すべての花へそして君へ③


 驚くことに、行きの車の中で彼は、一言も言葉を発さなかった。だから私は、彼が何処に行こうとしているのか。何故そこに行きたいのか。何もわからなかった。けれどその時間は嫌いではなく、何故か居心地がよかった。不思議と不安もなかった。バックミラーにわずかに映る、彼を覗き見る時間が、少し楽しかった。


「ん。着いたよ」


 あたたかい恰好をしておいで。
 出る前にそう言っていた彼が連れてきてくれたのは、真っ暗な海。颯爽と車から降りた彼は、階段を下り砂浜へと足を運んでいく。その後を慌てて追いかけた。

 波打ち際から少し離れたところで足を止めた彼は、振り返ってごめんねと、小さく私に謝った。無理矢理連れてきたとでも思っているのか。私が、好きでここまでついてきたのに。
 小さく首を振って、鞄からビニールシートを出して広げ、水筒を出す。さっさと用意する私を彼は、驚いた様子で見ていた。


「海に来るってわかってたくらい用意周到」

「生憎ホット麦茶しかないですが」


 十分だよ。ありがとう。
 嬉しそうに頬を緩ませコップを受け取ると、彼はしばらく海を見つめていた。私もそれに倣い、両手でコップを持ちながら、温かい麦茶に口をつける。


「……おれが医者を目指している理由はね、おれみたいな子を一人でも救ってあげたいと思ったからなんだ」


 やっぱり魔法がかかっているのか、彼の言っていることがすぐには理解できなかった。


「……おれみたいって、ラブリー宇宙人的な何かですか?」

「ら、らぶ? ……そんな風に見えてたの? おれ宇宙人だったの?」

「はい。割と本気で」

「えー……」


 だから、ついそんなことを口走ってしまったのは、きっと今から彼が話そうとしていることは、この海みたいに真っ暗な話なのではないかと。一女子高生が、簡単に聞いていいものではないんじゃないかと。……そう思ったからで。


「……大丈夫。聞いて欲しくなかったらわざわざ連れてきてないし」

「……」

「聞きたくなかったら耳塞いでくれても」

「塞ぎません」


 即答に少し驚いた様子の彼だったけれど、すぐまた嬉しそうに笑顔になる。
 ありがとう――と。彼が話してくれたのは、今日の診療時間が過ぎた後の出来事。わたしが、弟たちを寝かしつけていた頃のことだ。実習生の一人が片付けをしていた時、……とんとんと、誰かが入り口の扉を叩いている音が聞こえたそう。
 本日の診療時間が終了している札が見えていないのか。その音が鳴り止むことはなく。そしていつから叩き続けているのかもわからず。
 慌てて入り口のブラインドを開けると、ガラス扉の向こうにいたのは、小学校高学年くらいの子どもだったそうだ。