葵さんの実家だという神社で、私はビールの箱を台車に積んでいた。

「由紀さーん、チューハイも積めるー?」
「もういっぱいなので、次で運びます!」

 台車を押して、飲み物を運ぶ。それが終わると、子ども用のお菓子やおつまみ、記念品など、次々に準備するものがあった。

「子ども神輿、最後の休憩所に入りましたー!」

 連絡係の人が声を上げる。
 急いでお菓子を運んで並べてると、先導している山車が境内に入ってきた。お菓子の山を見つけた小さな子どもたちが、嬉しそうに一斉に駆け寄ってきた。
 すぐ後にお神輿が入ってきて、町内会長さんが挨拶をしたら、今度は小学生が集まってくる。
 子どもたちが引き上げたあと、大人のお神輿が境内に入ってきた。
 先導しているのは兄の瑞希と藤乃さん……最近、私の彼氏になった人だ。
 藤乃さんは、息をのむほどかっこよかった。
 そもそも身長が百八十センチを超えていて、ただ立っているだけでも目を引く存在だ。
 それが、汗だくで白いシャツに法被を羽織って、黒いスキニーパンツに足袋を履いて毛槍を掲げている。
 本当に危なかった。もし周りに町内会や青年会の奥さんたちがいなかったら、ときめきすぎて崩れ落ちていたかもしれない。

「あなたの彼氏、かっこいいわねえ」

 母さんが「あらあら」と笑いながら瑞希との写真を撮っていた。あとで送ってもらおう。藤乃さんの写真、ちゃんと残しておきたい。

「今、目に焼き付けてる……!」

 スマホを取り出すのさえ惜しいくらい、かっこよくて目が離せなかった。
 あんなにかっこいい人が、私の彼氏だなんて。
 前世でよっぽど徳を積んでたのかもしれないな……ありがとう、前世の私。
 大人用の大きいお神輿が置かれて、神主さんが再び祝詞を上げる。
 そのあいだに、女性陣でお酒やおつまみ、軽食を長机に並べた。
 祝詞のあとに町内会の会長さんが挨拶をして、一度お開きになる。
 藤乃さんを探したら、すぐに目が合って、笑顔でまっすぐこっちに向かってきた。

「ふじ……、……あ」

 声をかけようと手を上げかけたけれど、振ることができなかった。
 私のところにたどり着く前に、藤乃さんは、女性たちに囲まれて何か話しかけられていた。
 瑞希も同じように女性に囲まれて、デレデレと情けない顔をしている。
 藤乃さんは、少し困ったような顔をしていたけれど、それでも相手を振りほどくことなく、穏やかに話を続けていた。藤乃さんに渡そうと思って、お茶やお菓子を用意していたけれど……その前に、女性たちが差し入れを渡したり、一緒に写真を撮ったりしていた。

「花音、仕事中」

 母の声で我に返った。
 そうだ。仕事中だ。私も藤乃さんも。仕事みたいなものでしょ。ああやって愛想を振りまくのだって。

「……、うん。ごめんなさい。ありがと」

 そもそも、私はちゃんと分かっていた。
 藤乃さんと瑞希が先導役に選ばれたのは、ふたりとも見栄えがするからだ。
 背が高くて、顔立ちも整ってるから、ふたりを先頭に立たせるだけで、町内会も青年会も、お祭り全体の印象がぐっと良くなる。だから選ばれたんだ。
 ちゃんと成功してるってことなんだから、私は喜ばなきゃ。こんなつまらない嫉妬なんて、してる場合じゃない。
 小さく深呼吸をして、前を向いた。
 藤乃さんのほうは見ないようにして、並んでいる人たちにお茶やお弁当を渡していく。

「お疲れさまです」
「ありがとう、かわいい子にねぎらってもらえると頑張った甲斐があるわ」
「お上手ですね」
「本当にそう思ってるって!」

 たまにそんなふうに話し込もうとする人もいるけど、そういう時は母や周りの奥さまたちが、うまくかわしてくれる。
 一時間くらい配り続けて、やっと人並みが落ち着いてきた。

