驚くことに、行きの車の中で彼は、一言も言葉を発さなかった。だから私は、彼が何処に行こうとしているのか。何故そこに行きたいのか。何もわからなかった。けれどその時間は嫌いではなく、何故か居心地がよかった。不思議と不安もなかった。バックミラーにわずかに映る、彼を覗き見る時間が、少し楽しかった。
「ん。着いたよ」
あたたかい恰好をしておいで。
出る前にそう言っていた彼が連れてきてくれたのは、真っ暗な海。颯爽と車から降りた彼は、階段を下り砂浜へと足を運んでいく。その後を慌てて追いかけた。
波打ち際から少し離れたところで足を止めた彼は、振り返ってごめんねと、小さく私に謝った。無理矢理連れてきたとでも思っているのか。私が、好きでここまでついてきたのに。
小さく首を振って、鞄からビニールシートを出して広げ、水筒を出す。さっさと用意する私を彼は、驚いた様子で見ていた。
「海に来るってわかってたくらい用意周到」
「生憎ホット麦茶しかないですが」
十分だよ。ありがとう。
嬉しそうに頬を緩ませコップを受け取ると、彼はしばらく海を見つめていた。私もそれに倣い、両手でコップを持ちながら、温かい麦茶に口をつける。
「……おれが医者を目指している理由はね、おれみたいな子を一人でも救ってあげたいと思ったからなんだ」
やっぱり魔法がかかっているのか、彼の言っていることがすぐには理解できなかった。
「……おれみたいって、ラブリー宇宙人的な何かですか?」
「ら、らぶ? ……そんな風に見えてたの? おれ宇宙人だったの?」
「はい。割と本気で」
「えー……」
だから、ついそんなことを口走ってしまったのは、きっと今から彼が話そうとしていることは、この海みたいに真っ暗な話なのではないかと。一女子高生が、簡単に聞いていいものではないんじゃないかと。……そう思ったからで。
「……大丈夫。聞いて欲しくなかったらわざわざ連れてきてないし」
「……」
「聞きたくなかったら耳塞いでくれても」
「塞ぎません」
即答に少し驚いた様子の彼だったけれど、すぐまた嬉しそうに笑顔になる。
ありがとう――と。彼が話してくれたのは、今日の診療時間が過ぎた後の出来事。わたしが、弟たちを寝かしつけていた頃のことだ。実習生の一人が片付けをしていた時、……とんとんと、誰かが入り口の扉を叩いている音が聞こえたそう。
本日の診療時間が終了している札が見えていないのか。その音が鳴り止むことはなく。そしていつから叩き続けているのかもわからず。
慌てて入り口のブラインドを開けると、ガラス扉の向こうにいたのは、小学校高学年くらいの子どもだったそうだ。



