいか、自然と目がいってしまう。でも、なかなかいないんだよな……。
 でも、瑞希と同じくらいの背なら、170は軽く超えてるはず。……なんだか急に探す気になってきた。

「こら、藤乃! しゃべってないで早く手伝って!」
「いって……」

 せっかく気分が上がってたのに、母親にどつかれた。瑞希はにこやかに母親に頭を下げて、チューリップやヒヤシンスを勧めていた。

「藤乃、このチューリップならどっち?」

 瑞希が勧めたチューリップを母親が指さした。

「右。花びらの形がきれい」
「正解。ヒヤシンスは?」
「右。つぼみがぎゅっと詰まってる」
「残念。そっちは葉っぱがちょっと大きすぎるかな」
「うちの商品に“残念”はひどいなあ」

 ふてくされた顔の瑞希に、母親が笑って手を合わせた。

「ふふ、ごめんね。じゃあ、黄色のチューリップとピンクのヒヤシンスを30ずつお願い。藤乃、運んで」
「へいへい」
「瑞希ちゃんにはお詫びにおにぎりあげるね。藤乃の朝ごはんだけど」
「え、それ俺の……ひどくない?」
「外したお前が悪い。ほらよ、ピンクのチューリップもおまけしてやる」

 差し出されたチューリップは、花びらの先がひらひらと波打っていて、レースのフリルみたいに広がっていた。ブーケにすれば華やかだし、アレンジメントに入れても目を引く。きれいな花だ。

「あら素敵な形。色もいいわね」
「へえ、こんな品種もあったんだ」
「最近育て始めたんだけど、まだ出来が安定しなくてさ。本格的に卸すのはたぶん来年。それは試作品ってことで。こういうの、好きだろ?」
「うん、好き。ありがと」

 チューリップとヒヤシンスの箱を抱えて、トラックに向かう。もらったピンクのチューリップは大事に箱の上に乗せて、揺れないようにそっと支えながら歩いた。
 箱を荷台に積み込み、ピンクのチューリップは折れないようにビニール袋に入れて手に持つ。
母親ののもとへ戻ろうと足を速めた瞬間、並んだカゴ台車の向こうから、ラナンキュラスの丸い花束がふいに飛び出してきた。

「うわっ、大丈夫?」