悪いね――そんな小さな笑みを浮かべた彼は、メニュー表をそっと見せてくる。どうやら彼が作ってくれるらしい。
「……そういえば献上品は?」
「あ。納豆!」
「……どんだけ納豆好きなんだっつの」
「えっとね、じゃあハンバーグにしようかな?」
「人の話また聞いてねえし」
「毒味もお願いします」
「あ?」と、こめかみにかすかに青筋を浮かべた彼だったけれど、律儀に納豆は受け取ってくれた。相変わらず優しい魔王様だこと。
調理に取りかかった彼をカウンター越しに眺めていると、ふっと笑みがこぼれた。
「どうしたの」
「いろいろ思い出しちゃった」
「たとえば?」
「初めてのバレンタインデーの時とか」
「ああ。アヤさんがすっかり忘れてたあの」
「……まだ怒ってるの?」
「まあね。普通に貰えるもんだと思ってたから」
「……ねえ。やっぱり杜真君、もうその頃から私のこと」
「好きじゃなかったよ別に」
「……頑ななんだから」
その時はまた、契約の関係になっていて。まだ、彼の気持ちはわからなかった。
「ちなみに、私もまだ怒ってるんだからね。どうしてあの時私に声かけてくれた子が、あの写真の子だって教えてくれなかったの」
「怒るも何も、俺その場にいなかったし。気付かない方が悪くない? 普通に考えて」
「おかげで未だ会わせてもらえずじまい。けど、あの時の杜真君の悩みの種。みんな解決して本当によかったね」
「そうだね」
「……それで。いつ会わせてくれるの」
「ま、そのうち会えるんじゃない」
毎度聞いてもこの調子。まあ、会わせる気はあるらしいから、首を長くして待っていることにしよう。
「……それとね、ここに走ってくる時にね? すごいデジャブで。あの時のこと思い出しちゃった」
「あの時って?」
「私の、大学最後のコンテスト」
「ふーん」
カツン――卵にヒビを入れた彼は、片手で割ってグチャグチャとボウルの中でタネを捏ね始める。素っ気ない態度から、どうやら照れているみたいだった。
「人の就職活動中を、隠し撮りするのは如何なものかな」
「人の私生活隠し撮りするのはいいんだ」
「……ふふっ。ごめん」
「何が」
「毎回、そういう切り返しだから。よっぽど恥ずかしいんだろうなって」
「そう思うんなら、思い出しても口に出して欲しくないんですけどね」
ごめんね、それは無理だ。
だって、あの時があったから、今の私たちがあるんだから。