「花音、そろそろ休憩してきていいわよ」
「あ、うん。行ってくる」

 母に軽く手を振られて、長机から少し離れた。
 藤乃さんはどこにいるのかな。
 きょろきょろしていたら、後ろから声がかけられた。

「あの、さっきお弁当配ってた方ですよね」
「えっと、そうですけど……?」

 誰だろう? 振り返ると、笑顔の男性が立っていた。十くらい年上かな。でも、見覚えはなかった。というか、あれだけの人に次々配っていたら、一人一人なんて覚えきれない。

「今、お暇ですか?」
「いえ、ちょっと人を探しているので」
「良ければ、その人が見つかるまでお話しませんか?」
「こ、困ります。失礼します」

 なんとかその場を抜け出して、走り出した。藤乃さんの姿はどこにも見えなくて……もう、泣きそうだった。
 結局、すぐに母のところへ戻った。
 ……さっきの男性に何度も声をかけられたから。

「あら……じゃあそこに座って藤乃くんか瑞希に電話したらいいじゃない」

 母が長机の後ろにある台車を指さしたので、そこに座らせてもらった。
 スマホを取り出すと、藤乃さんからたくさんメッセージが届いていた。まったく気づいていなかった……。
 慌てて開いたら、藤乃さんの写真がいくつも送られてきていた。
 どれも法被姿で、笑顔ばかり。
 ……会いたい。今すぐ、藤乃さんに会いたい。
 唇を噛んで通話ボタンを推す。
 でも、藤乃さんは全然電話に出ない。
 あきらめて瑞希にかけると、すぐに出てくれた。

「瑞希、今どこ?」
『社務所の奥の控室で着替えてた。藤乃はまだ着替え中だけど……何? 喧嘩した?』
「してない。ていうか、今日話せてない」
『ああ、じゃあ拗ねてるんだ。了解。着替え終わったら連れてく』

 拗ねてる? 私と話せてなくて?
 ……そっか。さっきまでのモヤモヤがすっと軽くなる。
 そうだよね。藤乃さんがちょっと女の人に囲まれたくらいでデレデレする人じゃないのはわかってたことじゃない。

「ううん。私が行く。今、休憩中だから」
『わかった。待たせとく』

 通話を終えて立ち上がると、母が手を振ってくれた。私も小さく頷いて、社務所へ向かった。
 社務所に入り、廊下をまっすぐ進むと、「控室」と書かれた張り紙があった。ノックすると、「はいよ」と瑞希の声が返ってきた。

「花音です。入っていい?」
「いいよー」

 ドアノブに手を伸ばした瞬間、肩を引かれた。

「えっ?」
「花音さんって言うんだね」

 振り向いたところには、先ほどの男性がいた。
 なんで? ……気持ち悪い。背中がぞわっとする。

「あの、すみませんが……」
「探していた人は見つかった?」
「……失礼します」

 ドアノブを回して開けようとしたけど、男性が押さえていて動かなかった。
 男性はニヤニヤしながら私を見ている。
 気持ち悪いだけじゃなくて、不気味さまで混じってきた。

「どいてくれませんか?」
「花音が話を聞いてくれたら、どいてあげてもいいけど」
「……なに言ってるんですか」

 どうしよう。たぶんその気になれば無視してドアを開けられるだろうけど……。
 こういうとき、どうすればいいのか分からない。
 気持ち悪いから、名前を呼ばないでほしい。

