「先輩、本当に何もなかったんですか」
「そうだよ? 帰りに自分で見に行ってみれば?」
夏目先輩はあっけらかんとした表情を見せる。先輩が嘘をついているというわけでもなさそうだった。
「わかりました。わざわざ見に行ってくれてありがとうございました」
「良いんだよ、別に。それよりもさ」
夏目先輩が私の隣に座った。彼はブランケット越しに私の手に触れながら、私の顔をまっすぐに見つめてきた。
「あれって、誰が片付けたの?」
先輩は優しそうな表情をしているけれど、その瞳の奥は笑っていないように感じられた。
私は目を逸らして、口をつぐんだ。なんとなく、具体的な個人名を言うのが憚られたからだ。
わからないです、と無理やり声を絞り出すと、夏目先輩は、ふうん、と生返事をして、それ以上のことは何も言わなかった。
「まあいいや。そろそろ出るから準備して」
「……はい」
夏目先輩は私からブランケットをはぎ取って、それを棚の中に仕舞ってから、生徒会室の電気を消した。私は荷物を持って、夏目先輩の後に続いて廊下に出る。
「また嫌なことがあったら、いつでも眠りにおいで」
生徒会室の鍵を締めた先輩はそんなことを呟いて、すぐに廊下の向こう側に消えてしまった。私の唇には、眠る前に夏目先輩から受けたキスの感触が、確かに残っている。
それがすこしだけ不快だったので、先輩の姿が見えなくなってから、私は手の甲で唇を雑に拭った。


