「――と、いうことがありまして」
「……うん?」
「ま、そういうことなんです」
「いや何が? どういうこと?」
運転中の彼は安全運転のまま、至って動揺した様子は欠片も見せず、笑顔を浮かべたまま首を傾げている。
「どうしてもわたし、自分の仕事を手伝ってくれる人が必要だったんですよね」
「葵ちゃん一人でも何の問題もないと思うよ? 俺がいなくても」
「いりますよ。現に今こうしてる」
「……うん。運転してるだけだけど」
「なんだ。そういうこと」と、再び運転に集中する彼を横目に、わたしはむにゃむにゃ言っている少年の頭を、そっと撫でた。
「気付いてないとでも」
「なにが?」
隠れて小さく……小さく、息を吐いたことを。その吐いた息と一緒に、緊張ともう一つ。零したことを。
「バレてないとでも?」
「…………」
無言に一瞥と嘆息を送ると、その表情が一瞬僅かに強張りを見せた。
「ボスと賭けなんてしてませんよ」
「……そう」
「だから……ごめんなさい。わたしの事情に巻き込んで」
「…………」
侮られたものだ。
無事目的地へと到着し、名残惜しいが小さな少年とそろそろお別れの時間に。あれやこれやと思う存分に、可愛がり、抱き付き、そしてくすぐりあった。
《ねえ、一つ気になってたことがあるんだ》
《ん? ……どうしたの?》
《あれって何?》
そうして彼は、ある一点を指差した。
《あれは、桜》
〈Cerisier...?〉
《そう。春になったら、綺麗な花が沢山咲くんだよ》
《……そうなんだ》
どこか不安げにそう呟いた彼は、ぎゅっとわたしの服を掴む。
差し出した手に重なった小さな手は、緊張からかとても冷たい。
《春になったらさ、お手紙を書こうか》
それが少しでも解けるように。そっと優しく、そして強く包み込んであげる。
《……手紙?》
《そう。勿論、また会いにも来るよ? でも、手紙だとちゃんと手元に残るから、ちょっぴり嬉しい気持ちにならない?》
《……どうかな》
《あ。そんなこと言うの?》
《ごめん。でも、そうなったらいいなって思う》
《なるよ、絶対。だってわたしが言うんだもん》
小さくはにかんだ彼は、すっとわたしから手を離した。
〈Merci beaucoup!〉
「うわっと」
「あおの手紙! 楽しみにしてるから!」
「……ふふっ。うん、わかった」
頬に口付けをした彼はそうしてわたしに背を向け、一歩。また一歩と、自分の足で前へと進んでいく。
その背中を、いつまでもいつまでも。小さな彼の姿が見えなくなるまでずっと、わたしは手を振り続けた。