「花音ー?」

 瑞希の声にハッとする。

「お兄ちゃ、助けて……!」
「花音ちゃん!?」

 肩をぎゅっと掴まれたと思った次の瞬間、ドアが勢いよく開いて、藤乃さんが飛び出してきた。
 法被ではなく甚平を着ている。

「藤乃さん……」
「花音ちゃん、大丈夫?」
「……全然、大丈夫じゃないです」

 藤乃さんの顔を見た瞬間、涙がぶわっとあふれた。思わずしがみつくと、強く抱きしめてくれた。

「ごめん、花音ちゃん……ごめん……!」
「こわかったです……」

 抱きついて震えていると、瑞希が隣に立っていた。藤乃さんと同じ、甚平姿だった。

「花音、あれは知り合いか?」

 瑞希が指さした先には、男の人がドアで吹き飛ばされて、うずくまっていた。

「全然、知らない人……」
「あれに、何された?」
「わ、わかんない。何回も声かけられて、ついてきて……さっき、肩を掴まれたの」

 藤乃さんの腕にぎゅっと力がこもる。少し痛いけど、その強さが逆に安心できた。
 瑞希が男性の元にしゃがみ込む。

「西中学校のPTA書紀の方ですよね。うちの妹になにか?」
「な、なんでそれを……!?」

 男性が顔を上げてビクッと震えた。

「何でも何も、祭りの打ち合わせに出てましたよね。あなたも俺も」

 きっと、瑞希はにこっと笑ってるんだと思う。怒ってるときほど、兄は笑う。……母と同じで。
 思わず涙が引っ込んだ。

「花音、おふくろに連絡するわ」
「え、そんなに?」
「そんなに。藤乃の顔見てみろ」

 言われて藤乃さんの顔を見ると、無表情のまま涙をぽろぽろ流していた。……なんで、私より泣いてるの。

「お前の彼氏をそこまで怒らせて、はい終わりってわけにはいかないだろ。他に被害が出たら大変だし」
「うん。じゃあ、お願いします」
「あいよ。お前はそこでべそかいてる俺の幼馴染み慰めてやってくれ」
「わかった」

 ドアが閉められて、外の音がほとんど聞こえなくなった。

「藤乃さん、座りませんか」
「……やだ。もう離れたくない」
「私なら大丈夫ですから」
「……俺のほうが、大丈夫じゃない」
「せめて、ドアの前から移動しましょう、ね?」

 やっと藤乃さんの腕の力が緩む。
 そっと体を離して、藤乃さんの手を握った。
 部屋の中は雑然としていて、椅子もない。部屋の隅に積まれていたパイプ椅子を一つ引き出して、開いた。

「藤乃さん、座ってください」
「花音ちゃんが座りなよ」
「ダメです。藤乃さんが座ってください」

 不満げな顔のまま藤乃さんが座って、私はその前に立った。

「失礼しますね」

 腕を伸ばして、藤乃さんの頭を抱き寄せた。すぐに背中が抱き寄せられて、体が密着する。互いに汗をかいているけど、そんなことを気にしている余裕はなかった。

「……よかった。やっと、藤乃さんに会えた」

 口にしたら、また涙が出てきた。

「……花音ちゃん、俺と会いたいって思っててくれた?」
「思ってました。朝から……ううん、前に会ってから、ずっと」
「そっか。俺も会いたかった。神輿の先導なんて正直めんどくさかったけど、ゴールに花音ちゃんがいると思って頑張ったのに、ぜんぜん会えなくてさ」
「面倒だったんですか?」

 驚いて思わず藤乃さんの顔を覗き込む。
 送られてきた写真はあんなにも笑顔ばかりだったのに。

「面倒だよ。花音ちゃんには会えないし、暑いし、無駄に囲まれるし」

 あんまりな言い方に、思わず吹き出してしまった。あんなにきれいなお姉さんたちに囲まれてたのに、それを「無駄」って済ませるのは、さすがにひどい。
 でも藤乃さんは私の胸元に額をくっつけたまま、ぶつぶつとぼやいていた。

「なんとか役目終わらせて、やっと花音ちゃん見つけたと思ったのに、こっちは囲まれて動けないし、ばか瑞希はデレデレしてるし、気づいたら花音ちゃんも男に囲まれてて……ほんと、やだ」
「囲まれてたのは、私じゃなくてビールとお弁当です……」
「同じだよ。俺、見てたからね。花音ちゃんがナンパされてるの。大事な彼女がナンパされてるのに俺は助けにも行けなくて、最悪」

 ……もしかして、それで拗ねてたの?

