すべての花へそして君へ③


「――と、いうことがありまして」

「……うん?」

「ま、そういうことなんです」

「いや何が? どういうこと?」


 運転中の彼は安全運転のまま、至って動揺した様子は欠片も見せず、笑顔を浮かべたまま首を傾げている。


「どうしてもわたし、自分の仕事を手伝ってくれる人が必要だったんですよね」

「葵ちゃん一人でも何の問題もないと思うよ? 俺がいなくても」

「いりますよ。現に今こうしてる」

「……うん。運転してるだけだけど」


「なんだ。そういうこと」と、再び運転に集中する彼を横目に、わたしはむにゃむにゃ言っている少年の頭を、そっと撫でた。


「気付いてないとでも」

「なにが?」


 隠れて小さく……小さく、息を吐いたことを。その吐いた息と一緒に、緊張ともう一つ。零したことを。


「バレてないとでも?」

「…………」


 無言に一瞥と嘆息を送ると、その表情が一瞬僅かに強張りを見せた。


「ボスと賭けなんてしてませんよ」

「……そう」

「だから……ごめんなさい。わたしの事情に巻き込んで」

「…………」


 侮られたものだ。


 無事目的地へと到着し、名残惜しいが小さな少年とそろそろお別れの時間に。あれやこれやと思う存分に、可愛がり、抱き付き、そしてくすぐりあった。


《ねえ、一つ気になってたことがあるんだ》

《ん? ……どうしたの?》

《あれって何?》


 そうして彼は、ある一点を指差した。


《あれは、桜》

〈Cerisier...?〉

《そう。春になったら、綺麗な花が沢山咲くんだよ》

《……そうなんだ》


 どこか不安げにそう呟いた彼は、ぎゅっとわたしの服を掴む。
 差し出した手に重なった小さな手は、緊張からかとても冷たい。


《春になったらさ、お手紙を書こうか》


 それが少しでも解けるように。そっと優しく、そして強く包み込んであげる。


《……手紙?》

《そう。勿論、また会いにも来るよ? でも、手紙だとちゃんと手元に残るから、ちょっぴり嬉しい気持ちにならない?》

《……どうかな》

《あ。そんなこと言うの?》

《ごめん。でも、そうなったらいいなって思う》

《なるよ、絶対。だってわたしが言うんだもん》


 小さくはにかんだ彼は、すっとわたしから手を離した。


〈Merci beaucoup!〉

「うわっと」

「あおの手紙! 楽しみにしてるから!」

「……ふふっ。うん、わかった」


 頬に口付けをした彼はそうしてわたしに背を向け、一歩。また一歩と、自分の足で前へと進んでいく。
 その背中を、いつまでもいつまでも。小さな彼の姿が見えなくなるまでずっと、わたしは手を振り続けた。