見えてはいないけれど、この木の向こう側にいる人はきっとゆっくりと顎に指を添え、わずかに考えるだけの間を置く。
そして、ふっと小さな笑みを含みながら、彼は呟いた。
「レジャーシート押っ広げて、飲んで食べて花見したり?」
「そうそう! きっと素敵だと思いますよ」
「落ちた花で、押し花作ったり?」
「わあ! だったら、折れた枝があれば生け花にしましょう。そうしたら床の間が一気に華やぎます」
「大木のてっぺんまで登ってみたり?」
「おおお! すっごく眺めよさそう!」
「そんでもって、体操選手並の跳躍力と捻りを加えながら、雄叫び上げて堂々と着地するんでしょうよどーせ」
「え。なんでそんなに冷たいんですか」
「心臓に悪いからもうやめろって言ってんの」
「それはそれは、大変ご迷惑をおかけ致しました……」
端から見れば、桜の木に向かって話をしているんだから、普通の人には途轍もなく変人に見えているだろう。ま、辺りには人っ子一人いやしないけどね。ついでに言うと、そんなことするまでもなく、わたしは変人変態だけれども。
「どうせ何回言っても聞かないくせに」
「……面目ねえ」
加えて深く深~く頭を下げて謝っているんだ。なんだろうこの、何とも言えないシュールさ。
やれやれと、肩を竦める彼の様子が嫌でも目に浮かぶ。
「馬鹿なことしてこの桜の木の目に焼き付けてあげればいいんじゃない? きっと嫌でも元気にならざるを得ないだろうよ」
「ぐはっ……」
いつにも増してキレのある毒突き。鋭い右ストレートを、ノーマークで受けてしまった気分だ。
しかーし! 一つレベルアップした葵ちゃんは、ただじゃあ倒れないのだ!
「そ、それも必要なことかもしれないけど、それよりももっと大事なこと、目に焼き付けてもらっておいた方がいいんじゃないかな……??」
桜の木にしかと両手をつき、そう切り返しながら踏みとどまった! 何とか踏ん張った! よく堪えた! よく頑張ったわたしー!
「たとえば」
「え? た、たとえば?」
「…………」
「……はっ! たとえば恋人たちが仲良く手を取るシーンとか!」
「……たとえば」
「……恋人たちが二人で笑い合うシーンとか?」
「た・と・え・ば」
「け、喧嘩したバカップルの仲直りシーンとか……」
どうやらお気に召さなかったらしい。
だんだん冷たさを増す声に、胸中は極寒の嵐が吹き荒れている。
「まあ、それでもいいけど」
「って、いいんかーいっ」