 室内を見回すと、端に『更衣室』と張り紙がされたパーティションがある。
 瑞希と私が電話してたとき、あんなところでひとりで拗ねてたなんて。

「しかもさ、さっき“助けて”って言った相手、俺じゃなくて瑞希だったでしょ? 俺もいたのに」
「す、すみません。つい……」
「仕方ないけどさ……年季が違う。瑞希が花音ちゃんを大事にしてるの、ちゃんと知ってる。でも、今度は俺も頼って。情けないし、頼りないかもしれないけど……」

 藤乃さんが抱きついたまま、上目遣いで私を見ていた。
 いつもの、とろけそうな甘さとは、ちょっと違う。
 拗ねて甘える男の子の顔で私を見上げている。

「かわっ……あ、間違えました。わかりました。なにかあったら助けてください。さっきは、瑞希の声が聞こえたから、つい……」

 少し迷って、藤乃さんの頬に手を添え、額にそっと口づけた。そのまま、また頭を抱きしめる。

「でも……できれば、ずっとそばにいてください。何もないように」
「うん。そばにいる。こんなことがないように、ちゃんと、ずっとそばにいる」

 藤乃さんの手が私の頭を引き寄せて、唇がわずかに触れた。二度、三度とそっと重ねて、それからまた抱きしめ合った。
 もう少しキスしたいなと思ったときに、ドアがノックされた。

「藤乃、花音。入っていい?」

 瑞希の声に、慌てて藤乃さんから離れる。

「ちょ、ちょっと待って!」

 藤乃さんの肩に手を置いて、もう一度だけ、唇を重ねる。ほんの一瞬、触れたか触れないくらい。
 藤乃さんから体を離して、ポケットからウェットティッシュを取り出し、ぽかんとした顔をそのまま拭いた。自分の顔も拭いてから、急いでドアを開けた。

「お待たせしました。どしたの、瑞希」
「さっきの男を西中のPTA連中に引き渡してきたから、伝えに来た。藤乃は泣き止んだ?」
「うん、たぶん」

 振り返ると、藤乃さんは顔を両手で覆ってうつむいている。

「ほんとに? おい、藤乃。まだ拗ねてんのか?」
「拗ねてない……」
「まあ、どうでもいいんだけどさあ。これ、二人の分の昼飯。食ったら花音はおふくろのところに戻って片付け。藤乃も食い終わったら神輿なんかの片付けがあるから、出てこいよ」
「瑞希は?」
「親父たちが酒盛り始めたから、俺も飲んでくる」

 そう言うと、瑞希はお弁当とお茶を置いて控え室を出て行った。
 私は藤乃さんのそばの机にお弁当を置き、もう一脚パイプ椅子を出してくる。

「食べましょう、藤乃さん。このお弁当選び、私も手伝ったんです。どれも美味しそうでしたよ」
「……うん。いただきます」

 藤乃さんはやっと顔を上げて、笑顔を向けてくれた。泣きすぎて目元が腫れているけど、そのうち引くだろう。
 お弁当を開けて、一緒に手を合わせて食べ始める。
 うん、やっぱり美味しい。隣に藤乃さんがいるから、すごく美味しい。

「ところで、なんで甚平を着てるんですか? 瑞希とお揃いですよね」
「母親たちが、せっかくだからって用意したんだ。……親父たちにもお揃いの甚平を用意してたよ」
「そうでしたか……。次のお祭りのときは、私が藤乃さんの着替えを用意しますね」
「……うん、楽しみにしてる。でも、次は神社じゃなくて、うちにいてくれると嬉しいな。えっと、手伝いじゃなくて」
「藤乃さんのお家ですか?」

 たしか、藤乃さんのお家は駐車場を休憩所として貸していたはず。
 須藤さんの奥さんが切り盛りして、葵さんや町内会の人が手伝いで入っていた。
 そこに、私も……手伝いではなく?

