「彼女が欲しかったのは、自分を引っ張って行ってくれる力強い手じゃなかったんだ。ぶつぶつ文句を言いながら、それでも一緒に隣を歩いてくれる、優しい足だった」
彼女――その熟語にまた、胸の奥がむかむかする。この、吐き気に似た症状の名前を、私は知っている。
「……あの」
「ん?」
「お好き、だったんですか。その人のこと」
「……? ……ううん」
今も。多分これからも。
ずっと大好きだよ。
(そう言われてやっと自覚するとか……)
……どんな皮肉だ。
「って、なんかおればっかり話しちゃったね~」
「……言われてみれば、そうですね」
「ごめんね。……それで、少しは役に立ったかな?」
「役に……立てばいいですけど」
「何々? もしかして、自己分析の課題とか出たの?」
「いえ。……少し、気になる人がいるので」
「え」
「少し、あなたに似ているんです。いつも真っ直ぐなところとか。いつも元気なところとか。やさしいところとか」
「……そっかあ」
「だから、どんな風に思われてるのかな? って、ちょっと聞いてみたくて。でも結局は三者三様十人十色。似てるところで、考えや想いが全く一緒なわけないですよね」
私だったら、迷わずあなたの手を取るのに。
「けど、……ちょっと自信出ました。ありがとうございます」
「いえいえ~。どういたしましてだよお」
「でも……足でも選んだってことは、彼女さんもうお相手はいるのでは? あ、もしかしてもう結婚されてます?」
「まっ、まだ結婚はしてないから!」
「けどお相手がいることはいらっしゃるんですね」
「おれはまだ、あわよくばのチャンスを狙っているからねえ」
「恋に現を抜かして、勉強を疎かにはしないでくださいね」
「それはお互い様、でしょお?」
……ええ。本当に。本当に、何やってるんだろう私。
「……っ、それでは、そろそろ失礼しますね」
「……そっか。残念だねえ」
「……残念、ですか?」
「うん。秘密の時間が、終わっちゃうからね~」
やめてよ。もう、そんな風に言わないで。
終わりの見えた淡い恋に、私は一々傷付きたくないの。
「……それも、今夜で終わりですかね」
「え?」
「これから少し忙しくなるんです。……なので、この時間ここに来ることはもうないと思います。明日の今頃は、へとへとになって爆睡してるのではないかと。きっと、夢も見ずに」
「……」
「なので、……夜更かししてまで勉強するのはいいですが、寝られる時はしっかり眠ってくださいね。医者は、体が資本ですから」
「あの、桃ちゃ」
それじゃ、と。彼に背を向けて台所を出る。行きと違って、足音に気を遣えるほど、気力は残っていなかった。
「……はあ。はあ。はあ……」
大きな音を立てて自室の扉が閉まる。手に持っていたアイスコーヒーは、少ししか残っていなかった。
「……にっが」
今夜は、一際苦かった。



