『……あおいちゃん。あのね』
――お母様。来美さんに、あの時の梓さんと、同じ症状が出始めてる。いずれ、歩くことさえ困難になると思う。
「……な、にも……」
「……ん。そっか」
「……なにも。できない……」
「あおい……」
「しんどいのはおかあさんなのに。わたし、なにもしてあげられない……っ」
「……ありがとう、あおい」
話を聞かされた時、目の前が血で染まったのかと思うくらいカアッと赤くなった。こんなにも理不尽で、悔しい思いをしたのは初めてかもしれなかった。
理事長は一つも悪くないのに、下手したらもう少しで酷く問い詰めるようなことをしていたかもしれない。寧ろ、彼には感謝をしなければいけないのに。
ギリギリと、堪えるように奥歯を噛み締めると、ふわりとやさしいフローラルの香りが香る。母に頭を撫でられたんだとわかった時、涙がぽろぽろこぼれ落ちた。
「一緒の布団に入るのなんて、いつ以来かしら」
なんだか少し、わくわくするわねと。まるで女子高生のような母に、思わず気が緩んでしまう。
「せっかくだし、何かお話でもしない?」
「……おはなし?」
「ええ。あ! じゃあお母さんとお父さんの、昔の話とかする?」
「……それ、もう何回も聞いたよ」
「そう? だったら、あおいとひなたくんのイチャイチャ話でもいいわよ?」
「……それも、何回か話したでしょ。ほぼ強制的に」
えー。つまんないつまんなーい。
数年前からずっと、あまり体調のよくなかった母だけれど、そんなふうに駄々を捏ねる様子を見て、少しだけ安心した。
「……ねえお母さん。一個聞いてもいい?」
「一個と言わず、何個でも」
「ううん。……今日は、一個にする。他は、また今度にする」
「……そっか」
ころりんと、こちらに向き直った母は、まるでひそひそ話でも始めようかと言わんばかりに布団を頭のてっぺんまで上げ、体を丸めた。
その中へ一緒に入れてもらったわたしは、嬉しくなって目の前の母の胸に飛び込むように抱き付く。そんなわたしの髪を、母は何度も何度もやさしく梳いてくれた。
「……覚えてる? お花と話ができるんだって言ったこと」
「ええ。もちろん」
「その時さ、特別なお水が流れてるからって、言ったでしょ?」
「ええ。そうね」
「……そんなお水、流れてなかったらよかったのにって。思ったことある?」
「……」
背中に回した指先が、いつの間にかぎゅっと、母の服を握り込んでいた。
「わたしは、流れていてよかったって。そう思ってるわ」