「……あの、それって、お義母さんと一緒にってことですよね? ……プロポーズ、ですか?」
「予告みたいなものかな。ごめん、つい言っちゃっただけ。でも、うちで母さんと一緒にやってくれれば、さっきみたいなことは起こらない。須藤の家の女だとわかって手を出すバカは、少なくとも市内にはいない」
「そ、そうかもしれないですね……」

 葵さんが藤乃さんの家の手伝いに入っているのも、そういう理由だと聞いた。
 本当なら葵さんは実家の神社の手伝いのはずだったけど、ご両親とも手が回らないし、網江さんも仕事で葵さんについていられない。女性への悪質な声かけが頻発しているため、須藤さんの家に預けているのだと。
 ……そういう意味で須藤さんの家は地域からの信頼がある。長く商売を続けていて、おじいさん、須藤さん、藤乃さんの三人とも誠実だから。

「あの、ふつつか者ですが、よろしくお願いします」
「ふつつかなのは俺も同じだよ。一緒に頑張ろうね」
「……はい」

 優しく微笑まれて、好きすぎて胸が痛くなった。


 昼を終えて弁当を片付けたら、いったん解散。
 しかめっ面で瑞希に連れて行かれる藤乃さんを見送り、私も母のところに戻った。

「藤乃くん、泣き止んだ?」
「うん。……あ、写真撮り忘れた」
「あとで撮ればいいじゃない。さあ、働いてもらうわよ」
「はあい」

 夕方までかけて境内を片付けた。同時進行で屋台も出すのでてんやわんやだった。
 なんとか片付けを終えたころには風が少し涼しくなっていた。

「花音、これ、着替えていらっしゃい」

 そう言って母が差し出したのは浴衣だった。

「え、なんで……?」
「このあとの縁日、藤乃くんと回るでしょう? そんな汗だくの格好で行くつもり?」

 そんな約束はしていないけど。
 片付けがいつ終わるかわからなかったし、藤乃さんも打ち上げがあると言っていたから。

「打ち上げなんて、理由をつけて飲みたいだけなんだから、お父さんを行かせとけば大丈夫。帰りは私と瑞希で回収するしね。須藤さんのところも、桐子さんが葵ちゃんを神社に送るついでに小春さんとおじいさんを回収するって言ってたから、藤乃くんと花音は好きにしなさいよ。帰るときに連絡はするから」
「……わかった。ありがとう」

 浴衣と草履を受け取り、社務所の控室の奥で着替えさせてもらう。着替えはうちの車に乗せて、藤乃さんに電話をかけた。
 すぐに駐車場まで迎えに来てくれる。

「……っ」
「藤乃さん……?」

 私を見つけると、藤乃さんはスタスタ近寄り、両肩に手を乗せた。

「帰ろう」
「えっ、なんでですか?」
「花音ちゃんがかわいいから、他の人の視界に入れたくないんだ。帰ろう」
「せっかくだから、お祭りデートしましょうよ。藤乃さんと手を繋いで綿飴を食べたいです」

 そう言って藤乃さんに抱きつくと、難しい顔をしたけど、頷いてくれた。

「俺から離れないでね」
「わかりました。藤乃さんも私から離れないでください」
「もちろん」

 藤乃さんと手を繋いで、指を絡めて歩き出す。
 二人とも片付けでお腹が空いていたから、とりあえず片っ端から食べ物を買っていった。

「イカ焼き食べましょう!」
「とうもろこしも食べたいな」
「スパイラルポテトも食べましょう」

 持てるだけ買ってベンチで食べていたら、きれいな女性が目の前で立ち止まった。

「あら、須藤じゃない」
「茉莉野は一人? 理人は?」

 茉莉野……どこかで聞いたな。それにこの美人もどこかで……あ、理人さんの彼女さんだ。
 思い出した瞬間、理人さんが駆け寄ってくるのが見えた。

「レイラさん、ブドウ飴買ってきました。……藤乃さんと花音さんもデート中だったんですね」
「うん。見ないで」
「藤乃さんはいつも大人気ないですね。お神輿の先導しているの見ましたよ。すごくかっこ良かったです」
「そう? なら、大人気ないっていうの撤回して?」
「それはしません。それなら僕のレイラさんも見ないでください。減るといけないので」
「減らないわよ。理人、行きましょう。須藤と関わると、あなたはテンション上がって変になるのよね」
「藤乃さんの大人気なさにつられちゃうんです。あ、さっき藤乃さんの写真撮ったからあとで送ります。花音さんに送ってください」
「ありがとうございます! 全然見られなかったから嬉しいです」

 「それでは」と理人さんは微笑んで茉莉野さんと去って行った。理人さんが差し出したブドウ飴を茉莉野さんが口にしている。
 美男美女で、すごく絵になっていて、つい見惚れてしまう。

「花音ちゃん?」
「あ、はい。……二人とも、お似合いですねえ」
「写真、今撮っていい?」
「構いませんが、どうしたんですか?」
「俺も花音ちゃんの写真が欲しい」
「……わかりました。一緒に撮りましょう」

 食べ終えてから肩を寄せ合って何枚か撮る。ツーショットは前にも撮ったけど、その時よりずっと近い。
 また手を繋いで歩き出すと、さっき理人さんたちが食べていたブドウ飴のお店があった。

「ブドウ飴、食べる?」
「……食べたいです」

 藤乃さんが買ってくれて、すっと差し出された。

「どうぞ」
「えっ……」
「さっき理人が茉莉野にやってたの、見てたから。花音ちゃんもこういうのしたいのかと思ったんだけど、違う?」
「違わないです……」

 差し出されたブドウ飴をひと粒口にする。
 すごく甘い。
 でも、それを見ている藤乃さんの眼差しのほうがずっと甘くてクラクラする。
 串を受け取って、今度は藤乃さんに差し出した。

「藤乃さんも……どうぞ」
「……ありがと」

 残りも交互に食べて、また指を絡める。
 屋台はもう少ししかなくて、お祭りデートもこれでおしまい。
 つい歩幅が狭くなり、なんとなく藤乃さんの腕に寄りかかってしまう。

「……花音ちゃんは、かわいいねえ」
「な、なんですかいきなり」
「帰りたくないアピールがかわいくて、つい」
「そんなアピール……し、してますけど……」

 本音をこぼしたら、藤乃さんが目を細めて微笑む。

「こっち」

 すっと手を引かれて、木陰に移動する。大きな銀杏の木と、手水舎の陰になっていて、すぐ側でお祭りをやっているのに光が届かない。

「ここね、神社に剪定に来たときの俺のサボりスポット」

 藤乃さんはクスッと笑って私を抱きしめた。抱きしめ返して顔を上げると、熱のこもった瞳で見つめられ、思わず目を閉じてしまう。
 ……キスを待っているみたいになっちゃったな。そう思ったときには唇が重なっていた。
 温かくて、柔らかくて、ドキドキする。

「藤乃さん、好き」
「俺も好きだよ、花音ちゃん」

 もう少しだけキスをして、また参道に戻った。
 物足りないけど、仕方ない。……外だし。


 名残惜しいけど並んで、打ち上げをしている社務所の宴会場に向かうと、不思議な光景が広がっていた。
 畳敷きの部屋の、入って右半分は普通に盛り上がっている。長い卓を囲んで、飲んで騒いで、楽しそうだ。
 奥の方で父の友達の坂木さんと美園さんが全体を見ながらのんびり飲んでいる。目が合うと手を振ってくれたので、藤乃さんと一緒に頭を下げた。

 ……一方の左側は静まり返っていた。
 卓は奥に寄せられていて、その手前には父と須藤さんが並んで胡座をかき、それぞれお猪口とジョッキを持っていた。
 そのさらに手前では男性が一人土下座していて、周りには何人かの男性が正座していた。

「な、なんですかね、これは」

 隣を見ると、藤乃さんは目を丸くしていたけど、すぐに頷いた。

「花音ちゃん、俺から離れないでね」
「えっ」

 藤乃さんが微笑んだ。背筋がゾワッとする。あ、怒ってる……!
 草履を脱いで左側に進むと、父と須藤さんが気づいて手を上げた。

「花音、いいところに。婿殿も」
「婿にやった覚えはねえよ。藤乃、花音ちゃん、今いいか?」

 良くないって言える状況じゃない……。
 左側の手前では、母と藤乃さんのお母さんが、やけに大きなお弁当を食べていた。そんな豪華なお弁当、いつの間に頼んだの……?
 藤乃さんと一緒にお父さんたちのところに進むと、正座している男の人たちがこちらを見上げた。誰だろう?
 でも、真横に来てやっと気づいた。土下座しているのは、昼間に私を追いかけ回していた男性だった。
 あー、だから藤乃さん怒ってたんだ。

「お呼びでしょうか?」

 藤乃さんがすっと須藤さんの隣に正座した。私も同じように腰を下ろす。

「二人とも、こいつに、見覚えあるか?」

 須藤さんが男性に目をくれる。

「はい。昼間、由紀さんのお嬢さんに迷惑をかけていた方ですね」
「花音、間違いねえな?」
「ないです」

 頷くと父も男性に視線を移した。

「言い訳はあるか?」
「ご、ございません……!」

 震える声が返ってくる。
 私にはあれだけしつこく絡んでたのに、お父さんが一声かけたら頭を床にこすりつけて震えている。……腹が立つけど、でも別に土下座して欲しいわけじゃないし。

「PTAってことは、既婚者だな? どういうつもりでうちの娘に手を出そうとしたのか、教えてもらおうか」
「そ、それは……、ほんの出来心で……っ」
「へえ。なあ、会長さん。今回はうちの娘だったわけだが、出来心で女の子に付きまとうような男がPTA役員としてデカい顔で学校内をうろついているわけだ。それって、どうなんだ?」

 正座している男性が青ざめて、父に何か言っている。
 PTAの本部役員は辞めさせるとか、そういう話だ。

「花音」

 父に呼ばれて顔を上げる。

「はい」
「どこで手打ちにしたい?」

 須藤さんもジョッキを傾けながら私を見ている。藤乃さんもそうだ。
 ……須藤の家に嫁ぐと、きっとこういうことが増えるんだろう。
 須藤家は地元だと大きい家だ。青年会でも町内会でも顔が利く。……まあ、うちも似たようなものだけど。
 だから、藤乃さんも瑞希もお父さんたちと一緒にそういうところに跡継ぎとして顔を出している。
 私は由紀の娘で、須藤家の嫁になるのだから、こうしたトラブルのときに奥様方の仲介役をしたり、今回のように家の敷地をお祭りに提供したりする立場になる。
 藤乃さんがお義母さんと一緒にやってほしいと言ったのはそういう意味だ。

「私個人としては、同じような被害がこれ以上出なければ、それで構いません。そのためにも、学校側には詳細な情報共有と注意喚起をお願いしたいです。先生方や保護者の皆様はもちろんですが、お子さん方に被害が及んだら目も当てられません」
「それは……、っ、はい。そのとおりに」

 男性の一人が何か言いかけたけど、父に睨まれてうなだれた。
 ……私はまだ小娘で、父のようには振る舞えない。

「ご家族へは、ご自身の言葉で説明してください。お子さんや奥様が、周囲の噂話で知るよりも、きっとそのほうがいいと思います」
「……っ」
「一週間以内にご自身で説明がなければ、父が代わりに伺うことになります。それで、よろしいでしょうか?」
「……」

 男性が顔を上げて、鋭い視線を向けてくる。
 そんな顔するくらいなら、最初からやらなければいいのに。
 立ち上がろうとした藤乃さんの膝に手を添えて、静かに制する。
 ニコッと笑顔を向けたら、頭を下げ直した。

「……わかりました」
「お父さん、この辺りでどうでしょうか」
「まあ、そんなもんだな。藤乃ちゃんも、それでいいかい?」
「はい。花音さんがそれで良いというのなら、僕は従います。僕としても、同じようなことがなければそれで十分です」

 父と須藤さんが頷いたので、私と藤乃さんは下がらせてもらう。
 気づかなかったけど、母たちと一緒に瑞希もお弁当を食べながらチューハイを飲んでいた。

「お疲れさん」

 瑞希がビールの缶を差し出してくる。
 母を見たら「私が運転するから飲んでいいわよ」と言ってくれたので、ありがたく開ける。

「乾杯」

 瑞希と藤乃さんと三人で缶をぶつけた。
 ……ビールは温くなっていて全然美味しくないけど、緊張して喉がカラカラだったからありがたい。

「なんでこんなに大事になってるの?」

 母に声をかけたら、須藤さんの奥さん……桐子さんと二人で肩をすくめた。

「初犯じゃなかったのよ」

 母が目を細くして父たちのほうを見た。

「あ、そうなんだ?」
「さっき、理人くんが顔を出してね。ほら、注意喚起出てたでしょ?地域の別のお祭りでも見回りと見せかけて女子大生に付きまとっていたって」

 桐子さんが呆れたように言った。

「藤乃、ダメよ、手を出しちゃ。せっかく小春さんたちが花音ちゃんに判断させたんだから」

 隣を見ると藤乃さんが腰を浮かせかけていた。
 ……藤乃さんって、こんなに喧嘩っ早い人だったかな。

「だってさ、腹立つじゃん。なんだよ、出来心って。誰でもいい相手に声かけてたってことでしょ? そんなのに、俺の花音ちゃんが怖い思いさせられたなんて、許せるわけないだろ」
「それを気にできるなら、ナンパなんかしないのよ。あなたがすべきことは、怖い思いをした花音ちゃんを慰めることでしょう」
「そうだった。連れて帰っていい?」

 ……私、捨て猫か何かみたいなんですけど。
 藤乃さんはビール一杯で酔ったのか、私の肩に頭を乗せている。

「お前、よくこの状況でいちゃつけるな……」
「ねえ……」

 瑞希の呆れたような声に頷くと、藤乃さんは不満そうに声を上げた。

「……俺、拗ねてて、なんにもできなかったのが悔しくて」
「……それ、ずっと気にしてたんですか?」
「うん。花音ちゃんが瑞希に助けてって言ったのも気にしてる」
「めんどくせえなあ、お前。花音、考え直せよ。鬱陶しいぞ、この義弟」

 藤乃さんの頭を撫でていたら、父たちがこちらに向かってきた。

「撤収しよう」
「あら、話は終わった?」
「うん。再発防止策の提出期限まで決めたからこれで手打ち。悪いね花音ちゃん。だしにしちゃって。で、うちの息子はどうしたの。飲み過ぎ?」
「いえ、ビール缶を半分くらいしか飲んでません。ただ……私が男性に絡まれたとき、瑞希に助けを求めたのを、ずっと気にしてるみたいで」
「バカだねえ。当たり前だろうに」

 須藤さんはしゃがんで藤乃さんを覗き込んだ。

「ほら、帰るよバカ息子。花音ちゃんにも桐子さんにも迷惑かけるんじゃないよ」
「……うるさ……。ごめん、花音ちゃん」
「大丈夫ですよ。その後は一緒にいてくれたじゃないですか」
「……うん」
「気にしてるなら、次がないようにしてくれればいいですから。今日は帰りましょう。帰ったら、寝る前に写真送ってください。シャチとのツーショットで。それで許しますから」
「わかった。俺も写真欲しいです」
「藤乃さんが送ってくれたら、送り返します。お待ちしてますね」

 藤乃さんは小さく頷いて立ち上がる。
 「悪酔いした……気持ち悪い」なんて言いながら、藤乃さんは須藤さんたちに連れられて宴会場を出て行った。

「なんつーか……お前の場の収め方がおふくろそっくりだな……」

 藤乃さんの飲み残しのビールを飲みながら、瑞希が肩をすくめる。

「そりゃそうだよ。だって、瑞希も最近立ち上がるときに『よいしょ』って言うの、お父さんそっくりだもん」
「……マジか、気をつけるわ」

 母の片付けを手伝って、私たちも切り上げる。最終的な戸締まりやなんかは葵さんのご両親でするそうなので、挨拶をして帰宅した。

 帰宅してシャワーを浴び、自室に戻ると、藤乃さんからメッセージが届いていた。
 私とお揃いのシャチのぬいぐるみを抱えて、笑顔を向けている写真も添付されている。
 ……そこでやっと気がついた。
 今日一日、送られてきた写真が全部満面の笑みだったのは、役目が楽しかったからじゃなくて、私に向けた笑顔だったんだ。

「ふふ……」

 私もシャチを抱えて写真を撮って送った。

「おやすみなさい、藤乃さん」

 ろくでもないことばかりの一日だったけれど、悪夢みたいな嫌なこともあったけど、最後に見たのが藤乃さんの笑顔だったから――総合したら、そんなに悪くない日だった。